真面目だったり、不真面目だったりな用語解説

○清洲越し(きよすごし)
 初代尾張藩藩主、徳川義直が尾張に封ぜられるにあたり、それまで中心地であった清須城を、水害多発地域などの条件から放棄。現在の名古屋に城を新たに築城し、移転が決行された(清須城の立地と名古屋城の立地・城下町建設は語り始めると止まらなくなるので、割愛。笑)。藩士はもとより、寺社・清須城下町の商人・住人、橋までもが名古屋城下へと移転した。この移転を清須越しと言う。

○「今尾の若様の微笑みは、見料はいらぬが読みはいる」
 管理人が勝手に作成。今尾というのは竹腰の本拠地、美濃国今尾(現岐阜県海津市)の事。尾張藩は名前の通り尾張国にあるが、尾張国全部と三河・美濃・信濃・近江・摂津の一部も藩領。

○竹腰家
 尾張藩の御附家老(おつけがろう)。知行は三万石。初代の竹腰山城守正信は、尾張藩初代藩主義直の異父兄にあたる。史実では、1678年の当主は三代目にあたる竹腰友正で、当時は若干六歳。後に筑後守に叙任。
 正睦の名は、竹腰家に代々受け継がれる「正」の字と、管理人が研究している尾張藩九代藩主の名前の一字を勝手に拝借。特に柳をイメージして書いてはいない。

○中山家
 水戸藩の御附家老。知行は二万五〇〇〇石。本拠地は1678年段階では常陸国松岡(現茨城県高萩市)。史実では、1678年の当主は三代目にあたる中山備前守信治。ここでは信治の次男として信弦を出したが、実際の次男は中山信興。
 信弦の名は、中山家代々の「信」の字と、真田の名前の一字を拝借。『鵺の正体』にもあるように、信弦は真田がモデル。

○御附家老
 家康の九男義直を尾張藩主、十男頼宣を紀州藩主、十一男頼房を水戸藩主に据えるに当たり、まだ幼い彼らの教育指導・監督役として付けられた人材。尾張藩は成瀬・竹腰。紀州藩は安藤・水野。水戸藩は中山が選ばれる。当人たちはかなり渋々というか嫌々承諾したともっぱら言われている(幕府高官から、御三家の家老とはいえ単なる藩士になるので。現代に置き換えてもうちょっと大雑把に言えば、霞ヶ関の省庁の大臣になれる位の立場だったのに、都道府県の副知事になれと言われたような感じ)。
 公儀と御三家の橋渡し役であり、近世を通じて強大な権力を行使できる存在となったと言われているが、幕府の御附家老への扱いがどんどん雑になっていくので結構微妙な立場。

○連也斎(れんやさい)
 柳生連也斎。尾張藩兵法師範であり、尾張柳生が生んだ麒麟児として名を馳せる。

○茶屋四郎二郎
 高校日本史Bの暗記必須人物(笑)。詳細はそちらで。

○新田宮流居合
 水戸藩や中山家のお家流のひとつで、藩道場で教えられていた。ただ、1678年にすでに新田宮流が存在していたかどうかは未確認。ちなみに、『水戸黄門』の助さんは新田宮流の達人という設定。

○慶安の変
 慶安4(1651)年に起こった、いわゆる由比正雪の乱の事。

○定府(じょうふ)
 基本的に大名は参勤交代の義務があったが、水戸藩主は参勤交代をせずに常に江戸藩邸に詰める決まりになっていた。このように、参勤交代をせずに江戸に住み続ける事を定府と言う。(よって皮肉な事に、『水戸黄門』で知られる光圀はある意味で、一番旅をしなかった大名のひとり、と言える)

○本陣・脇本陣
 各街道の宿場に設けられた、大名・公家・役人・朝鮮通信使などが宿泊する専門の旅籠。いわゆる、幕府公認の高級ホテルのようなもの。参勤交代のように人数が多く、本陣のみでは対応できない場合のために、脇本陣がある。その地方の有力者が本陣・脇本陣の主を勤めている事が多い。

○木賃宿(きちんやど)
 薪代=木賃のみを払うだけで泊まれる安宿。もちろん、ご飯は出ないので自炊。

○従五位下諸大夫(じゅごいげしょだいぶ)
 幕府から叙任された官位。このお話内では、正睦の出雲守(いずものかみ)のこと。
 少々専門的な話になるが、幕府から官位を叙任される武士(官位は朝廷が授けるものだが、武士に限り江戸時代は将軍家が叙任するという形をとっている)は基本的に、幕府役人や大名に限る(例:大岡越前守の越前守、水戸黄門の黄門(黄門は中納言の唐名))。同時に、名乗れる官位は家柄により明確に規定されていた。他は勝手に名乗っているだけ。
 武家の官位叙任を幕府が握ることで、武士の統制と幕藩体制の強化がはかられていた。その中で、御三家と加賀藩は、定員制で禄高が万石クラスの最上級家臣に官位叙任が許されており、御附家老たちは必ず従五位下諸大夫の位に叙任される。これも、藩の体制強化・権威の確立が背景にある。御附家老の跡継ぎたちも多くの場合、権威のスムーズな譲渡を意図して若くして叙任され、藩政に参画した。
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