馬鹿だな、なに照れているんだ

 ピアニッシモで曲は締めくくられ、声も静かに、澄んだ湖に沈むかのように消えた。残るのは、波紋のような余韻。
 「歌声さん」は、ほぼ毎日、飽きることも、サボタージュすることもなく、律儀に私のピアノに付き合ってくれている。なので、私が練習をサボタージュする訳にもいかず、毎日せっせと自宅と学校の二ヶ所で練習に励んでいる。

 「歌声さん」について発見したことが幾つかある。
@出没時間は不定(但し、月曜日は早め)
A歌う時間は不定(但し、月曜日は長め)
 一度、放課後直ぐに弾いた時は現れなかった為、
B早すぎると予定が合わない
 一度、用事で遅くなってしまった時は現れた為、
C遅いのは構わない
D雨の日は現れない
 位だろうか。

 恥ずかしい話、本当に恥ずかしい話、幼稚園児の頃からお世話になっている優しいピアノの先生に甘え切ってしまっていて、ピアノ練習をサボること度々。「今週、練習していません……。ごめんなさい……」と先生に謝ること数えきれずのこの私。そんな私が、ピアノの発表会の曲とはいえ、ここ数回のレッスンではそれはもうしっかりと弾き込んで来るので、「宙ちゃん、どうしたの?」と嬉しそうな笑顔で尋ねられて、答えに窮してしまったりした。


 上手いとは口が裂けても言えない私に先生が選んでくれたのは、発表会という場で弾くにはかなり背伸びをしなくてはいけない曲だった。最初に楽譜を渡された時、正直「うっ」となってしまった。今でも何度も、何度も間違えてしまう。
 その度に、歌声が止まる。そして、静かに待っている。待っていて、くれる。
 数回、その箇所をなぞってまた弾き出すと、歌声がついてくる。また、間違える。なぞる、弾く、歌う、その繰り返し。本当に、「歌声さん」の根気と忍耐力には頭が下がる。

 最初は、私が余りに弾き間違えるので、気まぐれに付き合ってくれているであろう歌声はすぐに止むと思っていた。
 次に、なかなか止まない歌声に、いつか嫌になってしまうんじゃないかと思った。
 いつの間にか、歌声が止むことが怖くなっていた。

 今では、この歌声は最後まで付き合ってくれると確信している。根拠は無いけれど、このひとなら。
 そして、少しでも上手く弾けるようになったら、かの歌声も、楽しく歌ってくれるのではないだろうか。そう、思った。



 デュエット3週間目、遂に最も苦手としていた箇所を一度も間違えることなく弾けた。
 「歌声さん」はその朗々とした声で頑張ったな、と歌ってくれた。


 変わらぬ歌詞。ただ声音に乗せられた感情を拾った途端、ピアノの音が照れてしまった。
 ありがとう、貴方のおかげだよ。



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