〔1〕
それはひどい悪路だった。
明け方四時に、仮宿の廃倉庫を出た。
そこからルート52を走破したのち、砂利の混じる舗装されていない田舎道を四時間だ。
旅団員を詰め込んだ軍用の非装甲貨物トラックの、幌で覆われた乗り心地最悪の荷台では、フェイタンやフランクリン、フィンクスはおろか、比較的温厚なパクノダやコルトピまでがうんざりとして、目つきがいつにもまして極悪だ。
ハンドルを握るシャルナークは、事前に目的地を調査できず終いでこのような強行軍を強いた当事者だけに、愚痴に類する発言ができないでいる。
携帯電話に表示したナビの中を移動する、追跡中の発信機の位置を示す赤いランプの行方と、荷台の団員たちの機嫌を交互に伺っていたが、助手席の団長だけは、この事態が仕方の無いものだとわかってくれていると信じていた。
そうでなければ、やりきれない。
時刻は既に、正午になろうとしていた。
フィンクスが、いい加減見飽きた天井を睨みながら、格子窓越しにシャルナークに問うた。
「おい、シャルよぉ。このまま夜まで移動ってこたぁねえだろうな?」
「まさか。この道沿いは、放牧地ばっかりで畜産農家すら遠いんだ。二時間前にガソリンスタンドで給油をしたけど、この先にスタンドは無い。帰りの燃料のことを考えても、目的地はそう遠くないはずだよ」
「具体的に、最大あと何時間だ?」
「……ま、燃料だけで計算するなら二時間てとこかな」
かっ、とフィンクスが嘲った。
「だけど、この道自体は完全に農業用道路で、あと四十分も走れば行き止まりのはずなんだけど」
お宝の在り処が掴めなくて、さんざん地図を解析したのだから、まず間違いない。この先進んだところで、あるのは砂漠だけだ。
唯一、目的地の正確な場所を知る連中の車に発信機を付け、当日に尾行するという最終手段にまで後手に回らされたのは、情報処理担当のシャルナークとしては実際ひどく癪に障る話だった。
一月前、団長に話を聞いてから今日まで、およそ手を尽くした一連を、箇条書きで上げ連ねたいほど、シャルナークはがんばった。
でも分からなかった。まるでさっぱりだ。だからこうしてターゲットを尾行している。なにか文句でも!?
声を大にして、そう叫びたい。
「七百年前のこの近辺に、オダルの重要建築物なんかあったっていうの?」
そんな情報、何ひとつ引っかからなかったけど、と未だ信じきらない様子でシャルナークはギアを入れ替える。
隣のクロロは、出発前と変わらない様子で口を開いた。
「そういう表記の文献も古書も、見当たりはしなかったがな」
「だよねぇ。まさか俺たち、ハメられてるとかないよね」
「発信機をつけたターゲットは、必ず今日、ウブドラと呼ばれる聖地に赴く必要がある。奴が囮である可能性はゼロだ」
「それを聞いて安心した」
ほんとに。
乾いた笑みを浮かべて、ナビを確認する。ターゲットの赤い光は、迷いなく真っ直ぐこの道を進んでいた。
「あぁ…嘘でしょ」
思わず画面を見てぼやいたシャルに、クロロが視線をやる。
「連中、砂漠に入る気だ」
アイジエン大陸中部にあるパタラバ砂漠は、そう大きくない平行四辺形の形をしている。
途中、オアシスと呼べる場所は点在するが、残念ながらガソリンスタンドはない。
このまま、砂漠を突っ切るのだとして。
シャルナークは頭の中で楽しくない計算をはじめる。
非装甲といえ燃費のよくない軍用車両だが、タンクはでかいし予備タンクもある。
アップダウンがあろうとあと千kmは走行可能だが、相手方の大型のRV車では、砂漠向こうのガソリンスタンドまでギリギリのはずだ。
エアコンかけないって言うんだったら、まあ大丈夫だろうけど。
こちらは元からエアコンなんて良いものは付いていない軍用車両で、八つ当たりのように思う。
問題は、こちらの車両が軍用車両といえ、デザート特化ではないということだ。どこまでもつかはシャルナークにも分からない。
「高級車持ってるくせに、オフロード車で来たから嫌な予感はしたんだけどね」
「おいおい、これから砂漠ん中走るってのかよ!」
「フィンクス、奇遇だね。俺も今、とてもじゃないけど信じられないんだ」
「おそらく目的地は、この砂漠の中だ」
「えっ?」
岩がごろごろとする前方の乾燥地帯を見据えて、クロロが味わうようにゆっくりとつぶやいた。
驚いて、シャルナークとフィンクスが、助手席を振り返る。
「砂漠の向こうはすぐ国境だ。あの国に入るなら最初から飛行船を選ぶだろう。砂漠を横切って左右どちらかに向かうなら、ルート52から来たのはどう考えても遠回りだ。砂漠自体に用があるとしか思えない」
「だって団長……砂漠だよ? 砂上の楼閣でもあるっていうの?」
「大きくない砂漠で、それなりに人も往来することがある。ハンターにも今まで見つからなかった。オーラでも眼でも、見える形では遺跡はないんだろう」
得体の知れない物を食べさせられたように顔をしかめたシャルナークをよそに、クロロは大真面目で考察を続けているようだった。
「オダルは歴史上でも、稀に見る念能力者で成り立った封建国家だ。いまさら幻影城なんてものが出てきたところで、大して驚くこともない」
砂漠といっても、見渡す限り砂の山、という光景は、パタラバ砂漠の中ではほんの四方七十kmほどだけだ。
それ以外では、幹の太くて葉の少ない木や、長いひげのようなワサワサした低い植物が固い地面に張り付き、大小の砂岩がごろごろついている。
吹きすさぶ風が砂を巻き上げているのが、かろうじて砂漠の様相だ。
それが進むほどに、地面を覆う砂の量が増し、植物と石の影が減っていく。
座りっぱなしの尻がシートにはりつく感触が気持ち悪くて、腰を浮かせて座りなおしたのが何度目か。
ナビの赤いランプが、動きを止めた。
「…クロロ」
「止まったな」
ドリンクホルダーに固定した携帯電話の画面を、クロロも注視していた。
「故障か、給油じゃなければ。もしランチタイムだったら、俺ひとりで乗り込んでっても全滅させるからね」
「このXデーにそれはないさ。連中にとっても、百年に一度しか回ってこないチャンスは今日だけだ。ランプの止まった場所の死角まで進め。あとは降りて接近する」
「あいさー」
周囲は既に、急勾配の山形を成した一面砂世界になっている。姿を隠せるのは、ビルほどの高さのある砂山の陰だけだ。
エンジン音に気をつけながら、赤ランプまで1km弱まで接近して止まる。
効果があるかは分からないが、サイドブレーキを上げてクロロを振り返った。
「出るぞ」
「やっとか!」
団長の指示のもと、沸き立った全員がトラックを降りた。
外は一番暑くなる時間帯で、どちらかといえば白っぽい砂が陽を照り返してさらに暑い。黒尽くめのクロロとフェイタンなど、たまったものではないだろう。
パクノダはヒールの中に砂が入るのに閉口していたが、ターゲットが念能力者だと判明しているため、絶を保つしかない。
砂山の稜線から、ターゲットのいると思われる方向を伺っていたクロロは、すぐに膝をついていた身を起こし、団員を振り返った。
「ここを降りる。連中がいない」
「なんだって?」
思わずシャルナークはナビを表示したままの携帯電話を見下ろした。ランプは依然、そこにある。
砂山を駆け上がってみれば、その向こうには、ずっと追いかけてきた大型RV車が五台、そこに乗り捨てられていた。
人影は無い。
団員全員が砂山を滑り降り、RV車のそばまで歩を進める。
周囲に、念能力を使った痕跡は無い。
車を確認してみたが、エンジンは全て切られていた。足跡もまばらに残っているから、先ほどまでここに人がいたのは間違いない。
どういうことなのか。
頼みの団長を振り返ろうとしたとき、フランクリンが声をあげた。
「おおっ、なんだこれは!」
現行メンバーの中で一番の巨漢のフランクリンの姿が、なぜかすぐに見つけられなかった。
あちこち見回している間に、今度はパクノダが声をあげる。
「フランクリン!」
彼女の視線をたどると、確かにそこにフランクリンがいた。しかし、下肢がない。
いや、砂に埋もれている。
巨体のフランクリンが、腰ほどまで砂の地面に飲み込まれていた。
フランクリンを中心として、さらさらと砂が下へと流れていくさまは、まるで砂時計のようだ。
ロープの類を眼で探しながら、シャルナークはフランクリンに声をかけた。
「フランクリン、そこから出られないのか?」
「念を使えばな。絶のまんまじゃ、無理そうだ」
「いや、そのまま抵抗するな、フランクリン」
横で様子を見守っていた団長が、フランクリンを見つめたままそうのたまった。
真意をさぐるように、団員の視線がクロロに集中する。
「感じないか? ターゲットのオーラは、この奥だ」
「え?」
聞き返す言葉とほぼ同時か、もうほとんど姿の消えかかっているフランクリンのもとへ、クロロは歩いていく。
すぐにクロロの足元の砂もすべるように崩れていき、あっという間にブーツで固めた足が飲み込まれ始めた。
「団長、罠の可能性は?」
「それならそれで連中を締め上げて聞き出すさ。そうでなければ、遺跡はこの中だ」
すでにフランクリンは姿を消し、クロロも鳩尾まで埋まっている。そこからはもう時間もかからずに、団長の黒髪は砂の下へと消えた。
互いに絶のままなので、様子は分からない。
間をおかずに、フェイタンが二人の消えた窪地へと歩き始めた。フィンクスとコルトピもそれに続く。
「いつまでも、こんなとこいたくないね。それならヤツら、拷問したほうがましよ」
フェイタンらしい所見を述べて、自ら砂時計に滑り降りた小柄な身体は、すぐに消えた。コルトピにいたっては、フィンクスのかげに隠れて、一瞬だ。
思わず、最後になったパクノダと顔を見合わせる。
「そもそも、これってなんなのかしら? 流砂?」
「流砂に人間がこんな風に飲み込まれることはまずないよ。あれは大体、川岸とかで起こるものだし。特にオーラは感じないけど、巨大なあり地獄にしか見えないね」
肩をすくめて見せると、パクノダはため息をついて、逆さまにした円錐の中に歩いていく。
その背を追ったシャルナークも、じきに足元が崩れ、面白いほどに吸い込まれていくのを感じた。
ゆったりとしたズボンの上から、徐々に太陽に熱せられて温かな砂の圧力がかかっていく。
胸元まで飲み込まれて、案外下のほうの砂は冷たいのだな、とどうでもいいことを思いながら、大きく息を吸い込んだ次の瞬間には、深く砂に引きずり込まれていた。
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