061


翌朝の9時になっても、冬獅郎くんは帰って来なかった。


心配で眠れないなんて言いまわしがあるが、それもよく分からなかった。

布団を敷いて寝ることが不謹慎といおうか、そんなことも出来なくて、分針が少し動く度、彼が玄関の前に来てるんじゃないかと、何度もダイニングと玄関を行き来した。


端から見たら、サンタを待ちわびる子供みたいな行動も、深夜まで続いて、近所の人に睨まれてしまっては笑えない。


部屋の中に戻っても、一人ではじっとしていられなくて、自室のベランダに出た。




昼間に雨がふったせいか、やけに寒さが染みる夜だった。


こんな中、冬獅郎くんは馴染まない街を一人いるのだろうか。





いつか、まだこの家に冬獅郎くんが馴染まなかった時、エアコンの室外機の横で縮こまっていたスペース。

そこに座り込んで空を見上げたら、朝焼けが始まった空が心模様と正反対に晴れ渡っていた。












朝一番にしたのは、高校に風邪で休むという旨の電話だ。

その次に、大塚先生から電話がかかってきたが、朗報を伝えることはできず、10時まで家の周囲をぐるりと回る。
それでもやっぱりマイ弟の姿はなくて、ほとんど考えることなくマンションの前で、昨日もらった名刺の番号に電話を押していた。





コール音は聞こえなかった。

自分が何をしているかもほとんど認識していない位ぼうっとしていて、相手の「もしもし」の言葉にはっと我にかえった。



「あの、内田ですが」

「はい、内田さん?」



明るい、まだ若い女の人の声だった。
その声を聞いてから、どう伝えるのか、まるで考えていなかったことに思い至った。



「あの、あの………」

「大丈夫ですよ、どうしました?」



優しい声が、ホットドリンクを飲み込んだみたいにじんわり染みて、

ようやく一つ、呼吸が出来た気がした。















どうぞ、と出されたのはハチミツ入りのレモネードだった。

びっくりする位大きなピンクのマグカップに、強ばっていた頬が緩んだ。





促されるまま訪れた児童養護施設は、例えるなら民宿と民家と学生寮を足して割ったような外観の建物だった。

近頃では珍しくなりつつある磨り硝子のスライド式の扉をくぐれば、木板の廊下がまっすぐに延びていて、昭和の雰囲気がする。


磨き込まれ、年季も入った黒光りする廊下に朧気に映り込んだ自分の影と目があった。





最初に出迎えてくれたのは、電話に出てくれた女性職員だった。

岸名と名乗った彼女は、電話では察することの出来なかった戸惑いの表情をかすかに滲ませて、それでも笑顔で職員室にあるストーブ前のソファへ誘ってくれた。



「もうすぐ院長先生も出先から戻ってこられるから」



離れたデスクには、顔色の悪い、木の枝を思わせる細面の男性が座っていて、不安そうにこちらを見ていた。

その余りの顔色の悪さに、なんだかとても申し訳ない気持ちになる。





平日であるがために、子供の姿は無かった。
だが、風邪気味の小学生二人に、中学生一人が奥にいるのだと言って、岸名先生は断りを入れて昼食を食べさせるために席をたった。


ふと、どうやら職員らしい顔色の悪い男性に視線を向けたが、オドオドとした仕草であからさまに顔を背けられたので、仕方なく私は大量のレモネードでひたすら時間を潰した。

しかし大量の水分の見返りとして、すぐにトイレに行きたくなった。


岸名先生がいないので、仕方なしに例の貧血気味のような男性職員に、そっと尋ねる。


「あの…すいません、お手洗いどっちでしょうか?」

「そっ、そっちです」



視線も合わないまま指さされたのは廊下の方で、私は思わず沈黙してしまった。



「右の方の……行ったら左手に」

「あ、分かりました…」



困った顔になっていたのは私より、相手のようで、分からなかったけれど、そう言った。


見事な木板の廊下に出て、とりあえず右に行く。
ひたひたと冷たい廊下を辿るのは気持ちよかった。


しかし行けども行けども、それらしき扉が見当たらない。
どう見ても個室にしか見えない所まで行き着いて、ため息をついてUターンした。

案内してもらえばよかったか。



「あ、れ…」

「うん?」



小さな声が聞こえて、振り返ったら小さな女の子がいた。

わき道のように分かれた廊下から現れたらしい少女は、額に冷却シートを貼って、パジャマ姿だった。



「こんにちは」

「こん、にちは……」



ふぅー、と疲れたように息を吐きながら、女の子は揺れるようにして頭を下げた。



「せんせ、戻ってきたの?」

「先生? どの先生のこと?」

「かずら……はたせんせ、」



ふーっ、とまた女の子は息を吐く。
不安そうに、瞳がきょどきよどと動いた。



「今はいないみたいだけど、捜してるの?」



そう聞くと、彼女は勢いよく左右に首をふって、振りすぎたのかふらついて壁にもたれかかった。

近寄って「よいせっ」とばかりに抱え上げたら、小さな体が熱かった。

首筋にかかる吐息も弱いドライヤーの温風のようだ。



「お姉ちゃん、だれ?」

「あのね……えーっと、…冬獅郎くん、知ってる?」

「……ひつがやくん?」



ひつがやくん。

だれだそれ、と思って違うと否定しかけて、いつぞやの体育帽事件を思い出した。

変わった名字だったけれど、もしかしてあれは、ひつがやと読むのじゃないか?



「あのー、髪が真っ白しろな…」

「ひつがやくん」

「あ、うん。ひつがやくん」

「ひつがやくん、いるの? とりにきたの?」



とる、の漢字が当てはまらなくて、頭をひねった。



「かずらはた先生、もうすぐとりにくるの?」

「何を“とる”の?」

「ちぃもなの? もうすぐ来るの? うっ、ふっ、」



興奮して、泣き出してしまった。

なだめすかして、少し落ち着いた頃に女の子が言ったのは、カメラはイヤ、の一言だった。

それでも事情は分からなかったが、葛畑先生がカメラで撮りにくるのがいやらしい。


解読に苦しんでいる間に、岸名先生が奥の部屋からお盆を持って現れたため、話はそれまでとなってしまった。















「ごめんなさいね、お待たせして」


ここに来てから一時間半も過ぎただろうか。

レモネードは完全に冷め(しかしまだ三分の一程も残っている)、時計を見上げる気力も無くした頃に、玄関の開かれる音を聞いた。




院長は、初老の女性だった。
髪に白いものが混じっているが、染めることもなく、ふっくらとした顔は慈愛というのだろう、ほっとする優しい微笑みを浮かべていた。



「はじめましてねぇ、眞知子さんに聞いた通りの、可愛らしい娘さん」



疑念もなく母の名前を出した院長先生は、私のことを知っているようだった。

ソファーの反対側に腰を下ろすと、私のピンクの特大マグカップを見て、「あら、いいわねレモネード!」なんて子供みたいに笑うと、岸名先生に自分の分もとねだった。

ずいぶんと…なんといえばいいのか、可愛らしい御仁だ。



「さて、ところで冬獅郎くんのことだったわね?」

「あっ、はい」

「いなくなってしまったのは、いつかしら?」

「昨日の夕方で…。スポーツ少年団が終わった後です」

「まぁ、少年団! 冬獅郎くんは何をやっているの?」



空手です、と答えたら、背後の増見先生がビクッとしたのが分かった。院長先生はやっぱりニコニコして、「さぞかし強いんでしょうねぇ」なんてのたまった。

……冬獅郎くんのケンカの腕っ節のことを言っているのだろうか。


タイミングよく現れた岸名先生が、院長先生の分のレモネードとサンドイッチの皿をテーブルに置いた。



「お昼も回ったことだし、食べてね」



そう言って、院長先生が笑んだのとほぼ同時、事務室に見覚えのある男性がきびきびとした動きで入ってきた。

葛畑先生だった。


葛畑先生は私と目が合うと足を止め、それから院長先生と目を合わせた。



「冬獅郎くんがね、行方知れずになってしまったんですって」



私が葛畑先生に昨日の礼を言うべきか迷っている間に、院長先生が私に向き直った。



「それで、脱走はこれで何度目になるの?」



はじめて心配そうな顔になって、至極真面目に院長先生がそう問うたものだから、私は思わず面食らって声を上げてしまった。



「はじめてです!」













ーーーーーーーーアドガキーーーーーーーー


長いよお母さん…っ!

ということで、ヒロイン母の名前を勝手に眞知子さんにしてしまいましたが、なにとぞご了承いただければ幸いにございます……。



夢だよな……愛と希望にあふるる夢小説だよな………。と思いつつ、異様にストーリーに偏った内容となっておりますが、もうなんか止められません。

この山を簡単に終わらせたら、それはそれで今後がちゃちい話になるよなと思う一方、重すぎるよバーロー!と脳内でコ○ンが叫ぶこの葛藤。BGMはw-i○ds.のパラドックスでお送りしております。



ゴールが遠いよ。800mの中距離走だと思って走り始めたら、驚くことに42、195kmのフルマラソンでしたみたいなそんな罠。

こうして世の漫画家はシリアスのドツボにハマっていくんだな………(※自説です


私はいつかほのぼのに生還してやるんだから…っ!



100502


- 61 -
|
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -