俯瞰する宇宙



「おれさ、思うんだけど。人生って、その 人間が生まれた瞬間にもうぜんぶ決まって るんじゃないかって、結論づけてもいいか なって」

真夏。 ひとり暮らしのおれを訪ねて来た彼は、 おれがドアを開けるなりそんなことを言い 放った。 べつに、語られることが困るわけではな いのだ。
彼には世話になっているし、女性 を連れているわけでもないので追い払う理 由もない(まえに女子を三人ほど連れて来 たのだ)のだが、ただおれの、ドアを持っ たまま硬直せざるをえないこの状況だけは 理解していただきたいと思う。
彼はふむふむと大袈裟にうなずき、額に 浮いた汗をぐっと腕でぬぐった。彼のその しぐさで、おれはハッと現実に帰ってき た。

「運命論ってやつですか」
「運命≠ニただそれだけで括ってしまう にはすこし惜しい気もするね。おれたちは 常に新しいものとの邂逅を渇望している し、運命は変えられるなんてことも言って いる。でもおれには後者は理解できない」

本当にこのひとはなにをしに来たんだろ う、とおれは首を捻った。なにをしたいん だろう、とも。

「えっと……とりあえずあがりますか?」

頬をひきつらせながら問うと、彼はバッ と前髪を払って、うなずいた。……暑いの なら素直に暑いと言えば良いのに。どこか 格好つけたところが、いかにも彼らしく て、おれは彼をリビングに通した。
リビングには冷房が効いている。 べつに彼が来ることを予期していたわけ ではないが、今日はとにかく暑くて、おれ も三十分まえにつけたばかりであった。今 日はなにも予定がないというので冷蔵庫か ら冷えたビールを取り出して、缶をふた つ、ひとつは彼に渡してひとつ自分用に開 ける。

「おれは構わないけど、伊月くんは昼間っ からいいの? ノンアルコールビールじゃ ないでしょ、これ」
「今日はなにも用事ないんで。森山さん、 帰りはタクシー拾ってくださいよ」
「今日は泊まる」

彼は──森山さんはさらっと言って、缶 ビールのプルタブを外す。癖らしい。い や、こだわりと呼ぶべきか。缶ジュースに しろなんにしろ、プルタブは外さないと気 が済まないらしく、おかげで気づけばリサ イクルに出せそうなほどプルタブがたまっ たような気がする。
おれにはそんなこだわりはないが、森山 さんと飲むときは、その仕来たりを真似る ことにしている。なんのことはない。それ がおれのこだわりなのだ。

座卓にふたつ、プルタブがならぶ。 おれはそれを指で並べながら、となりで ビールを飲む森山さんを見つめた。
彼はひ とくちを飲み、アルコールを確かめるよう にくちびるを舐めた。

「さっきの話だけど」
「運命がどうのとか?」
「そう」

なぜいきなり、と目を細めるが、彼はあ まり気にしていないようで、暑い、ひとこ とぼやくと、またひとくちビールを飲ん だ。
本当になんの予定もないのだろう、 ペースが早いような気がする。

「おれ、思うんだけど」 「さっきも聞きましたけど」 「ちがくて」

森山さんは缶の側面をつめで叩くと、苦 虫を噛み潰したような顔をした。ぎりと。 音すら聞こえてきそうで、おれはぱちくり とまばたきをした。彼にしては珍しい表情 だ。

「どうしたんですか。また女の子にでも振 られましたか」

そういえばこのひとが愛を口説くときに よく利用する言葉が運命≠セ。自分とき みはまさしく運命の絆で結ばれている!! だなんて。おれにとっては女子がそんな 言葉で落ちるだとか、そんなことは考えが たいことなのだが、彼にとっては違う、立 派なポリシーであるらしい。 いまでも、運命を変えることはできない ──そう結論づけるというのだから、きっ と考えは変わっていないのだろう。 おれもビールをひとくち飲む。冷蔵庫の なかには、あとどれだけストックがあった だろうか。こうしてたまに誰かが来るか ら、おれはそれなりの数の酒を冷蔵庫にス トックしている。

「伊月くんはさ、どうおもう?」
「へ? どうって?」
「運命は書き換えられるものだと思う? それとも、やっぱり最初から決まってると 思う?」
「…………」

笑い飛ばすには真剣な疑問だ。
おれはくちびるを開きかけて、やがて閉 じた。なにを意図しているのかの数式を解 かねばならないわけで、おれはまばたきを 数度して、答えるまえに喉にアルコールを 通した。

「おれ、結構めちゃくちゃなことばっか考 えてますよ」
「たとえば?」
「運命を変えたとは思っていても、結局そ のひとがどうするように設計されているの かは誰にもわからないわけで、変えたと 思っていた運命が本来のものなんじゃない のかなって」
「…………」
「変でしょう?」
「変ではない。ただ、確かにおれはそんな 返事をはじめて聞いた。それだけだ」

森山さんは、そうか、書き換えた筋書き が実は正規なのか、と意味深につぶやき、 ビールを飲みすすめる。

「なにゆえひとは運命というものに惹かれ るのか」
「……はぁ」
「神秘的だとは思わないか。占星術云々で しか必要性は感じないものだぞ。それなの にひとは運命に惹かれ、運命に翻弄されて いく。限界など当に知れていても、運命に 負けて努力をする」
「……それは」
「おれときみの話だよ。昔のね」

負けじと時間を重ねていたあのころのこ とをいっているのだろうか。懐かしい、と ひそかに思う。昔と呼べる時間にまで、あ のころは遠ざかっていた。大人になったか と問われれば、わからない。おれはきっと そこまではっきり時間を分けるなんてこと はできていないのだろう。おそらく。

「それで、今日はどうしていきなりそんな 話を?」
「暑いとなにかしら考えたくなるものさ」
「…………」
「それに、せっかく伊月くんに会うのに、 話題がなにもないなんてそんなのはもった いないことだし」
「うまいこと言いますね?」

くちのなかにアルコールの味とビールの 苦みが残る。追い払うようにつばを飲み込 むと、一方で彼は、「まあ実際に思うこと は事実なんだけどね」と言った。 ジィジィとアブラゼミが鳴いている。外 の気温はいったいいくらになっているのだ ろう。

「おれにはよくわかりません。運命がどう なんて考えたことないし」
「……大抵の人間はそんなものだよな」
「でも、なんでもかんでも運命のせい だ!≠ネんて決めつけるのは好きじゃな い。結果の努力さえ運命で、いまこうして 森山さんと話していることすらそうだとし ても。おれのなかではそんなことはどうで もいい」
「はっきり言うなあ」
「だってどうでもいいですもん。森山さん は女の子に声をかけるときはよく運命を文 句に使いますけど、言ってしまえばそりゃ 運命なわけですよ。どんな出会いも運命の 筋書きのうえでしか成り立たない」

酔いがまわってきて、えらく舌が動く。 否定するためでもなく肯定するでもなく。 おれは前髪をかきあげて、なに言ってんだ ろうなあとぽつり考え、重たい息をまるで 殺すように吐く。
時間はとても長いようにみえて、その実 あっというまで。 若いうちにあれこれ言葉にしつくしてし まうことも、さらに運命なのだった。

森山さんはビールを飲み干すと、座卓の 真ん中にそれを置いて、にやりと笑った。

「じゃあおれが伊月くんとこう向かい合っ て会話していることも?」
「運命です」

きっぱり言い放ってやれば、プルタブに ぶつかった缶までが笑い声を奏でた。

「まだ飲みますか? お酒ならあります よ」
「いただこうかな」

おれは立ち上がり、冷蔵庫から冷えた ビールを、自分のぶんとまた合わせて取り 出した。 森山さんは、受けとると、「運命だね」 と呟いた。

「今度はなにが運命なんです?」
「きみに言葉を贈っていることがさ。なん でも俯瞰して考えるのが、どうやらきみの 癖らしい」
「……べつに俯瞰したいわけじゃないで す。そんな余裕だってあるわけじゃない」
「じゃあおれにそれを傾けてくれることが また運命じゃないか」

座りなおし、ひとつめの缶を飲み干す。 森山さんは缶のプルタブをはずして、みっ つそれらを並べた。 おれも夏にどうにかされたようだ。

俯瞰する宇宙


あとがき

後輩に、誕生日のプレゼントとしていただいた森月小説でございました!
高校を卒業して2年。
後輩に愛されてるって本当に思います