とは言え、伊月が今、どこにいるのか分からない以上、笠松に何一つ成す術などない。
携帯の電源は早々に切ってしまっているようだし。
勿論一番始めに伊月の家に連絡しようかとも思ったが、建前上、喧嘩しただなどと言うことはできない。
当然伊月も同じことを考えているのではないだろうか。
半同棲状態になっていた筈なのに、このタイミングで家に帰ろうものならきっと、家族の追及は逃れようもない。
だということは。
ほぼ確実に、伊月は高校時代のチームメイトの元にいるのだろう。
それならば何ら危険はないと判断し、笠松は晩ごはんの買い物をしに家を出た。
今日は帰ってくんのかな、なんて、3日も放っておかれたことで帰ってこない可能性も考えて少し気分が落ちる。
それでも、結局夕飯の食材はふたりぶん買ってきて、昨日や一昨日同様、ふたりぶんの食事を作る。
伊月が帰ってくるかもしれない、というのもあるが、それ以上に、ふたりぶん作るのがが習い性になっている。
それが幸せなことなのか、きっと別れることになったりしたらかなり笠松を苦しめるのだろうが、恋人を手離したりする予定はない。
明日あたりは流石に人の家にお邪魔してるとしても迷惑になるだろうし、あり得そうなところあたってみるか、と、指折り伊月の頼りそうな家を数えてみる。
そもそも、伊月はあまり人に頼るような性格をしていないからそんなに多くはない。
俺も腹くくんなきゃなぁ、なんて大きな溜め息。
近所のスーパーからの帰り道は無情にも冷たい風が吹いて寒い。
同時に、バスッと聞き慣れた音が聞こえた。
大学生時代、伊月とふたりでよく利用していた公園の奥にあるストバスのコート。
慣れたリズム感で放られる、ゴールを通るボールの音に、導かれるようにそこに向かうと、暗くなりかけた夕暮れのそこに、恋人の姿があった。
「…………っ、」
伊月、と発そうとした音は寸前で留めた。もしここで、気付かれて逃げでもされたら、喧嘩中とは言えきっと軽くトラウマになる。
伊月の放るボールの軌跡を追いながら、下手ではない筈なのに圧倒的にいつもよりシュートの成功率が低い伊月のそれを見て、こいつでも気が散る時があるのかと気づく。
それでも、自分のことを考えてくれていたらいいのに。
静かに伊月の後ろに回り、ボールを上手くコントロールしようと力の入ったその肩に手を置いた。
「もっと力を抜け」
伊月はゴールを見つめたまま、ちらりと笠松に視線をよこす。触れることに了承を得たと判断して、そこからひとことふたこと、伊月のフォームを直した。
伊月は、何も言わずにそれを放る。
放たれたボールは綺麗な軌跡を描いて、ゴールに入った。
ほぅ、とその唇が安堵に開いたのを見届け、この3日、触れることも、見ることも敵わなかった思いで思わずその背中を抱き締めた。
笠松さん、と、伊月が自分を呼ぶ。
もっと強い力で抱き締める。
伊月の指が静かに彼を抱き締める笠松の腕を辿った。
「……伊月」
「はい」
「…その、……別に、話を聞いてなかったわけじゃねぇんだ…悪かった」
ぶっきらぼうな言葉。
言葉を上手く伝えることができない笠松には正直精一杯の。
「伊月、………その、」
これを伝えるには勇気がいる。
いつもみたいに、ギターの音色に乗せた歌詞を、伝えることとは意味が違う。
どうして、愛だとか、そういうのを謳った曲を歌えるのだろう。
「……あ、のな…?」
伊月は黙って聞いている。
黙って笠松の次の言葉を待ってる。
こういうことに鈍い笠松と言えど、それに気付かないほどではない。
「………伊月、その………っ」
「……っ、ぶふ…っ」
「……………あ?」
突然、伊月が吹き出して肩を揺らした。
笠松が抱き締めていた背中もまた、その笑いに反応して小刻みに揺れる。
体を折って笑いこける伊月を泣かば呆然として見守る。
そして、はっと気がついた。
こいつ、人が一生懸命に気持ちを伝えようとしてんのに…っ!
顔が熱くて仕方ない。
愛の言葉を囁こうとした時よりも熱いかもしれない。
「……っはー、あーっ」
一頻り呼吸困難になった後、伊月は完全にふてくされてしまった笠松を見やった。
「笠松さん」
「……んだよ…」
納得できない、という感情が表情から分かるほど駄々漏れの笠松に、また、伊月は笑い出しそうになった息を飲んだ。
「笠松さん、愛してます」
ちらりと、笠松はそれを言った伊月を見た。
別に、それを言えない笠松を笑っているわけでも、馬鹿にしたいわけでもないことは知っている。
「〜〜〜〜〜っ」
一言だけ言って、静かに笠松を見詰める伊月に耐えかねた笠松は大きく息を吐く。
なんだよ畜生、と小さく呟いた。
悔しい。
「…伊月」
不意に延びてきた手に、伊月が一瞬きゅ、と目を閉じた。
なんだ、こいつも緊張してんのか。
なんて、そんなこと、分かりきってたはずなのに。
現役時代、冷静沈着と言われた伊月は、実は人一倍感情の触れ幅が大きい。
知ってたのに。
伸ばした手でするりとその頬を撫でると、まるで猫か何かのように掌を追い縋る。
「………俺は、愛なんて言葉吐けねぇし、気持ちを言葉にするのが苦手だ」
伊月が瞼を持ち上げて、俺を見た。
その瞳に、思わずたじろぎそうになる。
笠松を見詰める伊月の視線から、逃げるようにその体を抱き締めた。
近所のストバスコートだなんて、気にしてなんかいられなかった。
かさまつさ、と、小さな抗議の声が聞こえたけれど、それも抑え込むように強く抱き締めた。
「…けどっ、……これからの人生、俺と一緒にいてくれねぇか…?俺と、幸せになってくれねぇかな…」
俺のヘタレ。なんて思いながら、ますます伊月を抱き締める力は強くなる。
一緒に住むことも決まっているのだし、答えは分かりきっているけれど。
怖いものは怖いのだ。こういうのは。
お前と笑っていたい、弱々しく震えながら呟いた声で、伊月の身体から抵抗の力が抜けた。
ゆっくりと、肩に腕が回る気配がした。
「……幸せにしてください」
伊月の声も、震えていた。
「伊月、………愛してる」
その言葉は、ゆっくりと、だけど、今まで言えなかったことが嘘であるかのように、すんなりと口をついていた。
あとがき
お読みいたただきありがとうございます。
昔から割りと耳に残った曲で、最近改めて聞いてみたところ、なにこの笠月ってなった結果の犯行です
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