紀田の様子がおかしい。

煙草の煙の向こう、そわそわと落ち着かない様子の正臣を見ながら静雄は思った。
明日はお互い休日だということで正臣が静雄の家へとやって来たのは夕方を過ぎた頃だった。泊まっていくのは暗黙の了解。新作のゲームを買ったと言っていたから徹夜でそれに明け暮れることになるのだろうと静雄は踏んでいる。静雄の部屋の方が僅かばかり正臣の部屋より広いということで(と言っても本当に微々たる差なのだが)、正臣がこうしてやって来るのは珍しいことではなかった。正臣も今更静雄の部屋に遠慮したり緊張したりすることはない。二人は所謂お付き合いというものをしている。
しかし今日の正臣はおかしかった。
いつも忙しなく余計なことまでぺらぺらと喋り通す口は電池でも切れたかのように動きが鈍い。ぼーっと何かを考えている様子を見せたかと思えば、今のようにやたらと落ち着かない様子で視線をさ迷わせる。
ちらちらと此方を伺うように見つめられれば原因が静雄にあることは明確で、しかし正臣は何も話そうとしないのだ。

(そういえば、前に二人で出掛けた時もおかしかったな。)

静雄は思い返す。
それは先週の日曜日のことだ。
映画に行って、ファーストフードの店で適当に食事を済ませ、ぶらぶらと店を冷やかしながら静雄の家へ。
典型的な『恋人同士のデート』を満喫している間、正臣は始終ご機嫌だった。からから回る口だって絶好調で、全身から楽しいです!オーラを放つ正臣に静雄も彼にしては珍しいくらいによく笑った。何かと邪魔をしに現れる例の情報屋が姿を見せなかったことも大きな要因に挙げられる。
正臣から笑顔が消えたのはその後だ。
夜も9時を回り、『そろそろ帰った方がいいだろ。送ってく』と声をかけた時だった。
ぴたりと動きを止め目を丸く見開いて。何かを言おうとした口を躊躇うように引き結び明らかに無理をした笑顔を見せた正臣の異変を静雄は見逃さなかった。不器用であることを自覚している静雄は、その分正臣のことをよく見ている。
―…気付いたとはいえ、その時の静雄はきっと疲れているのだろうとあまり気にとめなかったのだが。

(さて、どうすっかな)

紫煙を吐き出し、静雄は首を捻った。どうするか、と言ったところで出来ることなどたかが知れている。
ストレートに尋ねるか、正臣が話し出すのを待つか。
正臣が来てからかれこれ2時間。十分待った。
ならば残る選択肢はただ一つ。
半分程の長さになった煙草を灰皿に押し付ける。

「紀田」

改めて名前を呼ぶと正臣はびくりと肩を跳ねあげた。気まずげに見上げるその表情は、テストの点が悪かったのを見つかった子どものようだ。

「手前、今日はどうした?」

「え、どうしたって何がですか?」

「ずっと落ち着きがないだろ。なんか俺に言いたいことでもあるのか?」

「いやいや、全然なーんにもないっ、わけ、ないっすよね…」

誤魔化そうとした言葉は静雄の視線の圧力により力を失った。うう、と小さく唸ると覚悟を決めたように静雄を見た。

「今からすっげぇキモいこと言いますけど、出来ればひかないで下さいね?」

「ひかないひかない」

「その、静雄さんは…キス、とかしないのかな…って」

尻すぼみになる語尾。対して正臣の顔は耳まで赤く染まっていく。静雄はといえば、予想外の答えにひたすら目を丸くしていた。

「や!だから言ったでしょ、キモいこと言いますって!可愛い女の子じゃないんだからしたいんなら自分からすればって話なんすけどね、俺もちょっと慎重になってるっていうか、ビビっちゃったりしてるわけでしてね!ここは控えめに静雄さんからのアクションを待ってみたりしよっかなーってドキドキしてたんスけど静雄さんなんもしてこねーし、ほら、俺たちって俺が無理言って付き合ってもらった感じじゃないですか?やっぱ静雄さん、ほんとは男相手にそーゆーこと、したくねーのかな、とか、色々考えて、」

テーブルの下で正臣は拳をぎゅっと握った。静雄の方は見れなくて、ひたすらに面白くない自分の膝小僧を見つめる。
恥ずかしい。情けない。
そんな気持ちでいっぱいだ。穴があるなら入りたい。勿論無いから無理だけど。
内心でのたうち回る正臣の耳にガタッという大きな音が聞こえた。ハッとして顔を上げると静雄が立ち上がっている。静雄はそのまま大股で正臣へ近付いた。僅か2歩の距離を一瞬で詰め、そのまま胸ぐらを掴み上げる。

「………っ!」

殴られる、と反射的に正臣は目を閉じた。
瞬間、唇に感じる痛み。


噛みつくようなキスだった。


痛いやらびっくりするやらで目を白黒させる正臣を置いてきぼりに唇は離れた。

「……馬鹿か、手前は」

いや、馬鹿は俺か。
小さく呟く静雄の目元が僅かに染まっている。

「男だとかどうとか、そういうのはもう関係ねーんだよ。そんなのは手前とこうなる前に散々考えた。もう俺は迷わねぇよ。だから手前も二度と考えんな」

静雄の大きな手が正臣の頬を包んだ。痛みを感じる程の強さが静雄の緊張を伝える。

「…俺も一緒だ。滅茶苦茶ビビってた。…ほんとはずっと、こうしたいって思ってた」

ゆっくりと静雄の顔が近付く。正臣はもう一度目を閉じる。
唇が触れる。
先程とは違う優しい感触に正臣の心は震えた。
一度離れてもう一度。
啄むように下唇を食んだそれが離れたときには、正臣の顔は赤く染まっていた。

「……なぁ、」

「……なんですか」

「『キスとか』のさ、『とか』の部分、もっとしたいんだけど」


ダメか?

囁くように尋ねる静雄の瞳から逃げることなど出来るはずもなかった。


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