066




「冬ちゃん」

「……………」

「冬獅郎くん」

「……………」

「我が弟よ」

「……………」



ちっ、駄目か。


居間にて、宿題を広げたテーブルを挟んで向かい合ったマイ弟は、私の呼びかけにもはや、反応すら示さない。

朝から何やかにやと話しかけた結果、いい加減相手にされなくなった。

冬獅郎くんに喋らせたくて、しつこい位に声をかけているのが丸わかりである。
自分でも流石に鬱陶しいと思う。そっとして自然に口を開ける環境を作ってあげるのが一番だとも思う。


しかし理想通りに自分を制御出来たら、誰も苦労しないのである。



ススス、とテーブルを回り込んで、冬獅郎くんの右隣にぴたりと張り付けば、あからさまに警戒したように状態が少し退いていった。
まことに失礼だ。



「ね、今日の晩御飯。なにがいい?」

「……………」

「お姉ちゃんなんでも作りますよー」

「……………」

「そっ、それともお姉ちゃんの料理………不味い? うぅっ」

「……………」

「……………」


ミエミエの泣き落としは、軽く流された。まったくドライな弟である。

晩御飯、ドライカレーにしてやろうかしら。



「ねぇ冬ちゃん、お姉ちゃんって呼んでみない?」

「……………」



ドライカレーで決定だ。

知らないんだから、カレー粉たっぷり入れてやる。冬ちゃんのにだけ。

恨みがましく冬獅郎くんを見たが、白髪が大人しく動いているだけである。

でもこの子、結構スパイスきつくても、ペロッと食べちゃうんだよなぁ。

私なんかは、家でカレーなんか作る時は絶対ルーは甘口と中辛混ぜるんだけど。





そんな予想に違わず、カレーパウダー多めのドライカレーの夕食も涼しい顔した弟の口へ、するりと消えた。

だよねぇー、そうですよねぇー。


盛皿にうっかり白い皿を使ってしまって、軽い色素沈着を起こしたそれをスポンジでこする。
やや辛い吐息がシンクに落ちていった。


あとでヨーグルト食べよう。舌がピリピリする。



ようやく白さの戻った皿を水切り籠にあげて、手を拭いた私の耳に、聞き慣れた電子音が響いた。


リビングに駆け戻ると、扉横の電話が断続的にベルを鳴らし、ディスプレイを光らせていた。



「もしもし、内田ですが」

『ああ内田さん! 先日は思いがけないことになりまして、本当に申し訳ありませんでした!!』

「…は?」

『こんなことになるとは考えもせず、もうなんと言っていいか――――』『なにしとんじゃワレごるぁああ!!』

「……………」



名乗りもない電話にポカンとしたのは最初だけ。

必死に謝る男の人の声を押さえて割り込んできた、受話器から響く暴言の女声には、嫌と言うほど聞き覚えがあった。



「あー………お母さん?」

『まだ話は終わっとらんのに、あんたに謝る資格も釈明する権利もあるわけないだろうが!!』『すみません!本当にすみません!!』

「あのー…………」

『なんで逃げる? なんで逃げよるんか!?』『許してくださいー!!』



ブツッ。ツーツーツー…………



「……………」



そっと、受話器を戻した。



本気だ。うちの母親、本気だ。

近所の噂好きのおばさんの時も、年甲斐もなく三十路ヤンキーとガチンコ対決した時も、ここまでキレてはいなかったと思うが。

オトンはすでに殉職済みなのだろうか。気配はなかった。



電話向こうのやりとりを思い出してみたら、相手の男性の声に心当たりがあった。



「あれ、大塚先生?」



情けなく歪んでいたが、あの声の張りは間違いなく、快活な冬獅郎くんの担任のものだ。

なんで大塚先生?
今回の件で、そんな謝ってもらうようなことがあっただろうか?


首を捻った先に、冬獅郎くんが立っていた。

ドキッとした。
冬獅郎くんの翡翠の瞳が、驚くくらい鋭かった。



「冬ちゃん………」

「…………」

「お風呂、一緒に入ろっか?」



へらっと笑ったら、急速に視線の鋭さは萎んでいって、背中を向けられてしまった。

ちょっとその仕草は、お姉さん寂しいかもしれない。


しかし、私がその背中に飛びつく前に、また電話が鳴った。

終戦報告だろうか?

間近にいたためにワンコール目も最後まで聞かずに取れば、相手は少し面食らったようだった。



「はい?」

『祐? お父さんだけど』

「うん、大丈夫?」

『なんとかね』



朗らかにそう答えてみせた父親は、偉大だと思う。

私だったら、あんな修羅場、とてもじゃないが居たたまれない。


私の横をすり抜けて、リビングを出て行ったマイ弟を寂しく見送りながら、小さく心を決めて、



「ねぇ、あのさ………」



今回の事件について真相を尋ねるため、少し重い口をゆっくり開いたのだった。














両親が帰ってきたのは、深夜になる少し前だった。


日付が変わる前の帰宅は予想より早く、部屋で寝ている冬獅郎くんとは別に、リビングで読む気もない英単語帳を眺めていた私は、それをテーブルに伏せた。



「お腹空いた」



こちらは予想していた通りの母親の発言に、ドライカレーとワカメスープをレンジにかけて、冷蔵庫からサラダを取り出す。



「さっすが、我が娘」



いつもと同じ調子でそう言って、辛めのドライカレーをものともせずに豪快に平らげた母は、そのまま風呂に行ってしまった。


電話ではなんだから、と帰ってから話すという約束が、宙に浮いたままだ。



「ただいま」



車を駐車して、遅れて帰った父にジト目を送ったら、成り行きを理解したように苦笑した。



「お父さんから話すか」

「どうぞよろしくお願いします」

「あのね……」




お前は誰も憎むんじゃないよ、と父は小さく微笑んだ。












101012


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