等身大のラブソング




「ばか!」

ぱしっ
ぺらい独特な音のくせにやたらと重量感のある雑誌が顔面にぶつかる。

どちらかというと大人しい方であり、大人な反応が返ってくることが多い恋人の予想外の行動に思わず反応が遅れた。
それくらいに、こうやって伊月が声を荒くすることは珍しい。

「笠松さんのばか!なんで一緒に考えてくれないんですか!」
「か、…んがえ、てるって…」
「だって笠松さん俺の話聞いてないじゃないですか!」
「いや、それは…」

何か言おうものなら、言葉を間違えようものなら、泣かせてしまいそうだった。
元々、声を荒げるようなことがあまりないのだから、こうやっていることすら伊月には不本意なのだろう。

噛み締めた歯に、震える唇に、思わず口を閉ざす。

「それは、…なんですか…!」

ふたりのことなのに、どうして。
実際のところ、伊月の話を聞き流すようにして空返事ばかりだったのを否定などできない。

笠松は口を閉ざしたまま、次の言葉に繋げられなかった。

「………すいません、今日はもう帰ります」

急に冷静になったらしい伊月に、ああ、と声を返すとすいません、ともう一度謝られた。恐らく、折角のお休みに、折角の逢瀬の日に、こんな風に怒ってごめんなさい、という意味だろう。

そんなの、俺だって一緒なのに。

折角のこの日に、そんな風に不快にさせて悪い。

それが言えないまま、静かに伊月は帰り支度を済ませて玄関に立つ。
なんとなく気まずくていつもは見送る後ろ姿を、見送ることはできなかった。





「ほんっとムカツク!」
「…はいはい」

どんっというテーブルを叩く大きな音に、振動でそこにのった水の入ったグラスがかちゃり、音を起てるのをリコは呆れたように見た。

この話は既に電話でしてあって、もう何度めかのループに突入する。

相田ぁ、と情けない声で鳴く男は男だと言うのに高校時代にライバル校の男を引っ掻けたと言うのだから、まったく綺麗って特だわ、なんて嘆息する。

「もう……まるでマリッジブルーね?」

涙目で喚く伊月を見ながら、数年前に同じようになった自分を思い出す。

んなわけない!と言うのはそれに自覚がない証拠だ。

好きだからこそ、一緒にいたいからこそ、小さなことが気になって仕方なくてどうしようもなく幸せになるのが怖い、そんな時期があるものだ。

女性の場合、それはホルモンバランスがどうのの問題だが、伊月ももしかしたらそう言った気持ちになっているのかもしれない。

伊月は、1ヶ月ほど前に好きな人と一生共に済む為に両親や周囲の人間に恋人の存在を明かした。もちろん、スムーズにいった訳ではない。
伊月自身、家族と離れることになるのも覚悟していただろう。

けれど、言わないでいたこともできたのに、それをした伊月の誠意は沢山の人たちに通じた。
やってみろ、と。

「それでもあの人が好きなんでしょ?」
「……」

聞くと、顔を埋めていた腕から微かに顔を上げ、その視線は反らされた。

まったく、素直じゃないんだから。

「……でも、」

それは、声にはできなかった。
相田は、やっとのことで認めてくれた人だ。
もし、もしも、それを知って別れた方がいいなんて言われたら、伊月にはどうすればいいか分からない。

それでも、大切なんだ。一緒にいたい。

その事実があった上で、一緒にいたいという言葉はいったいどれ程信用に置けると言うのか。

愛してるとは、言われたことがないなんて。

考え込んでしまった伊月に、ふぅ、とリコが溜め息を吐く。
時計を仰いで、あ、と声を漏らす。

「ごめん、伊月くん。もう帰らなきゃ。晩ごはん作らないと」

もうそんな時間か、と伊月も時計を見た。

「悪い。こんな時間に妊婦さん連れ出しちゃった」
「いいのよ。チームメイトでしょ。笠松さんにばっかり構っちゃって寂しいんだから私にも構わせて」

そうして笑うリコは、日向には勿体ないくらいに綺麗だ。ふたりの結婚式には、自分の幸せな未来を想像したりしたものだ。
自分の身体と、お腹の子どもと。労ることに慣れたリコは、確かに誠凛高校バスケ部の元監督なだけある。しかし、その表情はすっかり母親のもので。

「家まで送るよ」
「気を使わせちゃって悪いわね…」
「いいんだ。心配くらいさせて」

まだ、リコに目に見えた変化はない。
だけど、そこに暖かい気持ちがある。大切な人が幸せになれることをしたかった。




暗い部屋でひとり、煙草に火をつけた。

バスケをしているころなら絶対に手を出さなかったであろうそれは、社会で揉まれて溜まったストレスにはやたらと旨く感じると言うのだから、どうにももどかしいものだ。たまに伊月とストバスなんかに行ったときには、煙草を吸わない伊月と明らかに体力に差がでていて、極力吸わないようにはなっているが。
今ばかりは吸いたい気分だった。

ふぅ、と煙を吐き出して、テーブルに並べられた雑誌を見やる。
伊月とふたりで暮らせることになった、その日に伊月が嬉しそうに買ってきた部屋と、家具などの情報誌。

お互いに社会に出て働き、この時の為にと貯めたお金で好きに暮らして行く。
それは、夢のような時間だ。

伊月が最後に来た日から、もう3日になる。

伊月は怒ってしまったが、あの日、笠松が考えていたのも今後の生活のことばかりだった。

今まで、自分の匂いしかなかった自分の部屋に香る、伊月の匂いだったり、
伊月とふたり、共有して使うものが増えたり。
一緒に朝ごはんを食べて、自分よりも少しだけ出勤の遅い伊月に見送られ、帰りは自分の方が早いからスーパーに寄って帰って晩ごはんを作って待っていようとか。

それを口にするのはなんとなく憚られて結局喧嘩なんてことになってしまった。

少し前から気がかりなことがある。

どうして、伊月はこんな自分に着いてきてくれるのだろうか、と。

ちゃんと愛の言葉を伝えられた試しはない。
いつもいつも、それを伝える前に理性が、唇に、声帯にストップをかける。
結果、言葉を曖昧にしたまま、衝動のまま伊月の背中を抱くことになる。

確かな言葉で伝えられないのに、伊月はどうして、自分を信じることができるのか。

まだ、上手く伝えられるかどうかは分からないが。

「…………」

まずは、言葉にすることからかな。

ほぼ放置状態になっていた煙草の煙を胸一杯に吸って、息苦しくなる位まで吐き出した。

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