9.
歯医者の後のティエリアくんの部屋へのご訪問に、もう迷うこともなくさくさく道を選んで進む。
シドニィ・シェルダンはもう読み終わっただろうか。
代わりの本で重みを増したスポーツバッグを抱え直し、廊下を歩いていると、珍しくさくら棟で行き会った看護師さんに声をかけられた。
「おや君、誰かのお見舞い?」
「え……あ、はい、ティエリアくんに会いに」
その返答がずいぶん意外だったらしく、小柄な男性看護師は細い目を開いて驚いた様子を隠さなかった。
「ティエリアって……ティエリア・アーデくんかい?」
「はい、そのアーデくんです」
「なんでまた」
「………はい?」
突飛ですらあるその返しに私はぽかんとしたが、相手も相手で珍妙なものでも見たかのような顔でこちらを眺めていた。
しばらく無言で互いを見つめ合っていたが、
「血縁者ですか?」
自分でも有り得ないと分かっているが、他に回答を見いだせなかったらしい看護師さんは、眉をひそめつつそう口にした。
「いえ、まさか…」
「だよねえ。じゃあ…何?」
「えっ…と、友達………ですかね?」
聞かれたって困るだろうが、どこかつっけんどんな話し方をする看護師さんに、たじたじになっていたチキンな私を誰か許してほしい。
そういえば私は面会許可とかそんなものも得ずに、このさくら棟に出入りしているし、面会時間とかもよく知らないし、とかそんな負い目が思い浮かべば、知らず畏縮した。
「友達?」
「みたいなもの…ですけど。あの、勝手にここ入ったらダメでしたか?」
「え? ああ、ティエリアさんには別に面会制限なんて掛かってなかったはずだけどね。病状も安定してるから面会時間内は見舞は自由だけど」
「えーっと、じゃああの、行ってもいいですか?」
「ああ、はい」
遠慮なんて知らないような視線に追い掛けられながら、看護師さんに頭を下げ、私は早足に廊下を行き過ぎる。
まだ背中に男性看護師の視線が張り付いている気がしたのを、病室の扉を閉める事で断ち切ろうとした。
「……あ、こんにちは」
「また来たのか」
「いや、本貸してるし、普通に来ますけど……」
さっきの看護師さんとは対照的に、ベッドに半身を起こしたティエリアの視線は早々に私から離れていく。
今度はそれに追い縋るようにベッドに歩み寄って、私は椅子に腰掛けた。
「もう全部読んだの?」
「ああ」
「早いねー」
サイドテーブルの上に積まれた本を手に取り、新たに借りてきた本と入れ替える。
「今回はファンタジーにしてみました。童話物語って知ってる?」
「随分昔に読んだな」
「え、そうなの?」
「日本語ではなかったが」
「そっか……」
分厚い童話物語のページをパラパラとめくる彼に、後数冊の本もスポーツバッグから取り出して差し出す。
受け取る彼の、病的に白い―――実際病気なのだが―――指先を見ながら、先程の男性看護師の言葉を反芻して、口を開いた。
「ねぇ、私以外に誰かお見舞とか…来る?」
口に出してから、無躾な質問だと後悔した。
実際、彼のページを繰る手が止まったし、ティエリアくんの顔なんてとても見れたものではなかった。
「いや、あの、さっき看護師さんに会ってさ。尋問されたからさ。いやー、私、勝手に病室とか入ったらダメだったかと思って冷や汗かいたよー」
若干引き攣る顔で笑みを形作り、真っ白で何の模様もない布団のシーツを見ながら私はまくし立てた。
「都合とか聞かずに一方的に会いに来てるけど、考えてみればこの間みたいに看護師さんが体温計りに来てたりとか、誰か来てたりとかするんだよね。あの、いやもう……なんていうか………」
「なんだ」
そっと顔を上げたら、無表情なティエリアと目が合った。
人形みたいに綺麗な顔は、それこそ人形じみて無機質だったが、その瞳は最初に会った時の印象を鮮明に思い出させる位に、虚ろだった。
まるで意識がないかのようでさえあるその目が、不意に怖くなった。
「あ……。いや………いや! なんだほら! だったらもうアレだよ、なっ、うん、もう毎日来ていい!?」
「は……」
「ワオ、ティエリアくん独り占めじゃないの、私贅沢〜! これってあれか、ランデブーってやつか? 特に誰か来る予定とかなかったらと思ってね! ダメですか!!」
「いや………」
呆気に取られた彼の目は、ちゃんと私を見ていて、虚ろの影もなくて、私はこっそり安堵の息を吐いた。
「それは構わ……いや、毎日!?」
「あ、オッケーね!? いやーこれで桜が毎日見れるわ」
「っ…、そもそもお前は、何でこんなところに毎回飽きもせず来る」
「いーじゃないの、友達でしょ? というかそう看護師さんにも言っちゃったわ。私も本の批評聞けて楽しいし………何、今更来るなとか寂しいこと言わないでよ」
「まだ何も言ってない」
さも呆れたようにため息をついたが、ティエリアはどこか困ったように笑った。
「お前は、変わっている」
「え、そう?」
「………何故そこで喜ぶ」
「私にとっては、変わってるは褒め言葉だよ」
「………変人」
「………それはまた、響きが変わってくるよね」
くつくつと笑うティエリアは、まったく隙のない美人さんで、つい何でも許したくなるが、私の名誉の為にもむっとした顔のままでいた。
「来ればいい」
「あん?」
「明日も、明後日も」
眼鏡越しに、すっと細められた赤い目で意地悪に笑われて、思わず顔に血が昇った。
肩に引っ掛けられただけのピンクのカーディガンを片手で押さえる美少年に、反則だと呟いて片手で顔を覆った。
。.。.。.。.。.。.
うちのティエリアさんはいくらでもデレます。笑いますし口説きます。
地味に管理人の脳内ではもっとやりたい放題でしたが、だんだんティエリアじゃなくなって行ったので自重しました。
童話物語は、ソフィーの世界並の厚さがありますが、かなり読みやすくて、まさに童話な物語。
重厚なストーリーに慣れてらっしゃる方には物足りなさを感じるかもしれませんが、内容はともかく文章は易しめのお話です。
ちなみに変わってると言われて喜ぶのは、管理人の話。
いいじゃない、個性的。という精神。
しかしランデブーは古かった……
090708
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