笑顔を


「新野先生、いらっしゃいますか…!!」



五年は組、保健委員の善法寺伊作は、その時医務室で一人、薬草の仕分けをしていた。

名指しを受けた新野先生は、金楽寺の和尚さんのところに薬を届けに行って、今はいない。委員長も六年の実習に出掛けていない。


そんな医務室に飛び込んできた幾つもの桃色の装束を、伊作は身の引き締まる思いで振り返った。


「どうしたの」


どれもこれも小柄なくのたまは、春に入学したての一年生ばかりだった。
まだ幼さの残る顔立ちを、形容しようのない恐怖で強ばらせている。



「この子、鉄砲に当たったの…!」



たくさんの小さな手で差し出されたのは、一際顔面を凍り付かせた、伊作より頭二つ分も小さかろうかという、やはり一年のくのたまで。

左上腕に、梅の花のような鮮血を咲かせ、はっきりと分かるほどに体を震わせていた。

血があまり出ていない。

それが指すところを思って、思わず眉間に皺が寄る。



「貸して」



くのたま達から負傷した彼女を両腕でくるむようにして受け取り、抱え上げて奥に運ぶ。
散らかった薬草を手早く避けて床に下ろすと、平行感覚を失ったように左右にゆらゆらする少女をしっかり支えた。



「弾、貫通してないね」



桃色の装束の合わせを開き、傷口を確認。やはり銃創の奥に、肉とは違う異物が見えた。

己の左腕にすっぽり納まる少女をちらりと見下ろす。
震えているが意識ははっきりしているようで、伊作の手元を声もなく恐ろしげに観察している。


いっそ、気でもやっていれば良かったのだが。



「君たちは外に出て」



手拭いと包帯を準備しながら、付き添ってきたくのたまに声をかけたが、立ち去る気配がない。

伊作が顔を上げると、くのたま達は立ちすくんで逡巡しているようだった。



「出てなさい」



まだ入学して日も浅い彼女たちのために、伊作は常の彼にない、すっぱりとした口調で追い出した。











鉄砲が鳴るのを、どこかで聞いた気がする。

ドンッ、と左腕の上の方を強く突かれたような衝撃を感じて、体勢を崩し尻餅をついたのはそれから何秒経ってからだったのか。
左腕が熱く焼けた。体中の血が沸いて逆流した。

撃たれた。

最後にそれだけが分かって、頭は真っ白になった。


いつの間にやら場面は飛んで、友達にかつぎ込まれた医務室には、上級生が一人。

抱え上げられた、しっかりした腕は、怖いくらいテキパキとして迷いがない。
その手際の良い手が傷口にさしかかると、途端に容赦のない非情な手に見えて、思わず身を捩った。

う、動けない…!


自分の体が動かないのだろうか、この上級生が押さえるから動かないのだろうか。



気づいた時には、級友達の姿はなくなって、目の前には、傷口の拳一つ上で手巾を巻き付ける上級生。

それを認識した瞬間、手巾の両端が素早く引かれた。



「―――っ!!!」



痛い痛い痛いいたいイタい……!!


縛り上げられた左腕は、傷口を避けても激痛が走る。

しかし本当に恐ろしいのは、細い鉄で出来たペンチのようなそれが、傷口に迫っていることだった。
滞っていた思考が、一瞬でめぐる。



「やめてやめてやめて………っ、そのままでいいからっおねがい!」

「舌、噛まないでね」



間違いなく動けないように押さえつけてくる腕。
仮にも上級生の捕縛の手は、片手でも逃れる術はない。


せめて待ってと泣いても、上級生は全く耳を貸すしてくれない。
本気で足掻いても、僅かにも揺らぐことのない拘束。

なんでもするから、ほんの少しでいいから、お願いだから、ちょっとでいいから待って…!!

ちゃんと喋れているのか怪しい呂律で、必死に訴えた。だのに、上級生はまるで言葉が通じないかのように反応がない。
とっさに、目の前の上級生の腕に噛みつく。しかし彼は、顔をしかめることもなくこちらを見下ろして、



「うん、そのまま噛んで離すんじゃないよ」



その時だけは、この上なく優しい顔でそう言って、傷口へとペンチを差し込んだ。



















「保健委員長の善法寺伊作せんぱーい、大丈夫ですかぁ〜!?」

「あはは、なんとかね………」



ぽっかり口を開けた落とし穴の上から覗く、乱太郎を見上げて伊作は苦笑した。

散らばって絡まったトイペを掴んで、砂を払う。

今回は落とし穴のトシくんか、蛸坪のターコちゃんか。
それとも同じ六年の、体育委員長の塹壕か。


いずれにしても、六年間保健委員を勤めてきた自分の不運は、留さんの必死の穴埋めの尽力を持ってしても免れない。

クナイで這い上がった地上では、後輩の乱太郎と、同級生の立花仙蔵が立っていた。



「毎日毎日ご苦労だな、伊作」

「たまには休みが欲しいけどね」



貧乏と不運に休息はないらしい。

二人から受け取ったトイペを腕の中に積み直し、ふぅと息をつく。

そこで視線を上げて、ふと少し離れた先にいたくのたまと目があった。

「あ」

それが誰なのか、伊作が気づいた時には、くのたまはおののいた顔をして、素早く踵を返して走り去っていく。



「あれ? どうしたんだろう」



不思議そうにくのたまを見送った乱太郎に、伊作は再び苦笑を落とすしかなかった。
代行して、仙蔵が口を開く。



「保健委員の受難は、不運だけじゃないということだ」

「え、他にまだなんかあるんですかぁっ!?」



先程のくのたまに負けないほどにおののいて見せた乱太郎の頭を撫でる仙蔵は、分かっているのだろう。



「ほら、早く授業に行け。一年はこれから裏裏山までマラソンだろう」



慌てて走っていく乱太郎を二人で見送り、



「去年の今時期だったか。あのくのたま」

「…よく覚えてるね、仙蔵」

「当時一年で鉄砲の弾ともなれば、なかなか克服し難い。お前も辛い役回りだな」



ポンと肩を叩いて通り過ぎる仙蔵に、伊作は苦笑の顔のまま首を横に振った。





年下の生徒で、荒療治の類を受けた忍たま達が医務室や保健委員がトラウマになることは、間々ある話だ。

あの二年生のくのたまも、一年前に腕に銃弾を受けて伊作が弾を抜き出して以来、伊作を避けている。
いや、怯えている、か。


保健委員の第二の受難。仙蔵が言うように、まぁそうなのだろう。

仕方がないと思う反面、やはり寂しいことで。

実際のところ保健委員をやっていて、不運なんかよりもよっぽど身に堪える問題だった。

それでも、救えなかった場合の時を思えば、それよりは幾らもマシだと淋しそうにも笑う伊作の姿を、友人達はよく知る。













泳法の授業中、八知は上着を脱いで露わになった己の左腕を見下ろした。

一年前に受けた銃痕は、うっすらとしたピンク色になって、一見しただけではそうと分からない。

指の先で突っついてみたが、痛みもない。かり、と引っ掻いてみても、指先に微妙な肌質の違いを感じるだけだ。



「あら、綺麗になりましたわね」



はっと顔を上げると、老齢の姿の山本シナ先生がいつもと変わらぬにこやかな表情で左腕を見つめていた。



「手当てしてくれたのは、善法寺伊作くんでしたかしら。綺麗に塞いでくれたのねぇ」



さすがだわ、と言う山本シナ先生に、小さな同意の返事をした。



「あなたもいい先輩に見てもらえて、幸運だったわねぇ。感染症にも失血死にもならずに済んだこと、しっかり感謝しなければ」



傷口に皺だらけの手を乗せた先生は、じっとこちらの目を覗いて、言葉を噛み締めるように告げた。



「銃弾一つで死に至った武将も多いのですよ。死なずに済んだとしても、腕を落としていたやも」



迫る山本シナ先生。
訥々と語られる銃弾被害の恐怖は、先生の怖さもプラスされて恐ろしいことこの上ない。



「皆さんもよく覚えておくこと。傷口一つがどれほど侮れないものか。その手当てがどれほど大切で大変なものか」



恐ろしげに語る山本シナ先生の目が、不意にそれは優しく八知を見たので、八知はドキッとして肩をすくめた。



「手当てをしてくれる人が、どれほど心を砕いているか」



その優しさで、のちのちの苦しみから守ってくれているのですよ。
暖かな目でそう言ったシナ先生をまっすぐに見れずに、八知は視線を下へと滑らせて、足元の石ころを見下ろした。












授業が終わって、八知はくのたまの敷地を飛び出して、一目散に駆け出した。

ここしばらく通うのは、生物委員会の飼育小屋だ。
駆け寄った小屋の片隅には、茶色の兎が隔離されてうずくまっていた。それをじっと覗き込む。

兎は地面に這いつくばるようにしていて、わずかに鼻先が動いている他は全く静かなものだった。



「お前、動かないの?」



5日ほども前だった、この兎を拾ったのは。どういう経緯でそうなったのか、錆だらけの農具の下で暴れていたのを、八知が見つけた。



「今日も来たのか」

「あ…こんにちは」



餌の入った桶を手に、大変なボリュームの髪をした五年生の先輩は、竹谷八左ヱ門だ。
八知の隣に同じようにしゃがんで、兎を見つめる。



「弱ってるな」



それは、八知に言うより、自分へ確認するように呟いたようだった。
縋るように、八知は竹谷を見上げた。



「昨日までは元気でしたよ」

「あぁ」



返事は素っ気ない。

飼育小屋に入って、兎を抱え上げる彼の挙動を、不安げに見守る。

竹谷が夏仕様の茶の衣を纏った兎の腹をさすってやるも、兎はぐったりして、やはり鼻先を小さく動かすだけだった。



「まずいな……」

「先輩、どうにか助けられませんか?」



くしゃっと顔を苦くしかめて笑った竹谷は、困っているように見えた。



「助けてやりたいさ」



そうとだけ言った先輩に、それ以上すがっても仕方ないのは分かった。
兎の鼻先は、本当に小さく、長い間隔をあけてしか動かない。
それもいつ止まるだろうか。

傷を手当てして、餌をやって、休ませてやるだけでは助からないの?
やわらかい藁を選って、暖かくして、清潔にたもってやっても、まだ駄目なの?

何が足りない?
どうしたらいい?



「…辛かったら、もうここには来ないほうがいいぞ?」



そう、思いやって言ってくれた竹谷のセリフは、最終宣告だ。

涙をのみこんで、そっと大きな竹谷の手から兎を掬い上げると、体に障らないように腕に抱く。
そっと。
お腹を持ったら苦しいだろうか?
…彼はあの時、どうやって私を支えていたっけ?
ああ、静かに運ぶのだって、こんなに難しい。



「どこ連れて行くんだ?」

「…この子、助けてもらいます」



すり足でそろそろ運ぶ八知の背を、竹谷はそれ以上、止めずに見送った。




















「善法寺先輩、いらっしゃいますか……!?」



そう呼ばれて、医務室の扉が開いた。
何か既視感をおぼえ、伊作は入口を振り返る。

あ、と思った声は漏れただろうか。
銃創の手当てをしたあの少女が、胸元に何かを抱いて必死の顔で立ちすくんでいた。



「どうしたの?」



自分に怯えている少女を、逃がしてしまわないように出来るだけ優しい声をかけた。

小さな唇をきゅっと真一文字に引き結んでいた彼女は、意を決したようにそろそろと医務室の中に進み入る。
伊作から数歩の距離を残して、少女は俯いてしまった。



「…お願いします」

「なあに?」

「この子……助けてください」



ゆっくり、丁重に差し出されたのは、もさもさの茶色の毛のかたまり。
だらんと垂れさがった長い耳と、それから艶のない黒目と稀にひくつかせる鼻先を見つけて、伊作はようやくそれが兎であることを知った。

目を丸くしてその小動物をのぞきこんだ伊作に、少女は切羽詰まった顔で必死に懇願した。



「農具に挟まれてて、手当てして、餌もあげたのに弱っていくばっかりで、この子、このままじゃ死んじゃう」



小さな手のひらで兎を包むように持つ八知が、出来るだけ兎の傷に障らないように気を遣っているのがわかる。
駄目だと思っても、諦めたくなくて彼女は自分に縋ってきたのか。

ぽん、と桃色頭巾の頭に手をのせると、はっと少女は顔をあげた。



「出来るだけのことは、やってみなくちゃね」



せっかく自分を頼ってくれたのだから。
少女がほっと、心から安堵したように息をつくのを、伊作ははじめて見た。



その期待に、はたして自分はどこまで応えられるのだろうか。

白い敷布の上に乗せた茶色兎を前に、心の中で一つ唸る。
相手が人ならざる兎となれば、同じ生き物でも当然勝手が違う。

正直、自信などない。それ以上に、助かる見込みがどこまであるのかも、さらさら見当がつかない。
この小さな兎の生命力に期待するしかない。

知らぬうちに、くっと奥歯を噛みしめた。








以前、自分を抑えつけて銃弾を抜いた手が、迷いなく兎の患部を辿っていく様を、じっと見守る。
色素の薄い髪が彼の動きに合わせて、静かに揺れる。

蜜蝋を取り出し、何をするかと思えば、傷口近くの毛に塗りたくった。
やがてべったり固まった毛先に、持ちだした剃刀で根元を剃る。
それらはぽろぽろと、撒き散らされることなく下に落ちて、きれいに患部が露わになった。

血の塊や、かさぶたや、腫れた傷跡が、痛みを連想させて思わず目をそむける。

伊作はしかし、変わらぬ手際で患部を洗った。



「膿んでるね。多分ここ、何か入ってるかな」



えっと、思う間もなく、ピンセットが取り出された。

それが患部にさし向けられ、おそらく触れたと思ったと同時に、見たこともないほど兎が手足をばたつかせた。



「ひぁっ…」



おののいた少女をよそに、真剣な顔つきで伊作を傷口を探る。

膿を出し切った先に、予想通りのものを見つけて、取り出した。

ショックで絶命するかもしれない。動物は衝撃に弱い。
半分以上賭けだった。

頼むよ。死なないでくれ。

ちら、と見やった兎の瞳は、まだ光が宿っていた。



いける。



手早く細かな何かの破片を抜き去り、消毒し、傷口をふさぎ。
もう終わったのだと教えるために、優しく茶色の背をなでた。








あの手を知っている。

やわらかに兎を撫でる大きな手を見つめて、八知は思った。
とても優しく、肩をさすってくれた。
そして言ったのだ、



「よく頑張ったね、もう大丈夫」



元気になるよ。
優しい優しい笑顔で、太鼓判を押す彼を見るのは、二度目だ。


どれだけ心を砕いているか。
分かったでしょう、と。山本シナ先生が、頭の中でひっそりと笑った。


















トイレットペーパーは、少々汚れたり短くなったりしながらも、なんとかそれぞれ収まるべき場所に収まって、ようやく伊作は、ふぅと息を着いた。

次は、足りなくなりつつある薬草か、包帯の補充か。

うーんと伸びをしたところに、声がかかった。



「ああ、やはりここにいたか」

「仙蔵、今終わったところだよ」



なにやら巨大な風呂敷を片手に下げた仙蔵に、伊作は何をしているのか、と尋ねようとして…やめた。風呂敷からは見覚えのある白髪オカッパが僅かに覗いていた。



「留三郎を見なかったか?」

「留さん? 見てないけどなぁ」

どうかした? と聞いて、実は、と仙蔵が口を開いて、止めた。

「何か聞こえなかったか?」

「え?」

「ほら、お前の名前を誰か呼んで……」



仙蔵の言葉が終わらないうちに、伊作の耳にもそれが聞こえた。



「あれは……」



声を追いかけてくるようにして、遠くに桃色装束の少女が現れた。

それが誰か分かって、仙蔵は一瞬表情を引き締めた。しかしそれと対象に、伊作が頬を緩ませたので、おや、と片眉を跳ね上げた。



「善法寺せんぱい!」



まろぶように駆けてきた小さな桃色は、まっすぐ隣の同級生の元へと突っ込んで、彼の腕にすっぽり収まった。



「兎、今日からほかの子と一緒の檻に入りました!」

「そう、じゃあもう、ばっちり健康だね」

「はい、ばっちり!」



嬉しそうに伊作の首に巻きつく少女に、仙蔵がふっと笑いをこぼした。



「そちらももう、後遺症は全快のようだな」

「ふふ、御覧の通り」



元患者を抱き上げて、この上なく幸せそうに笑って見せた友人に、ごちそうさまと、手を振った。









兎の手当てを終えて、穏やかに息をするそれに、少女がぐずり始めたと思ったら、次の瞬間には大声で泣いて謝った。

ごめんなさい、助けてくれたのに。

兎のことじゃなく、彼女自身の件だというのは聞かずとも分かった。

怖いのは銃弾なのに。先輩じゃないのに。
助けてくれてありがとうございました。
最後にうわーんと声をあげて泣く少女に、申し訳ないながら少し笑って、少し泣いた。

ちょっと滲んだ涙目をごまかすように、にっこり笑って、元気になってよかったね、って言ったら、もう収拾がつかないくらいに大泣きされて、おかげでもう自分の方の涙は引っ込んで、精一杯あやして、なだめすかした。


可愛い後輩は、それ以来、自分を見つけては飛びついてくる。

どうしようもなく嬉しそうにそう話した彼に、良かったな、と友人たちが微笑んだ。












------アトガキ------

いさっくんいいよいさっくん。
冗談でも何でもなく、結婚していただきたい。

もう伊作ファンが増えてほしい。そして素敵な夢を書いて、私に読ませてほしい(…
自給自足って言ってもね、やっぱりほら、ある種の限界があるじゃないですか。ね。


しかし、どうして私は甘夢が書けないの…!
ということで、次回は甘夢に挑戦してみたい、なー!書きたいなー!書けないんだよなー!(←
まったく、書けたら苦労しないんだよちくしょう。
甘って…なに。
現実が塩辛っすぎて、理解不能だわ^^^^


110619


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