078




しーんと、静まりかえったリビングには冷蔵庫の稼働する低い機械音しかしない。

うっかり電気のスイッチを押し間違って、部屋の明かりは蛍光灯一本分だけの地味な暗さなのだが、わざわざ立ち上がって壁に取り付けたリモコンまで行く気がしない。


冬ちゃんは風呂で、千尋也くんは……私の部屋に閉じこもっている。

あれから詳しい心境を伺おうにも、意固地になって「帰らない!」しか言わないし、気をそらせようと冬獅郎くんの誕生日の支度について話しを持ちかけてみたりしたが、とても誰かを祝う顔にならなかったので、無理にやるだけ冬獅郎くんもかわいそうだと、流してしまった。

いや、仕切り直すよ!? 千尋也くんが落ち着いたら、すぐにやるんだけど!


至って普通の晩ご飯メニューを済ませた後、私が言う前にちゃっちゃと風呂に飛び込み、びしゃびしゃのまま部屋に飛び込んで、天岩戸よろしく、部屋は封鎖された。

……一応、私の部屋でもあるんですけども。


でも、さすがに今回のことは、やや鈍いと自覚する私にも、うっすらと見えるものがある。



「お兄ちゃん、かなあ……」



受験を控えた兄の勉強のため、親戚に預けられたと本人も分かっているようだし、少なくとも崎守くんへの「兄ちゃんらがうまく行ったら」という返答からして、伯母さんはうまいことおだてて千尋也くんをここにやったようには思われない。


自分がのけ者にされてショックなのか、親が兄しか見ていないようで寂しいのか、そんな感じだろうか。


冬ちゃんも大変な事情の持ち主なんだろうけど、ごくごく一般家庭で育っている千尋也くんも、院長先生いうところの『地雷』を持っているのだと思うと、なんとも言えない気持ちだ。


この地雷の除去は、私が勝手にどうこうしていい問題じゃないなあ……仮にも人の家庭の子だし、下手に小突いて爆発させて取り返しのつかないことになったら……と思うのは、びびりだからだろうか?


それでも、私の手はもう電話の受話器を持ち上げていて、伯母さんの家にコールをかけていた。

無機質なコール音が、耳の中でなり始める。


RRRRR,RRRRR,RRRR......



「んん? でない…?」



時計を見上げる、八時。

伯母さんはよく出来た専業主婦で、そうそう夜に出かける人じゃないし、今の時間は会社帰りの伯父さんのごはん支度で台所にいる時間。

昼間以外で電話に出ないなんて、今まで一度も無かったんじゃないかと思う位なんだけど……。


いったん受話器を置いて、伯母さんの携帯電話にかけ直す。
それも五回まで鳴ったところで、音はふつりと切れた。



『もしもし? 叔父さん?』



聞こえてきたのは、柔らかな少年の声だった。



「えっと、私、祐です。……阿貴也くん?」

『あっ、祐姉ちゃん。ううん、僕、雅都也だよ』



電話の向こうで、少し笑ったような気配がする。



「あっ、そっか。ごめんね。家にかけたんだけど、誰も出なくって」

『ああ…ううん、今家の電話、電話線抜いてるから通じないはずなんだ』

「えっ、なんで?」


驚いて、思わず反射的にそう聞くと、また機械越しに笑いが漏れた。今度は少し、苦笑に近かったかもしれない。


『勉強の邪魔になるからって。お母さんの方がピリピリしちゃってさ』

「ああ…なるほど」

『ところで、千尋也、元気?』

「あぁ、実はね、そのことで伯母さんにちょっと聞きたくて、」



と、そこまで言ったところで、電話の向こうがガサゴソと音がする。



『もしもし、叔母さん?』

「いいえ、あなたの祐姉ちゃんですよ、阿貴也くん」

『あそっか、叔母さんたち、また海外だっけ?』



先ほどとは違う少年声のトーンが響く。
雅都也くんから、阿貴也くんに選手交代したらしい。



『千尋也、フテってるだろ?』



見透かしたように、迷いのない声がそう言った。

兄の方は、親より千尋也くん本人より、分かってることが多いのかもしれない。



「どうすればいいかな、って思ってさ」

『迎えに行くよ』

「えっ?」

『どっちみち、こんなの別に、誰のためにもなんねーもん』



さらりと言われた言葉に、不意に鼻の奥がつんとした。

阿貴也くん、阿貴也くん。ほんといいお兄ちゃん。



「ありがとう。一応私から伯母さんと一回話してみるね」

『必要ないよ。こっちで話つけるから、祐姉ちゃん、千尋也見てて』



じゃ、とあっさりと電話は切られた。


千尋也くんはべったりなお母さんっ子だけど、お兄ちゃんも大好きだ。

そりゃあ、好きになるわ、こんなお兄ちゃん。



「そんなお姉ちゃんに、なりたいわ」



お風呂から上がってきた冬獅郎くんに、受話器を握りしめたまま思わずそう言ったら、彼は不思議そうに水のしたたる頭をわずかにかしげた。











迎えに行く、という阿貴也くんの言葉があまりにも頼もしく、もはやここから先、なんの憂いもなく迎えを待とう、とお風呂に入ってパジャマに着替え、冬獅郎くんとリビングでお茶をしばいていたら、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

え? まさかもう来たの?
迎えに行くとは言ったけど、話がまとまり次第、いつ行くだのなんだの、電話が来ると思ってたんだけど…?


半信半疑で腰をあげ、冬獅郎くんに視線で見送られながら玄関のスコープを覗くと、見知った顔ぶれが並んでいた。

がちゃり、と鍵を開ける。



「いらっしゃいませー……」

「どーも」



記憶よりまた一段背が伸びて、もうほとんど私の身長に追いつきつつある阿貴也くんが軽くそう言って、さっさと靴を脱ぐ。



「千尋也は?」

「私の部屋にいるよ」



分かった、と、たったと阿貴也くんが奥へと進む。
こんばんは、と二番手で玄関をくぐったのは、阿貴也くんとほぼ同じ身長の少年B、もとい雅都也くん。千尋也くんのお兄ちゃんで、阿貴也くんの双子の兄だ。

この二人、二卵性だがよく似ていて、ぱっと見と声は見分けがつかない。中身はといえば、雅都也くんの方が穏やかでのんびりしているが、阿貴也くんはクールで器用なタイプ。絶対世渡りが上手いタイプだ。



「ごめんね、祐ちゃん」



最後に現れたのは、泰代伯母さんだった。
やや赤い目をして、すまなそうに玄関から顔を覗かせる。



「こちらこそごめんなさい、私の力が及ばず、千尋也くんは寂しかったみたいで」

「ううん、さっき阿貴也に怒られたのよ。受験前だろうが、自分たちと千尋也、両方同じだけ大事なはずだから、片方を追い出すのはおかしいって」


私、そんなつもりじゃなかったんだけど。と、ぐずぐずと泰代伯母さんは口ごもる。


「もー、情けない母親よねえ! 涙出てきちゃって、引っ張られてきたのお! 受験するからには、ここで落ちたらトラウマになって高校受験とかに影響出てきちゃったらどうしようとか、そんなことばっかり考えて、千尋也の方がよっぽどトラウマよねえ、もうバカよねえ私」



よよ、と効果音が付きそうに、伯母さんはかわいい小花柄のレースのハンカチで目元をぬぐい、ぐすんと鼻をすすった。

奥でカタン、と音がして、振り返ると廊下の先の私の部屋から、阿貴也くんと千尋也くんが出てくるところだった。

一瞬よりも短い間、家の中に何とも言えない静寂が流れて、



「千尋也!」



泰代伯母さんが広げた両手に、顔中をくしゃくしゃにした千尋也くんが飛び込んでいった。

物音に振り返ると、リビングから冬獅郎くんが姿を現していて、そんな二人を見つめていた。













「僕たち、受験するの辞めたんだ」



いつものように、どこかほんわかした笑顔で、雅都也くんが言うので、「ふうん、そうなんだ」と聞き流しかけて、「えっ!?」と聞き返した。



「六年生の学力テストの出来がよくって、先生がおだてるもんだからお母さんもその気になっちゃって、急に中学受験なんてことになったけど、僕ものすごく勉強好きって訳でもないし、今の友達と中学に上がって部活とかしたいし」

「阿貴也くんもそれでいいの?」

「俺はもともと、雅都也の付き合いでやってただけだから」



しらっと言ってしまう阿貴也くんは、ちゃんと予習復習してこつこつ勉強する雅都也くんに対して、少ない勉強時間をセンスと直感力でテストで高得点出しちゃう、まさに天才肌。


付き合いでお受験しちゃえる頭の持ち主って……。私は入学出来たとしても、その後のハイレベルな学校生活を考えただけで憂鬱まっしぐらだけど、持ってる頭が優秀だとそんな憂いも皆無なんだろうなあ。


やや遠い目になりかけて、千尋也くんが、おい! と声をあげた。


見下ろせば、復活したらしい千尋也くんが、見覚えのある金ぴかマッチョの人形を冬獅郎くんに向かってつきだしていた。



「これ、冬獅郎の誕生日プレゼントな!」

「……千尋也くん、君ねえ」



言いかけて、まあもういいやと脱力する。

優に十拍ほどもの間を置いて、冬獅郎くんが人形を受け取った。

あわよくば受け取らない方向で悪あがきしたようだが、残念ながら、その努力は千尋也くんには全く伝わってないようだよ。




「千尋也っ! あんた祐ちゃんにまでそのオモチャ買ってもらったの!?」

「げっ」



うっかり泰代伯母さんに見つかって、首をすくめた千尋也くんは、

「冬獅郎、じゃあな! 誕生日おめでとう!!」

と大声で怒鳴って、すたこらとエレベーターの方へと逃げていった。
こりゃあ、千尋也くんに阿貴也くんのような要領良さはないな。



「こんばんは、君が冬獅郎くん? 僕が雅都也でこっちが阿貴也。僕たち、従兄弟になるんだね」



千尋也くんを追いかけていった泰代伯母さんを横目で見送って、雅都也がほわほわと挨拶する。

靴を履きながら、阿貴也くんも視線をあげた。



「ふうん……お前、ケンカ強そうだな」



なんの前触れもなく、阿貴也くんがそう言ったので、どっきーんと心臓がなる。

な、な、なんでそんなことが分かるのかなあ、阿貴也くん……!

見ると、冬獅郎くんはじっと阿貴也くんを見つめていた。
こっちもこっちで、何か見定めるような目だ。

こ、怖いからやめて…!



「お前みたいなタイプ、ガチでやるとシャレんなんねえから絶対やりたくないんだよな」

「阿〜貴〜也〜? ケンカしてるの? いつ? どこで? 誰と?」

「してねえよ、絡まれたとき逃げてるだけ」

「絡まれるような顔で歩いてるんでしょ」

「顔ってなんだよ」

「だって同じ顔で歩いてても、僕絡まれないもん。そこらじゅうにらみながら歩いてるんじゃないの?」

「んなわけあるか」



かわいい双子のやりとりも、耳の中をするすると通り過ぎていく。



「じゃあな」



と手を上げて阿貴也くんたちが玄関の扉を閉めるまで、私の顔はこわばっていたんじゃないかと思う。

ぎぎぎ、と音がしそうに首をひねると、冬獅郎くんはまっすぐに玄関のドアを見つめていた。


なんか、ケンカする人の目つきとかあるんだろうか。ちょっと阿貴也くん、そこだけプリーズテールミー。


ガチャンと鍵を閉める瞬間、外から「千尋也ぁああ!!」と泰代伯母さん怒声がかすかに聞こえてきた。

ああ、嵐が去って行く……。



玄関から上がって、冬獅郎くんの元まで戻ると、金ぴかマッチョさん(名前は忘れた)を握ったまま、冬獅郎くんが顔を上げた。



「まるで台風のようだったねえ。ごめんね、ホントは千尋也くんと冬ちゃんのお誕生日会のサプライズ、するはずだったんだけど」



こんなことになっちゃって。とへらっと笑う。

冬獅郎くんの目には、何かの表情が乗っていた。でも、それがなんなのか、拾って読むことができない。

「お誕生日おめでとう」と言うと、さらにそこに色が混じるが、分からない。

うれしい? さみしい? たのしい? かなしい?


ふと、泰代伯母さんの胸に飛び込んだ千尋也くんが頭にフラッシュバックする。

さらにもう一つ、フラッシュバックする台詞。






『お前も、このまま親が迎えに来なければ分かる。親も家族もいない、他人だけの世界』






今は見えない、冬獅郎くん腰のの傷跡。

結局、千尋也くんは泰代伯母さんが迎えにきて、彼の家族の中へと戻っていった。


冬獅郎くんは、迎えが来なかった。


寂しいを凌駕した、『待ってたって、駄々をこねたって、誰も助けてなんかくれない』『他人だけの世界』



今も、冬獅郎くんは『他人だけの世界』に生きているんだろうか。

私は冬獅郎くんの家族になれているんだろうか?



「冬獅郎くん」



見下ろした、今はもう見慣れた白髪が、急激にぼやける。

ぼろっと、信じられない位の大粒の水滴の塊が、自分の両目からこぼれ落ちた。

悲しい、悲しい、悲しい。



もし、冬獅郎くんがまだ『他人だけの世界』だったら、ものすごく悲しい。



「お誕生日おめでとう、冬獅郎くん。生まれてきてくれてありがとう、弟になってくれてありがとう、おめでとう、おめでとう」



ぼろぼろと廊下に涙を落としながら、冬ちゃんを抱きしめた。


なんでこんなに悲しいんだろう。

悲しい思いをしたのは冬獅郎くんで、私はその内容をろくに知りもしないのに、どうしてこんなに悲しくて仕方ないんだろう。



腕の中の華奢なぬくもりがたまらなく愛しくて、本当に、もう彼が傷ついてほしくないとひたすらに思った。



「大好き、冬ちゃん、大好き」



私より頭一つ、小さなマイ弟の首に顔をうずめ、しがみつくように抱きしめていると、細い腕が私の背と頭をくるんだ。

きっといろんな事を乗り越えてきたんだろう、骨張った手が、私をなでる。

どっちが年上だと思う位、なだめるようになでてもらって、涙の浮かんだ目尻にしっかりとキスが贈られた。



落ち着いた声で何か言ったのが聞き取れなかったのは、また日本語じゃなかったから。



ただ、どこに行ったとしても冬獅郎くんを迎えに行きたいと、それだけが苦しいほどに胸を占めた。




















--------アトガキ------


………えへっ。

万死に値しますよねそうですよねまじごめんなさい申し訳ございませんでした!!



という感じの、連載最新話。個人的に、冨樫といい勝負してると思う。……冨樫よりひどいかもしれない。


もうほんとにどの面下げて更新とか……っていうのは自分が一番思っているばってんけれども、今もなお、「更新待ってます!」って声をかけてくださる方達がいてあぁあああもうまじすんませんっしたぁあこの不届き者がぁああ!!


なんかもうここまで来たら、いっそってなかんじで、わざとエイプリルフールにアップしました。

ガチで四月一日に「冬ちゃん連載更新したお!きらっ!」とか嘘ついても、冗談の日でも許されやしねえと心得ております次第で、逆手をとって(?)アップしてみた。



つい最近、リアタイがわりに更新報告兼でついったーも今更はじめてみたわけですが、生きているのか死んでいるのかすら分からない管理人のついったーごときをフォローしてくださる心優しい方が予想以上に世の中にはいらっしゃると知って、世界の暖かさを知りました。

ほんっと更新遅くなってすみません……!




ちょうどそのリアタイをはじめた六年前、大阪の祖母宅にあろうことか冬獅郎連載のネタ帳を忘れ去るという大失態をかましたわけですが、六年の月日を経て、ついに帰還した祖母宅には、そんなもの存在しなかった。


なんだと………。


絶対あるはずだと思った、リビングのテーブルの使われていない方の引き出しの中に、それらしき影もなく……永遠にネタ帳は失われたのであった……

というあきらめはしたくないので、捜索は続行する。


ていうか六年前ってお前……

そりゃ消費税率も変わるし鳴門は終わるし脱色は最終章に入るしコナンも休載するわ。
ネジが生き返ると思った私がおろかでした。

あの頃まだ社会人ではなかった管理人は、その後社会人になり、働き、車の免許を取り、この四月から専門学生です。

ん?(^ω^)

イエス逆戻り\(^ー^)/

そんな人生もありますよね。
学割ってやつを使いたくてうずうずしてる。
とりあえず食うに困らない暮らしのために二年間がんばります。
勉強が辛くなったら、跡部様妄想で乗り切ろうと思ってる。決して跡部帝国の住人ではないんだけど、跡部様なら冷たい目で罵ってくれそうだ。

ドエムか。


跡部様いいはじめたら、管理人は末期です。




あ、あと、雅都也はミツヤ、阿貴也はアキヤと読みます。
千尋也になぞらえて作ったけど、個人的には千尋也の名前が一番気に入っている。
ちなみに三つとも三分くらいしか考えてない。ウルトラマンでも出来る簡単なお仕事です。






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