12.




お花見はまた明日かなあ、それとも、検査が二時間以内で終わるなら、夕焼け花見としゃれ込めるか。


病室の壁掛け時計を見上げて、そう暗算したとき、バサンッ!という派手な雑音が部屋の空気をかき乱した。
驚いて、自分の意思も関係なく、両肩が跳ね上がった。


なにごとか―――

見れば、ティエリアくんが今まで持っていたはずの本がデスクの上に乱雑に放り出されていた。

視線を滑らせると、不快げに車椅子に座る彼がいた。
看護師さんは、仕方なさそうに苦笑まじりのため息をつくと、てきぱきと検査の準備をはじめる。


慣れた様子、というのがいい表現だろう。


ティエリアくんの方の様子を表すとすれば………



「またふてくされてる」



低く、心地よく渋みを帯びた声が、そう言った。

ああそう、まさしくふてくされてる。



あまりにしっくり来た表現に笑ってしまいそうになりながら顔を上げると、開けっ放しだった部屋の扉から白衣のその人が、ゆったりとした歩みで入ってくるところだった。

失礼かもしれないが、どこか気の抜けたような風体の医者だ。

精悍で意志の固そうな面立ちを、どこか粗っぽい無気力感で覆ったような印象。
私服であったらとても医者とは思わない。

ドラマで異色のベテラン刑事役とかやったら、ものすごく似合いそうだ、と心の内で一人ごちる。



「アンタさん、噂の彼女?」

「えっ、はっ!?」

「日々、不法侵入してる通い妻がいるって聞いてたけどねえ」

「はっ!?」



静かなしゃべり口調に合わない、ずけずけとした言葉列。

私としたことが、切り返しが上手く出来ない。
不覚だ。


私の横を通り過ぎた医者は、その独特の妙な脱力感のある動きで車椅子の前に片膝をつくと、ティエリアくんの足を診はじめた。



「アンタ、これのいい人なら、この根性曲がりの根暗をなんとかしていただけると有り難いんだがね。足、反対」

「根性曲がりの根暗………」

「ああ、彼氏の悪口許せないタイプ? 悪いが躾の悪い患者には愚痴の一つもこぼしたくなるもんだ」

「相変わらず、よく回る無駄口だなドクター。触診も黙って出来ないのか。ついでに彼女はただの宅配便だ」

「た、たっきゅうびんだと………」

「君の減らず口には負ける、ティエリアくん。手術受けるって言いたくなるまで黙ってみたらどうだ」

「死にたくなったら受けることにする、押し売りどうも」

「彼女、これどうにかしてくれないか」



看護師からカルテを受け取りながら、淡々とぼやく医者の、白髪の混じり始めた髪が重そうに揺れる。

四十過ぎと見受けられる医者はしかし、ティエリアくんの反発も私の返答がないことも気にした様子はなく、なにやら看護師と打ち合わせをしている。


ティエリアを見れば、不機嫌も絶頂のオーラを全身で吐き出していた。
正直、声をかけたくはない。



「ティエリア。手術同意書にサインするのと、心理カウンセラーを受けるのでは、どちらがいい?」

「ドクター、いい加減にしてくれ」



イライラを隠しもせずに、ティエリアはカルテをめくる医者を睨みあげる。



「メスで切り刻まれるつもりも、サイコアナリストに一般論を憐れみったらしく教わるつもりもない。何度言えば分かるマッドドクターめ! そんなに珍しい症例を経歴にしたいなら他を当たれ!」



ティエリアが車椅子の手すりに、裁判官の木槌のように拳を振り下ろした。

今度こそ、ビクンッと私の両肩が跳ね上がる。

先生、と看護師が焦ったような声がした。



「さてな、手術を受ける勇気がないのか、世捨て人を気取ってるのか知らないが、また厄介な思春期だか反抗期だ。贅沢ものだなティエリア。そんなに病院が好きならいつまでもいればいい」

「先生!!」



看護師が、今度ははっきりと声を上げた。

ティエリアの声はない。
振り返ると、彼はうなだれるように俯いていた。

医者の言葉が堪えたのだろうか――?

そう思った。でも



「先生、なんてことを!」

「薬、持ってきて」



看護師は足音もはばからず、空気を突き破るように病室を飛び出していった。

医者は流れるような手付きで白衣の胸ポケットから聴診器を取り出して装着し、ティエリアの胸に当てようとした。


が、細く白い手がそれを振り払う。



ティエリアが顔に苦悶を滲ませながら、それでも医者を睨んでいた。

医者は真顔のままそれを見返したが、ティエリアは見る間に顔を紫色に染め上げていく。


私の全身が、戦慄でわなないた。


何が起こった…!?

彼がこのまま死ぬんじゃないかと、訳も分からない恐怖にガクガク震えた。

心の方か体の方か、寄る辺を求めて私が医者の肩を掴もうとした時、ティエリアがスローモーションのように前へと体を倒した。



落ちる………!



車椅子から浮くように離れたティエリアは、意識せずに受け止めたらしい私の腕の中に収まった。
医者は今度こそ聴診器を彼の胸に当てた。


抱えたティエリアの身体は、こちらが寒気を覚えるような、気持ちの悪い冷たさをまとっている。


淡々と落ち着いた医者の診察は、焦りを覚えたらいいのか、安堵すればいいのか。



「ベッドに運ぶぞ」



医者が次に発した言葉がそれだった。

それは多分、二人で持ち上げるという意味だったのかもしれないと後で思った。
しかしそれを聞いた瞬間、機械仕掛けのからくり人形のように、私はお決まりの掛け声も上げずに、ティエリアを抱え上げてベッドに乗せていた。

はじめて医者が驚いたような顔を見せたのとほぼ同時に、薬を持った看護師が病室に駆け戻った。


パジャマの上衣がはだけられて、ティエリアの青白い胸板が晒される。
















100907


- 12 -
[*←] | [→#]
back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -