繋がり


「ただいま」



一日中、待ち続けたその声が聞こえる。

私は自分でも分かる程顔ほころばせ、出来る限りの早足で玄関へと急いだ。



「お帰り、蔵馬」



リビングに続く扉を開けて走り寄ってきた私に、蔵馬は綺麗な緑の瞳を見開いた。



「八知、走ったらダメでしょう」


「大丈夫、とっくに安定期だもん」



蔵馬の首に手を伸ばし、首も伸ばして彼の頬にキスを贈る。

最近になって、ようやく慣れてきた仕種。
蔵馬も微笑んで唇にキスを返してくれるが、すぐに私から視線を落とす。



「ただいま」



もうひとり、キスする相手が増えたと、去年蔵馬は笑って言った。

私のふくらんだお腹に軽くキスをして、そこを撫でる。



「肩、凝ってませんか?」


「心配性だなぁ。まだまだ平気。臨月じゃないんだし」



そう言って蔵馬の鞄を受け取ろうとしたけれど、鞄は遠ざけられて、腰に蔵馬の腕が回る。



「物を持ってもダメ」



蔵馬にリビングにエスコートされながら、私は思わず小さく吹き出してしまう。

生まれてくる子供にも、こんなに過保護になるのだろうか。



「座って待ってて下さい」



私が言おうとした言葉を、蔵馬に先に言われてしまった。

上着を脱いでネクタイを緩め、腕まくりすると、蔵馬はすでに出来ている料理を皿によそいに行った。


……かっこいいなぁ、なんて。


自分の薬指の銀の輝きが未だに信じられない時がある。

あの蔵馬と結婚したなんて、何かの冗談な気さえする。



この子が生まれたら、そんな気持ちも落ち着くんだろうかと、私はゆっくり、腹をひとなでした。














「そういえば、これを貰ったんでした」



夕食を済ませた後にソファでくつろいでいた時、蔵馬はそう言って鞄から何かを取り出した。



「お守り?」


「会社の人が、出張先で安産祈願のお寺で買ってくれたそうです」



はい、と手に落とされた小さな紙の包みを開けると、赤いお守りが出てくる。

顔が緩む私を見て、蔵馬も微笑んだ。



「ありがとう…」


「って、伝えて置きますよ」



頭にキスを貰いながら、私はお守りを胸に抱いた。


周りの人が祝福してくれる度、出産や結婚にまつわるこんな些細な出来事の一つひとつが、私に実感を与えてくれる。


あぁ、私。今とても幸せだ。









蔵馬が風呂に入っている間、私は明日行かなければならない、次の検診の用意をしていた。

母子手帳に貼られた白黒の子供の写真は、毎日見てしまう。



ただの用意のつもりが、幸せな空想にとって変わってしまっていた時、不意に下腹部に違和感が走った。





「え……?」





呆然として見下ろした床には水溜まり。


破水、した。













「蔵馬、…蔵馬っ」



私はお腹を抱え、リビングに戻る。


臨月はまだ来月。なのに……


そんな事が思考の片隅にあったが、焦る気持ちが先に走る。



「八知?どうしました?」



風呂から上がった、Tシャツにスラックス姿の蔵馬をみとめると、ようやく息が付けた。

蔵馬は、私の濡れたスカートと足を見て、全てを理解したようだった。



「車を出します、玄関に行っていて下さい」



一瞬にして青ざめた蔵馬の顔。
緊迫した空気に、ああ、やっぱり大変な事なんだと背筋に冷気が走った。


必要なものを手早くまとめ、蔵馬は私を支えながら駐車場まで急いだ。



「……ごめん、ごめんね」



誰に謝っているかも分からない呟きをもらす私に、蔵馬が苦笑した。



「安産祈願のお守りなんて貰ったから、この子の気が早まったのかもしれませんね。でももしお守りのせいなら、間違いなく安産ですよ」



大丈夫、と蔵馬は私の額にキスを落とす。



私を後部座席に乗せ、蔵馬は通院している病院に電話をかけながら運転席に乗り込んだ。





それから、何がどうなったのか、ほとんど分からなかった。

いつの間にか陣痛に襲われるようになり、ベッドに寝かされていたと思ったら、もう分娩台の上だった。



隣にはずっと蔵馬がついていてくれた。



「八知、大丈夫ですか?」



私の手を握りしめ、額の汗を拭ってくれる。
けれど言葉を返す余裕などなかった。


呻き声と荒い呼吸を繰り返す私に、看護婦さんが息を吐いて下さいと声をかける。


勘弁してほしい、気分としては、息を吸うのだってやっとだ。





それからはもう、なんというか。
よく自分で気絶しなかったものだと思う位大変だった。


私が悲鳴をあげる度に蔵馬の顔は歪むし、あんな蔵馬の顔を見たのははじめてだった。

私より、泣きそうな顔をしていたんじゃないだろうか。




「本当に、かわれるものなら代わりたいと本気で思いましたよ」



私が横たわるベッドの横で、蔵馬はしみじみと呟いた。



「何もしていないのに、あんなに苦しい思いをしたのははじめてです」



なにも出来ないって、最悪です。なんてうなだれる蔵馬を見ていたら、なんだか笑えてきた。

じとっ、とした目で、蔵馬は私を見る。
そうかと思えば、抱きしめられた。





「本当に、心臓が壊れそうだったんです。予定日もまだ先なのに、両方にもしものことがあったらと…」



 顔の見えない蔵馬の声は、震えていた。



「蔵馬がいて、よかったよ」



蔵馬の暖かい腕の中で、にっこりと笑って、私は言った。



「蔵馬がいなかったら、絶対途中で気絶してた。自力では産めなかったかもしれない」



なにより、



「蔵馬との子供だから、頑張りきれたんだよ。蔵馬がこんなに素敵な人じゃなかったら、ここまで頑張って来られなかったよ」



だから、ありがとう。



そう言ったら、抱きしめる腕が強くなった。



「………ありがとう、八知」



囁くような小さな声。
暖かな貴方に与えられる、抱えきれない愛を感じて。




これからは、三人で、頑張っていこうね。














あとがき



いゃ、なんかとりあえずごめんなさい。

全ては私の妄想の産物です。
出産パロを書くにあたり、妊婦な奥さんを心配するのは、蔵馬しかいねぇだろ!!

なーんて。


いいなぁ、こんな旦那さん。
一生、倦怠期なんて来なさそう。

07.12.08

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