君からの贈り物
かちこちと、時計の規則正しい音がやけに耳に届く。
気にしなければあっという間にすぎていくのだから気にしなければいいのに、正確に時間を刻むそれを何度もちらちらと見上げて、まだか、まだかと落ち着かない。
今日は1月30日。明日は黒子の誕生日だ。
つい数週間前にセンター入試をなんとか突破して、再来月には後期試験も控えている。伊月は今年の4月には高校を卒業する。
クリスマスはウィンターカップに潰され、そんな時分の恋人の誕生日に、どうにかサプライズができないかとあと20分ほどで日付が変わる今、落ち着かない気持ちで時計を見やっていた。
ただでさえ自分は受験生で、最近は構ってやることもできていない。
こんな時くらいは、とまずは手始めにおめでとうの一番乗りを狙っているのだけど。
如何せん、こんな時ほど、時間はゆっくりと過ぎていく。
右手で握ったシャープペンは仕事をすることも忘れてくるくると回された。
さっきから過去問は一問も進んでいない。
すぐに電話できるようにと机の右端に置かれた携帯はいつもは手元の過去問に集中しているからその存在を消しているというのに、今は当にオーバーフロー状態だ。
携帯から目を離すことができない。
さぁ、あと10分。
冷たいそれを、右手で握りしめる。
アドレス帳の中から黒子を探し出す。
はぁ、とその電話番号をいつでもかけられる状態にしてひとつ、大きな溜め息をついた。
なんだってこんなに緊張しているんだ。
普段からあまり、電話をかけることはない。いつだって部活で会えたし、今年は一緒に初詣にも行った。部員みんなとだったけれど。
部活を引退してからも、昼休みや、帰りを合わせて一緒に帰ったりしていた。こんなに緊張する必要がどこにある。
まるで乙女だな、と自分を嘲笑って言うことを聞かない指先に力を込める。
そうして、
「うわあああああ!?」
その瞬間、画面が変化した。
ポロロン、と初めに設定してから変えていない着信音が急かすように鳴る。
誰だよこんな時に!
驚いて取り落としそうになった携帯を慌ててつかみなおして、ディスプレイを覗き込めば、それは今まで電話をかけようと待ち構えていた名前だった。
慌てて通話に切り替えて耳に当てると、一拍の沈黙の後、伊月さん、と落ち着いた声が聞こえた。
「黒子!」
『ああ、よかった。起きていらっしゃったんですね』
夜分遅くにすいません、といつもの落ち着いた声音が機械越しに耳を打つ。
夜分なんて現実じゃ黒子くらいしか言わないよな。なんて丁寧で綺麗な言葉を操る声を聞く。
「起きてたっていうか、…当たり前だろ」
企みを邪魔された仕返しと、少し含みを持たせて拗ねたような声を意識して言えば、ふふふと機械の向こうで笑った気配。
先輩として、というよりも自分として。
部活から逸脱した関係なら、伊月と黒子の関わり方はこんなにも変わってくる。
勿論、先輩である自分も、部活をしている自分も変わらず自分ではあるのだけど。
「せっかく電話しようと思ってたのに」
どうしてくれるんだよ。と口先で責めると、黒子は含みを持たせた声ですみません。と言った。
『あと3分ですね』
言われて、さっき穴があくんじゃないかと思うほど見ていた壁掛け時計はあっという間に時間を刻んでいる。
「だな」
『……伊月先輩、今日、星が綺麗なんです。こんな時間に受験生を外に出すなんて非常識なのは分かってるんですけど』
少し、外に出てみませんか?
前半はまるで言い訳のようで、そんなマンガみたいな展開、なんて自分の思考を打ち消す。
明日も部活の筈だ。そんな筈はない。
そんなに言うなら、と内心半分位期待して、椅子の背にかけていたカーディガンを羽織って外気にすっかり冷えた窓に手をかける。
まさかな。
薄く開けた隙間から冷たい風が入り込む。昼間は暖かかったのに、まだ冬なのだと実感させられる。
窓から顔を出すと、吐き出した息が一瞬にして白く凍った。
ああ、確かに星が綺麗だ。
雪や雨に降られた数日間を抜けて、ほこりが去った空に、星や月が綺麗に映える。
「先輩!」
視界の端、広い視野に僅かに入った人影に、嘘だろ、と思った。
黒子、と呼ぶ暇も無く、ばたばたとコートだけを羽織って外へと向かう。
門を抜けるとその横に、見慣れた水色の髪が揺れた。
「なにしてんだ!風邪ひくだろ!?」
今何月だと思ってるんだ!と思わず出た言葉に黒子が苦く笑った。
「会いたかったんです」
あなたと出会った高校で、あなたと過ごす最後の誕生日に。
そうやって寂しげに言われてしまっては責めることもできやしない。ただでさえ黒子の体力はない方で、明日も部活だというのに、許してしまいそうになるではないか。
「あ」
いけない。忘れるところだった。
きっと、時計の針はすでに0時を過ぎてしまっただろう。
「黒子、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
結局、0時過ぎに電話で、どころか直接会って伝えることになってしまった。
サプライズと張り切っていたのに、すっかりこっちがサプライズをしかけられてしまった。
「ごめん、プレゼント部屋に置いてきた」
「今日、学校のあとでいいですよ」
だいたい、僕が悪いんですし、と黒子が苦笑する。
その言葉は否定することでもないので放っておく。そうだ、だいたいこんな少女マンガみたいなことをする黒子が悪い。
言うべきことを言って少し落ち着いたからか、身体の芯がふるりと震えた。
まだ1月の末。昼間は暖かくなったとは言え、冬であることに変わりはない。
「伊月先輩、実は、プレゼントがあるんです」
「は?」
思わず間抜けな声がでたのは仕方ない。だってそうだろう。今日は伊月ではなく、黒子の誕生日だ。
それなのに、どうして黒子からプレゼントを貰うなんてことになる。
黒子は伊月の様子になんてお構いなしに無表情な顔を少しだけ綻ばせながらカバンの中から紙袋を取り出した。
がさがさと大きな音をたてながら、紙袋も開けてしまって、出てきたそれは伊月の首へと。
「マフラー?」
「はい。もう少しで冬も終わっちゃいますけど」
首に捲かれたそれは暖かいブラウンのマフラー。黒子の言うとおり、もうすぐ冬も終わるというのに、この季節に。
来年も使えるでしょう?と小首を傾げた黒子は最高にあざといが、身長が少しだけ伸びた黒子が少しだけ背伸びして巻いたそれは少し長めで、もふりと顔が埋まった。
ふふ、と嬉しそうに黒子が笑う。
解せない。今日誕生日なのは黒子だというのに。
そう思っていたのが顔に出ていたのか、唐突に黒子の唇が唇に重なった。
ふわりとまるで本人のように触れるだけのキスで離れていき、何事もなかったかのようにそこに佇む。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
「くろ」
「マフラー、来年も使ってくださるんですよね?」
呼ぼうとした名前は遮られ、唐突な問いに反射で頷く。
「それなら、僕にはそれで充分です」
星の輝く空を見上げ、そう言った黒子の表情は、夜の闇に隠れてはっきりとは見えなかった。
けれど、その唇が満足げに微笑んでいるのは確かで。
「伊月先輩、月が綺麗ですね」
どうしてだか、黒子が文学好きなのを思い出した。月並みな言葉だけど、他に相応しい言葉も見つからない。
「私、死んでもいいわ」
来年も、再来年も、いつまでも。
例え、若すぎる想いだとしても。
あとがき
お久しぶりです。生きてます。