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悪い方向に転んだと言えば、それまでだ。











11月28日(木) 17;37

ー自宅ー


RRRRR...

「はい、内田です」

『あっ、もしもしー、第一小学校の大塚です、お世話になってます!』

「あっ、どうも、こんばんは」

『こんばんはー。実はですね先日、学校の方で健康診断があったんですけども、冬獅郎くん、健康手帳に予防接種の欄で、麻疹、水疱瘡なんかはまだかかったことも、予防接種も受けてないんですね?』

「えーと、そー…うですね」

『今年は、もうインフルエンザの予防接種はされましたか?』

「いいえ、まだです」

『高校生以下は、インフルエンザも補助が出ますので、時間あったらどうぞ、今月中にでも行っておいて下さいね』

「ありがとうございます」

『いやぁ、冬獅郎くんは体もあまり強い方じゃないみたいですし、予防するに越したことはないですからね! 今年はだいぶ流行るみたいですからねぇ、お母様もお気を付けて下さいね!』

「え、私母親…………いえっ、あのわざわざありがとうございました!」










11月30日(土) 14;11

ー松上市立総合病院ー


扁桃炎の幼児の診察を終えたドクターからカルテを受け取って、次に回す。

そこで彼女は、後輩の男性看護士に呼ばれ、カーテンで二重に間仕切りされた処置室に移った。


「次、インフルの予防接種です。お願いできます?」

「えー、いい加減慣れなさいよ、勝木くん。一人前なれないよー?」

「いえいえ、慣れないわけじゃないんすけどね」

「ほらそうやって逃げる」



にやと笑った看護婦に、勝木は苦笑した。



「違いますよ」

「もー、仕方ないなぁ。じゃあ患者さん呼んで」

「助かりますよー矢内さん。内田さん、どうぞー」



彼女は、勝木が子供が得意でないことを知っていた。
その上で、年長者として窘めるより、からかって甘やかす方を選ぶ矢内に、勝木も甘んじた。


診察室の扉を開けて、呼ばわった患者に、勝木が瞠目する。

真っ白な髪に、大きなガラス玉のような翡翠の瞳の少年は、まるで隙のない狼のようにじっとこちらを見つめ、診察室に足を踏み入れた。



「あーあーもう、今時の子はまるで不良ね。親は何考えてんのかしら」



寄りによって真っ白に髪を染めるなんて、と看護婦が人目がないのを良いことにハキハキとそう口にする。

少年は無反応だったが、勝木は保護者が処置室に入ってこないかと、気にするように入口を見た。


その間にも、矢内はさすが手慣れた様子で予防接種の用意を手早く済ませる。



「あらっ? 君、ハンコ注射はどこにしたの?」



ふと、少年の腕を見ていた看護婦が、あるはずのものが見当たらなくて声を上げた。



「あなた五年生でしょう? 一年生の時に学校で受けなかったぁ?」



二の腕を消毒しながら矢内が問うても、白髪の少年は何も答えなかった。
それに彼女は気分を害したようで、またプリプリしながら少年の右腕を掴んだ。



「勝木くん、この子なら変に泣いたり抵抗しないタイプだから、注射やってみたら?」

「いやいや、勘弁してください」



そんな気味悪い子供、とは言わなかったが、実際、改めて少年を見下ろして内心で、自分に相槌を打った。


矢内が注射器を取り出し、それにワクチンを取り込む様子を、少年が異様な眼差しで見つめていた。

怯えて見る子供はいる。
何が起こるか分からずに見る子供はいる。
興味本位で見る子供もいる。


こんな目で見た、子供はいない。



「はーい、チクッとするよー」



矢内が注射器を少年の右腕に近づけた時、不意に少年が嫌がった。


引かれた右腕に、矢内がため息をついて


「もー、すぐ終わるから」


もう一度、腕を引いた。


少年はやっぱりそれから逃れようとしたが、今度は矢内は手に力を入れていた。大丈夫だから、と強い口調で言う。

少年が動きを止めたように見えた。


矢内もそう思って、再び注射器を近づけた。


勝木が手伝うように少年の横に立って、肩を押さえ、彼の様子を伺うように見た時、はじめて少年の瞳が緑であるのを知った。

白髪も、染めた訳ではないのか?


そう考えたとき、緑と、まっすぐ目があった。



「勝木くん!!」



大声ではないが、矢内が鋭く声を飛ばすのを、意識の外で聞いた。

はっとした時には、勝木は少年が座っていたはずの椅子に押されて後方に尻餅を付いていた。
顔を上げた先には、矢内が血圧計が入ったステンレスのバットを浴びていた。


少年に駆け寄ろうとした勝木に、相当の重量があるはずの総ステンレスの医療用カートが倒されて、中身をぶちまけ、鼓膜が対応しきれないほどの騒音を響かせた。


矢内の悲鳴で、診察室から医師と、医師についていた看護婦が飛び込んでくる。



部屋の中央に立ち尽くす少年は、野生の獣のような異質のオーラを放ち、全ての人間を硬直さしせた。




空気が動かない。




一瞬前の騒音が冗談みたいに、奇妙な静寂が耳についた。


突然、診察室と処置室の仕切りのカーテンが揺れたのすら、無音に感じた。



飛び込んできたのは、子供と大人の狭間の少女。

化粧っけのない顔を引きつらせ、少年を凝視した。


少女の乱入で、空気が動いた。



「押さえろ…!」



医者が上げた声に、勝木が動いた。











11月30日(土) 14;43

ー松上市立総合病院 スタッフルームー




「どうしたものかなぁ」

「勝木くんも、だめだったんだよね?」

「ムリです。連絡付きませんでした」



先程、少年の姉にもう一度電話番号を確かめに行った勝木は、腹立たしそうに息を付いた。

収穫なしに、スタッフルームの全員が重苦しい表情になる。



「ホント、信じらんないわ。親が面倒みない子供って、人様に迷惑かけるのよね」

「矢内さん、大丈夫です? 怪我とかしてません?」

「大丈夫大丈夫、夜中のアルツハイマー組のお爺ちゃん達で鍛えられてるから」

「ああー、また脱走しようとしたんだって? 角田さん」

「あの人も段々ひどくなるのよね、私も先週、足蹴られ続けて罵られて」

「おいおい、それはこっちが解決してからにしてくれよ」



内科の医師が、少年の保険証を見ながら毒づいた。



「この住所に電話しても繋がらないんでしょ? で、勝木くんはどこに掛けたの?」

「姉の携帯から親に掛けましたが、ムリでしたね。向こうの電源が入ってないか、圏外です」

「それで、弟の方は?」

「今、姉と引き合わせてます。拒絶されてましたけど」



看護士が、肩をすくめた。



「ここの診察もはじめてみたいで、カルテもないしね」

「ねぇ………そういえばさ」



少年の保険証を眺めていた矢内が、不意にそこに書かれた住所を指差した。



「この住所の学区、第一小学校じゃない?」

「………。えぇ?」



横から覗き込んだ看護婦が首をひねった。



「そうだったかしら」

「電話してみれば分かるわよ。もしそうだったら、話が進むじゃない」

「あー、そうして。このままじゃ困る」



医師のゴーサインが出て、矢内が電話帳を開き、素早く電話番号を押した。

コール音がなり始め、相手が出るまでの間、いつしかスタッフルームにいる全員が、聞こえもしない受話器の向こうを伺うように、じっと見守っていた。



「……、あ、もしもしこちら松上市立総合病院ですがー、いつもお世話になっております。ええ、ええ。先日の健康診断ではどうもー」



にこやかに、ワントーン高い声で話しはじめた矢内は、ついで、問題の少年が通っているかを尋ねた。

すると、身構えるまでの時間を置くこともなく、矢内の声が更にワントーン上がった。



「あらっ、そうですか、はい、ええ、…………ちょっとこちらで事情がありまして、ご両親と連絡がつかなかったものですから。ええ。………あっ、もしよければ健康手帳でなにか、留意事項なんかありませんでしたでしょうか」



話しながら、矢内は見守るスタッフに向け、空いた片手の親指と人差し指で、小さく丸を作って見せた。

当たった、と誰かが嬉しげに呟いた。



「あっ、すみません。はい…………え?あ、はい、カルテがないものですから。そうなんですか。………ひつがや?」

矢内が不意に、妙な表情をした。

「………ええ。あっ、それは以前の住所が?申し訳ありませんが、教えていただけますか、はい」



胸元のポケットからボールペンを引き抜いた矢内に、すかさず傍にいた看護婦がメモ用紙を差し出した。

そこに書き連なる番号の、あまり馴染みのない市外局番に、メモを差し出した看護婦が首を捻る。



「鳥海市?」

「はい、いえこちらこそ………お忙しいところありがとうございました、はいご丁寧にどうも、失礼いたします」



かちゃり、と電話を切った矢内が、大仰な形相で全員を振り返った。



「たーいへん、この子、前の住所、施設よ」

「え、少年院ですか?」

「あー、どうりで」

「違うってば、院は院でも孤児院よ。児童養護施設。多分、最近貰われてきたのよ。前の苗字も違うし」

「ああ、どうりで」

「なによ、姉だ弟だって言うから……。こないだまで赤の他人だったんじゃない。呆れた」



とりあえず、と疲れたように医師が椅子から立ち上がって、矢内に言った。



「そこに電話して、きちんと話出来る大人呼んで。引き取られた子供が問題起こして、手が付けられないんだから、その始末は施設の仕事でしょ」







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