上がった息をごまかすように、日番谷はゆっくり息をはいた。


砕け散る虚の仮面を見届けながら、背中へと斬魄刀を戻す。

カチン、と氷輪丸の柄が鳴って、鞘に納まった。



「―――謳え、夢枕」



静かな女の声が、冬の澄み切った空気に、妙にハッキリと流れた。

滑らかに回らなかった日番谷の首は、ゆっくりと振り返ると、そこには夢子が握った斬魄刀にもう片手を添えて、立っていた。


冷え切った瞳が日番谷を捕らえ、じっと見つめていた。

それを確認出来たのは、ほんの一瞬。
次に瞬きをした時には、日番谷の周囲の風景は変わっていて、夢子の姿は消えていた。



「………幻術の能力か」



回りは荒れ地が広がり、恐らくは流魂界と思われた。
これが現実でないのは、時折歪む空間を見れば一目瞭然で、使い手の実力不足は明らかだった。


とはいえ、それは本人も承知の上と思われ、彼女の真意も完全な幻想を見せることでないようだった。



「覚えてますか、日番谷隊長」

「何をだ」

「昔、瀞霊廷に虚が紛れ込んだ事件です」



どこからか夢子の声は聞こえてきたが、彼女の姿はない。

おそらく術の“外”にいるのだろうと察せた。



日番谷は黙ったまま、荒野を眺めたが、頭を捻る様子もなく、彼女が言う事件のことは分かっているようだった。



「図体のデカイ虚だった。頭は悪いが、妙に鼻の利いてすばしっこい。九年前、瀞霊廷から流魂街に逃げ出した虚がいた」



日番谷はそう口にし、足を動かした。

乾いた大地は砂が舞うはずだが、わらじが砂をにじる音さえない。


これはおそらく作られた世界ではなく、彼女の記憶を形成した類の幻想なのだろう。

今まで夢子と任務を共にしたこともなく、先程の雑兵戦でも彼女の戦法を凝視していた訳ではない日番谷には、彼女の始解を把握していない。







この亜空間の中にあって、彼女の術中だからか夢子の憎悪が空間を形成するものをに混じって日番谷を取り巻いていた。

重苦しく、冷たい。息が詰まりそうなそれは、ひどく頑悪に蔓延っていた。



「俺の隊も捜索に出て、最終的に虚は流魂街76地区で退治された。この場所で」



日番谷が足を止めたのは、大きな岩が多い場所で見通しが悪かった。



「そうです、最終的にここで退治されました。でも最初は違った。追って追って、追い込まれて、虚はここに来た………」



最初は瀞霊廷、次は治安のいい流魂街、それから順を追うようにして。



「この76地区に入った途端、一瞬で退治されました」



そう彼女が言った瞬間、日番谷の耳に、自分のものでも夢子のものでもない声が入った。



背後から幾人もの子供達が走り、日番谷を追い越した。

金切り声のような響き渡る声が更にそれを追い、日番谷を透かして黒い大きな虚が砂塵を舞い上げて姿を現した。



九年前の虚だった。











ティラノサウルスのような足をした虚は、無造作に逃げ惑う子供達を踏み潰した。

漁るようにして子供を手で跳ね退け、時にはほとんど興味もなさそうにしながらも口に放り込む。



まさに地獄絵図だった。





そのとても直視出来ない光景を、日番谷はじっと見据えていた。

固く握られた拳に、血管が浮かび上がっていた。





岩影の隙間に身を寄せていた少女が、虚の手をすんでのところですりぬけた。

泥にまみれ、傷んで縮れた黒髪が風に揺れる。


血の気のひいた青白い顔に恐怖を張り付けて、それはまぎれもない九年前の夢子だった。



『ニオイ………ニオイ………オォォオオ………ッ!!』



嬉々として、虚は夢子を捉えようと腕を延ばした。





シャンッ!!





荒れ地に、一瞬にして咲いた氷の華。

夢子に腕を延ばした虚を囲むように、氷が浮かんでいた。



振り返った日番谷が、荒野の遠く、鏡に映したような白髪と白羽織の姿を認めた瞬間、景色は歪んでいった。


最後に見えたのは、岩場に散らばる亡きがらを呆然と見る、少女の姿だった。

















「虚の大脱走。この事件に関して、数多の資料の全てで称賛の言葉が並んでいます」



長い逃走にも関わらず犠牲者がほとんど出なかったこと、虚の逃走中、各地区で死神の連携により随所で防衛線が引けたこと。

犠牲は、76地区の子供達だけだった。



「やり切れません。日番谷隊長………何故76地区に死神は来なかったんですか……はかったように76地区に虚が逃げ込んだ途端、あっさり退治されたのは」



76地区なら、虚と戦っても、被害が出ても、構わないと。



「貴方じゃなければよかったのに……」



退治に来たのが貴方でなければ。



日番谷の前に、斬魄刀を握る、泣き顔の夢子が立っていた。



『隊長!!』



遠く、乱菊の声が聞こえたと思った瞬間、引き上げられるように日番谷の意識は急速に浮き上がった。

目の前の夢子が、縮むように遠退く。



「山田!!」



怒鳴るように日番谷は夢子の名前を呼んだが、かなりの距離にとおざかった彼女は両手に顔を埋めて泣き、そのまま日番谷の視界は霧にうもれるようにして真っ白になった。







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