君と幸せ




「はぁ、…はぁっ、」

走りたかった。
ただただ。
この喜びをあの人に。
そのためだけに夕暮れ迫る夜の道を走った。

去年の同じ時期、彼に自宅の合い鍵を託したあの人は、通っている学校から約5キロ、電車だと約8分、徒歩だと1時間かかる場所にその部屋を借りている。

冬ももう直ぐ終わる、旧暦ならとっくに春を迎えている黒に塗りつぶされた、ネオンの輝く街を、彼は走る。

恋人の住むアパートの、エレベーターを待つ時間すら惜しくて、伊月は耐えきれずに階段を駆け上った。
暫くバスケから遠退いていた脚は悲鳴を上げそうだが、この喜びを伝えたくて仕方なかった。

5階。
今までに幾度か来た、最近では受験が終わったあたりに来た、恋人の部屋の前に立つ。
真面目な恋人は、本格的に受験勉強に入るWCが終わった後はお正月くらいしか会ってくれなかった。今年に入ってから会ったのも、2、3回。まだまだ懐かしい、愛しい気持ちが溢れている。

インターホンに指をかける。
籠もった電子音が聞こえた。
息が上がっている。当たり前だ。走って来たのだから。

とんとんと足音が聞こえて、カチャリと音がする。
よかった。何も言わずに飛び出したがバイトでいない可能性を考えていなかった。

「はい」

ゆっくりとドアが開く。

もう我慢できなかった。

「笠松さん…!」
「伊月!?」

その顔を見た瞬間、身体が動いた。

大きく腕を広げて、笠松に抱きつく。突然のことに現役から離れて久しい笠松は勢いのまま後ろに倒れた。衝撃を殺しきれずに笠松は眉を顰める。

あーもう、と唸って、伊月、と抱きついてきた背中を不器用にぽんぽんと叩いた。

「どうした」

伊月は笠松の肩に顔をうずめたまま、上げようとしない。

おい、と、声をかければ、細く小さな声で嬉しくて、と呟いた。

「?」
「笠松さんと…同じ学校に行ける…!」

つまり、と笠松は息を止めた。
つまり、合格だと。
同じ大学に受かったのだと。

きゅ、っと抱きついてきた身体を強く抱き締め返した。とうとう同じ学校に通えるのだ。

学部は違えど、同じ学校に。
一時は難しいレベルで、無理だろうとまで言われた、同じ大学に。
同じ大学に、伊月は伊月の夢を叶えるために通うのだ。

「伊月、よかったな。おめでとう」

伊月の頭を上げさせて、両手でぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜるみたいに撫でてやったら伊月の眼に涙が溜まった。
笠松さぁん、と情けない声で笠松を呼ぶ。

「笠松さぁん…俺、嬉しいですぅぅぅ……っ」

笠松さん、笠松さんと繰り返し、伊月は笠松の胸にぐりぐりと顔を埋める。くすぐってぇよ馬鹿、なんて言いながらも笠松は頬が緩むのを止められない。
ああなんて、覇気のない。

けどまぁこんなこともあっていいだろうと笠松は苦笑する。

「伊月」

泣きそうな顔を上げさせて、まっすぐに伊月の顔を見る。こつんと額をぶつけて、笑う。

「お袋さんとこ行かなきゃな」
「はいぃ…っ」

受かったら、一緒に住むと決めていた。
ずっとこの日を待っていた。

「伊月、これからもよろしくな」





4月。

大学の入学式の日。
登校義務のない笠松はそれでも恋人に会場だと教えられた場所に来ていた。
恋人を迎えに。
暫くして、人が続々と出てくる。式の後の話が終わった新入生たちだろう。
その中に、愛しい恋人の姿があった。

まだ卸したての着られてる感のあるスーツと。
今朝結べないと半泣きだったネクタイ。
結局は笠松が苦笑しながら教えてやった。どうしてもと自分で結んだそれは既に崩れかかっていて思わず笑ってしまう。

伊月、と呼べば、顔を上げた恋人はぱあっと顔を明るくする。

「笠松さん!」

「おめでとう」

「ありがとうございます!」

二人で手をつないで、二人の家に帰る。まだ高校生の頃なら有り得ないと夢だったシチュエーション。

こんな幸せあるだろうか。

「伊月」

二人の部屋に着いたら先に笠松が部屋に入る。
さあ仕切り直し、と自分らしくなく腕を広げたら、伊月がなんとも言えない顔をして首を傾げた。

早くしろよ、と自分の顔が熱いのを自覚しながら促せば、怪訝な顔をしていた伊月の顔がぼっと赤く染まる。
ちょっと逡巡して目線をさまよわせ、やがて決心したように、俺を見上げた。
「た、ただいま…?」

「おかえり」

探るようなそれが可愛くて、伊月の身体を抱き寄せた。

ばたんと重い扉が音をたてて閉まる。

耳元でなんで疑問系だよ馬鹿、と呟いてやると、だってと伊月が言った。

「だって、幸せで」

俺だって幸せだ。





あとがき

4月5日、笠月の日!(笑)

設定的には以前書いたものの続きですかね。
その後、伊月が入学する時のことを書こうと思いまして。
ネクタイ結べない伊月可愛い。
原作なら結べるんでしょうけどね。例のエンドカードを見る限りでは。
さて、笠月の日おめでとう!





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