カタカタと忙しなくキーボードを叩いていた臨也は、ふと部屋の中が異様に静かであることに気づいた。部屋の中にはもう一人いたはずなのだが。気になった臨也は首を伸ばして辺りを見渡す。と、ソファーで眠る少年を発見した。
仕事もとりあえず一区切りしたことだし、と臨也は立ち上がり、眠る少年に近付いた。そのまま正面にしゃがみ込みぼんやりと寝顔を見つめる。健やかに眠るその顔は年相応、というより幾分か幼く見える。これだけ近付いても気が付かないとは。仮にも池袋を代表するカラーギャングの元トップだったくせに。臨也は顔にかかりそうな正臣の前髪をそっとかき上げた。形の良いおでこが露になる。かわいいな。臨也が胸の内で呟いたとき、額の違和感に気づいたのか正臣がむずがるような声を出した。もごもごと何か言葉にならない言葉を発する口元に臨也は耳を寄せる。
「…みか、ど……」
小さく、しかしはっきりと紡がれたその名前に臨也は表情を消した。正臣の口元は幸せそうに微笑んでいる。
(なんか、)
(ムカつくなぁ)
臨也は湧き上がった黒い衝動のままに、
正臣の鼻に噛み付いた。
「って!!!?」
突然の鼻への痛みに正臣は飛び起きた。状況が摘めないままに目の前にある臨也の顔を見つめる。
「い、い、臨也さん、今何して…?」
「噛んだだけだけど」
「噛んだだけって、え?なに?臨也さんもしかして怒ってます?」
明らかに不機嫌な臨也に正臣は目を丸くする。わけがわからない。わからないが自分がとばっちりを受けたことだけはわかる。
「良い気分ではないね。正臣くんのせいで」
「え?えぇ?俺が何したんですか?惰眠を貪ってただけの俺が?」
「人が仕事してる間に惰眠を貪ること自体どうかと思うけどねぇ…随分良い夢見てたみたいだし?」
「夢?俺、なんか言ってました?」
「名前呼んでたよ」
「名前?」
「帝人君のね」
「………!」
その名前を出した瞬間、正臣の目が見開かれた。臨也の紅い瞳が射抜くようにその変化を見つめる。
その視線に耐え切れなくなったのか、正臣は目を伏せた。
「幸せな夢だったんだろうねぇ。嬉しそうな顔してたよ」
揶揄するような言葉。しかしその声音は冷たい。正臣はぎゅっと拳を握る。
「…覚えてないです。でも」
―…きっと良い夢だったんでしょうね。
自嘲するように笑う正臣の頬に、臨也が手を添える。
「すごい、ムカつく」
「臨也さん?」
「夢で逢えたらって?ムカつくなぁ、いつまで君はあの子に縋り付くの」
君には俺がいるでしょう?
囁いて、頬に爪を立てる。ちりっと走る痛みに顔を歪めた正臣は、ようやく臨也と目を合わせた。
絡み合う視線が痛みよりも熱い。
困ったように正臣は笑った。
「…やだなぁ、夢で会うくらい許してくださいよ。所詮夢は夢です」
正臣は頬に添えられた手に己の手を重ねた。
「触れたって、こんな風に温もりを感じられることもありません」
そのまま目を閉じた正臣に。
臨也はやっぱり苛立って、細い首筋に噛み付いた。