わざとやっているんだ

 あれから3日がたった。たった3日なのに、「歌声さん」がいなくて、少し――いや、かなり――寂しく感じていたけれど、また歌ってくれるのならばその時までにちょこっとでも上手くなっていよう、と練習に熱が入っている。
 発表会の曲なのに、全くもって何の為に練習しているのか分からない、と微苦笑する。そして自宅では最近、練習しなくてはいけない曲がもう一曲増えていた。でも、頑張れる。
 さてもう一度、と鍵盤に指をのせたその時。

 カタン

 と微かな音。弾かれたように窓を見ると、窓を開く取っ手に見覚えのある巾着がぶら下がっていた。しかも、私が渡した時に負けず劣らず、はちきれんばかりにぱんぱんになっている。
 急いで立ち上がり巾着を手に取ると、メモが挟まっていた。

『飴をありがとう。おかげ様で随分と良くなった』

 流麗な文字。そっと、その文字をなぞる。知らず、口の端が上がった。
 巾着を開けると、中には割れんばかりにクッキーが入っていた。しかも、私の大好きな、駅前のお店で売っている動物型のオリジナルクッキーだ。凄い、偶然。いや、知られていたのだろうか?とにかく、あのこぢんまりとした可愛らしいお店に歌声の主は入って、この動物型のクッキーを購入したのだと想像して小さく笑ってしまった。

「ありがとう」

 そう笑って、またささやかな2人の時間が訪れた。



 教室の中、担任の先生の話を聞くとも無く聞きながら、憂鬱な気分で窓の外を見つめた。しとしとと雨が降っている。先程までは、ザバーッ!とでも形容すれば良いのか、呆気に取られるような、まさにバケツをひっくり返したような豪雨だったので、「帰宅に合わせて天気が空気を読んだ」と友人が冗談めかしていた。
 ならば、是非とももう少し空気を読んで頂きたい。ここ4日、梅雨入りには少々早いのに雨が降り続いている。
 歌声さんは外で歌っている為、雨だと現れないのだ。勿論、傘をさしてまで歌って欲しいとは思わないので、雨があがらないかな、と恨めしく天を見つめている訳だ。
 はぁ、と小さくため息が漏れる。ふと、口を押さえ、続いて胸を押さえた。シクリ、と痛み続ける心臓。
 まるでこれは。

「何か、恋煩いしてるみたいだよ、宙」

 帰り際、携帯を触りながらもニヤリとしつつ、友人がこそっと囁いた言葉に驚愕する。
 まさか――



 悶々としながら、いつものレッスン室に入った。
 私は、彼のひとと会話らしい会話もしていない。
 否。
 会話はしているのかもしれない、と考え直す。言葉ではなく、歌声とピアノの音で。それは、下手な言葉より余程誠実な。
 そして何より、自分が自宅でしている事の意味を考える。
 でも、と打消しの理由を考える。この繰り返しだ。条件反射の如く無意識に窓を小さく開け、しとしとと降る雨を見つめて、また小さくため息が出てしまった事にも気付かない。
 部屋にもう一脚ある椅子に通学鞄を下ろし、現在では完璧に暗譜した楽譜を取り出してピアノに向き直ると。

 ちょこん、とピアノの上に一枚のくまの形をしたクッキー。

 吃驚して楽譜を取り落としかける。クッキーの下には、メモがあった。

『仕方がないとは分かっているが、天気が恨めしい』

 流麗な文字を見た途端一気に力が抜け落ちて、へなへなと椅子に崩れるように座った。クッキーとメモを手に取ると、そっと胸に押し当てた。


 こんなことされたら。


 いまだ降り止まぬ雨を窓ごしに見つめながら、彼のひとへと想いは馳せる。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -