escape
「なんで逃げんだ…ですか」
火神の声が、俺を追い詰める。
普段は高圧的ではない、身長ばかり高い人のいい後輩の上からの声に、しかし、今日ばかりは逃げたくて仕方なくなった。
火神にまるで話の流れの様に「俺、伊月センパイのこと好きかもしれないっす」と告白されたのはつい一週間程前のこと。
一瞬の間を置いて、「それは恋愛の対象として?それとも先輩として?どちらにしても嬉しいよね」と笑った俺は間抜けだったかもしれない。
そんな俺を笑わずに、普段と変わらない調子で「恋愛です」と言った火神に、正直どうしたらいいか判らなくなった。
だって、このひたすら真っ直ぐ前を向いてボールを追いかける、この男の事が、俺も好きだったから。
男同士で、こんなの有り得ない、かなうはずないって、
思ってたから。
だから動転した俺の、思わず口にした言葉に、後々後悔した。
「…じゃあ、付き合ってみる?」
じゃあって何だよじゃあって!そして火神も肯定すんな!!
部活は多分、こなせてた筈。それから家に帰ってからも暫く呆けて、やっと我に帰った時に思ったのがそれだった。
思い返せば俺から好きって言ってないし、よくそれで了承したな畜生火神!!
なんて一通り自分のやった事に後悔した後、
火神と恋人同士
ということに気づいた俺は顔が熱くなった。
ついに。かなわないと思ってたのに。俺が。恋人。
嬉しいやら恥ずかしいやら。
とにかく幸せな事に変わりはない。
にやにやと緩みそうになる口元を抑えて、冬間近だというのに顔の周りに熱が集まって、暑い。
「好きだ、火神」
声に出して言えば、またどこか照れる。
が、
今まで、一度も恋人がいた経験がないことに気がついた。
つまり、何も判らない。
これから2人がどうなって行くのか、今までと変わらずいられるのか、喧嘩して、嫌われたりしないだろうか。
怖い
サーッと音が聞こえるようだった。頭が痛い。
変わっていくことが怖い。
変わることが怖い。
チームメイトに嫌われることが、
火神に嫌われることが。
そんな恐怖が、自分の中にくすぶって、つい、火神を避けてしまった。
学校の廊下で会った時も、部活中もできるだけ関わらないように。
そんなことをしていたから、罰が当たったんだ。
そんな生活が一週間続いて、今日ついに、捕まってしまった。
廊下でフリと話してる所の火神と行き合い、一瞬呆けた後、逃げようと後ろを振り返った所で火神と目があった。
微かにセンパイ、と声が掛かるが、それが聞こえた瞬間に走り出した。
ごめん、ごめん火神っ
判ってくれというのが無理な話なのは理解している。
そもそも純粋な火神には俺がどうして逃げるのかなんて判るわけがないんだ。きっと考えるより先に、俺を捕まえて、訊くんだ。
「伊月センパイっ!!」
左手首に衝撃、続いて身体が後ろに引っ張られた。感性の力でバランスを崩して、そのまま火神の腕の中に崩れ込んだ。
ほら、
こいつから俺が逃げられる訳がないんだ。
その体勢のまま、近くの教室に連れ込まれた。
火神に抱きすくめられていると気づいた瞬間、思わず飛び退いたが、背中をドアにぶつけて軽く咳き込む。
ガタッという音と共に背中をドアに預けて俺を見下ろす火神を見れば、今の俺の心情からか、妙な威圧感を感じた。
「…なんで逃げんだ…ですか」
なんでってそれは。
とっさに声なんて出なかった。
白い蛍光灯を背に、影になってしまって火神の表情が見えない。気持ちが、見えない。
「……っ、」
なんて浅ましい。
火神に逃げ場を塞がれて、答えを出すしかない、告げるしかない、この状況になってまで、俺は逃げ場を探してる。
どうにかして今まで通りにできないか考えている。
けれど、普段なら解決策など反射のように出してくれる俺の脳はキャパオーバーらしく、俺に答えなんてくれない。
どうすれば。
あちこちに逃げる道筋を探す視界は、いったりきたりと落ち着かない。
「……すんません」
逃げ場を探して右往左往していたら、火神が暗い声で言った。
俺を覆っていた、大きな身体が塞いでいた視界を開かせる。
唐突に、逃げ場ができた。
「嫌っしたよね。男に好きなんて言われて。すんません」
けれど、それは凄く最低な逃げ場だった。
何が最低って、それは
「あんときのノリでも付き合うかって言われて、正直調子のりました」
俺だ。
「すんません、困らせて。気にしないでください」
そう言って、火神は俺に背を向けた。
俺が背を預けていたドアをスライドさせて廊下へと踏み出す、その直前で。
「うわっ」
力いっぱい火神の手を引いた。
ドアを閉めて、鍵をかける。
ガチャッという籠もった音がやけに大きく聞こえる。
バランスを崩してそこに尻餅を着いた火神の襟首を強く引いて、その唇に初めてでやり方が判らない押し付けるだけのキスをした。
一瞬時間が止まって、
体勢を立て直した火神が俺の後頭部を支える。
慣れてるな畜生。
一瞬離した唇が、「へたくそ」と笑った。
二回目のキスの主導権は火神。
軽く触れて、啄んで、やがて舌に促されるまま唇を小さく開けば、熱いそれが入り込んできて、口の中を蹂躙していく。
息ができない、どうすれば。
そろそろ酸欠、という所で唇が離れる。
力が抜けて、火神の厚い胸の上にずるずるとずり落ちた。
「…ごめん」
「……ん?」
息を整えられたあたりで呟くと、疑問のように声が返ってきた。忘れた?いや、さすがに。そんなまさか。
「ごめん、火神。すきだよ、ちゃんと。ただちょっと」
怖かった、から。
小さな声で言えば、火神は笑って、俺を抱きしめた腕に力が入った。
「そんなん、俺も……すよ」
そうか、火神も怖いのか。
そのことに妙に安心した。俺だけ不安になってるより、ずっとずっといい。
「よろしくなー」
「よろしくお願いします」
それぞれ、初めて会った友達みたいに言い合って、今度は俺からも抱きしめ返す。
予鈴が鳴った。
あとがき
読んでいただき、ありがとうございました!
リク主のなつき様のみお持ち帰り可とさせていただきます!
初火月でしたっ
特に指定もありませんでしたので、切甘というか、なんとも暗い雰囲気にしてしまって申し訳ありません。
火月といえば普通はあまーいのが多いんですが、ここは敢えて。ってそんな挑戦するなっつー話。すいませんでした。
また来てくださると幸いです。