綾とり
我が主ながら、いつも彼という人は、気がつけばいずこへと旅から旅へ流れていく勝手気ままな猫のようだが、実際陽気に誘われたように縁側へふらりと現れて膝の上に寝そべる様など、他に例えようもない。
ただし図体はとても猫とは似ても似つかぬ剛健長躯で、人懐こい笑みや率直な感情表現などは犬のそれだ。
「お方様のお説教は終わったのですか?」
「あぁ、まあ八割方はねぇ。利が腹を空かせたとあっちゃあ、説教も一段落しない訳にはいかないだろう」
張りのある笑い声に波打つように、膝の上に乗った慶次の頭が揺れる。それに合わせて、豊かな長髪もさらりと流れた。
「お方様が膳を用意なさってる間に、また旅に出ようという心積もりではございませんでしょうね?」
「ちょっとはそれも考えた」
「まあ、正直でいらっしゃいますこと」
「でもやめた! こんないい天気に旅立つのも最高だが、八知に甘えてこうしてるのも贅沢じゃねぇかい?」
いつでも出来るわけじゃないしねぇ、と口にした慶次様に、若干の皮肉を交えて反論する。
「慶次様が旅などなさらなければ、八知はいつでも膝を貸して差し上げますのに」
「まつ姉ちゃんの説教が飛んでこなけりゃあ、それもいいんだけどねぇ」
楽しそうな口ぶりは、ここに居留まる気はさらさらなさそうだ。
ひらひらと舞って、慶次様の風にたゆたう髪に少し戯れてまた飛んでいった蝶々を視線で辿り、私はため息をついた。
まるで城に連れ戻されては、ちょっと私に構ってまた旅ゆく彼のようだ。
「どうした? ため息なんざまた、似合わない真似して」
「あら、八知とて悩みの一つや二つ、あるのですよ」
「へぇ、それぁ是非お聞かせ願いたい」
童のような真ん丸い目をくりくりさせて、慶次様は膝の上でこちらに真っ直ぐ向き直る。
髪の束が引っ掛からないように操って梳きながら、さて、なんと答えたものかと頭を巡らせる。
「慶次様がなかなか帰っていらっしゃらないので、八知は淋しいのでございますよ」
そう返したら、慶次様はきょとんとしてこちらを見上げた。
まるで野兎かなにかのようだ。体は大きい方なのに、表情は愛らしい小動物か子供のようなところが、この人の魅力なのだろう。
「俺は旅ガラスだからねぇ…」
「存じておりますわ」
予想と寸分違わぬ返答に、朗らかに笑って返した。
さて、ひなたぼっこはこれで終わりとばかりに、慶次様の肩を叩けば、よっと起き上がった彼は、その勢いのまま、ずいとばかりに顔を近づけた。
「だから、この日ノ本中を訪ね歩く相手は沢山いるが、俺が帰る場所は八知一人だ」
ねぇ? と口角を上げて悪戯にこちらを下から覗く彼に、こちらの動揺を悟らせてやるのは、あまりに癪だったので、ついと顔を逸らしてやった。
「そのような言葉遊びで、慶次様のおられぬ月日を埋められはしません」
「手厳しいねぇ」
快活に笑う彼はしかし、一向に堪えた様子などなく、
「訪ねる町が一つばかり減ってもたいしたことはないが、帰る場所がなけりゃあ、気ままに風来坊も出来やしない」
ねぇだから、
つれないことを言わないで
日だまりのような甘い声で、いつも丸めこまれる。
.。.。.。.。.。.。.。.
犬も食わない、ただの痴話喧嘩。
090902
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