我が開ける利目

『鵺の正体』の夢主が書いているライトノベル、という設定です。よって名前変換はありません。
基本的に記紀を参考にして名前や地名を書いています。



 トン、トン、と杖が地面をゆっくりと叩く音が葉擦れの音に紛れて聞こえている。杖の音は一歩一歩思慮深く響き、その持ち主の性情を良く表していた。

「シコンさん、大丈夫ですか?」
「ああ。お前が作ってくれた杖は非常に使いやすい。素材からこだわっていただけはあるな。お前の説明のみで、生えている場所を特定するのに苦労したが」
「なんと言っても、亀甲竹ですからね。黄門様の杖です」
「こうもんさま。以前話してくれた、臣下と共に倭(やまと)中を旅するせいぎのみかた、というやつだな」
「はい!」

 嬉しそうな香姫の声を聞きながら、シコンは杖に指を這わせた。亀甲竹と言う名だけあって、亀の甲羅のように複雑に膨らんだ持ち手は、はじめこそ慣れずに戸惑ったが、今では手にしっくりと馴染んでいる。持ち手のやや下、大陸の文字で「思金」と彫りつけてある箇所を探し当て、そっとなぞった。自分の持ち物には名前を入れるんですよ、そう言って刻まれた名。少々不恰好だが、香姫が手ずから彫ったものだった。
 その杖と香姫が、少しずつ思金を外へと導いていく。

「そろそろ、どこまで行くか教えて下さい」

 ふと沈んだ思考を、香姫の柔らかな声がすくい上げ、同時に繋がれた手が小さく引っ張られた。その声は、思金の深い思索を、唯一不愉快にさせる事なく中断出来る声だ。香姫以外がその思索を中断したが最後、凍りついたような空気が辺りを支配することになるため、思金に仕える舎人(とねり)達が、尊敬と羨望の眼差しを自分に向けていると香姫はいまだに知らない。
 また、手を繋ぐことは出会ってしばらく後に、初めて思金を伴って外出する時から続く習慣だ。香姫は、当然ながらアスファルト舗装などされていない道を歩こうとする思金に、転ばないようにと自分の元いた世界に則って腕を組んで歩こうとした。それを、色々な人から――特に香姫を擁する安曇から止められ、何故か文句を言われたので渋々止めようとした所、「腕を組むのが駄目というのならば、手を繋げば問題なかろう」という思金の一言で、こういう形に落ち着いたのだ。それが、男性陣による激しい鍔迫り合いだったとは、香姫は知る由もない。

「……さて。お前が見事に高志(こし)と出雲を結んだからな。期待するといい」
「やっぱり教えてくれない」

 ハァ、と香姫が小さくため息をついた。むくれる声に思金は小さく笑う。朝一番に通い慣れてしまった道をたどり香姫を訪ね、そのまま連れ出した思金だったが、行き先を聞かれる度にはぐらかしていた。それでも香姫はめげる事なく幾度も尋ねる。
 最初、目的地が不明なために不安なのか、と思金は考えていた。だが、行き先を尋ねる以上に、思金を案じる言葉が何度も紡がれ、ようやく理解した。
 香姫は、目の見えぬ己が慣れぬ道を遠くまで歩く事をただ心配しているのだ、と。
 思金は身体の中心が温かくなるのを感じた。香姫に出会うまで感じた事のない、苦しさの伴った温かさ。己には一生訪れる事はないと考えていたもの。そして、己に不可解な行動を取らせるもの。それでも、どうしても手放せないものだった。

「……私が教えた道さえ誤らねばじきに着く。着かねば、香姫は……何だったか――そう、ほうこうおんち、だと言うことだな」
「そんな!シコンさん意地悪です」
「ふ、何を今更」

 いつか教えた言葉をちゃっかり使って、と香姫は一層むくれる。思金の笑みは一層深くなる。声だけでも、香姫の感情は面白いほど読む事が出来た。
 香姫自身、自分の事など思金は最早お見通しである、と知っていた。これまでの思金との付き合いで、この人はエスパーか何かか、と何度か疑ってみた事すらある。閉じられたその瞳が産まれてからこの方、一度として光を映した事がないなどと、俄かには信じられなかった。香姫は背の高い思金を見上げる。
 それでも、倭中どれほど探したって、シコンさん程の叡智と思慮を持った人物はいない。と香姫は微笑んで、ずっと繋いでいる手にぎゅっと力を込めた。思金も少し驚いたような表情をした後にすぐ笑みを返して、同じくぎゅっと握り返した。役得だな、などと思いながら。



「わあ!凄い……!シコンさん、凄いです!」

 香姫は目の前に広がる景色に飛び跳ねんばかりに喜んだ。思金もその景色を見る事は出来なくとも、欠落している視角を補わんと、常人を遥かに凌駕する程に研ぎ澄まされた他の感覚で、見事に咲き誇っている事を感じ取って満足そうに笑んだ。

「こんなに笹百合が咲いているの、初めて見ました!ここは、何て言う場所なんですか?」
「狭井河だ。笹百合――山百合は古来“佐葦”と呼ばれていた」

 思金がそっと香姫の手を取り、空に“佐葦”と字を書いた。そして“狭井河”と続ける。

「そこから転じた名だな」
「なるほど……」

 さい、と小さく香姫が呟く。香姫のいた世界では、同じ音で仏教用語の“賽の河原”はあまり宜しくない言葉だ。ただ香姫はこの世界に来てから、仏教らしき考えや物を見たことがなかった。仏教は存在していないのか、まだ伝来していないのかな、と小首を傾げる。それに、何も今わざわざ賽の河原という言葉を思金に伝える事もない。

「どうかしたのか?」
「いいえ。本当に綺麗だなぁって」

 狭井河の土手を埋め尽くすように群れ咲く山百合を見つめる。狭井河自体は小さな川だが、その清流と淡紅も美しい山百合を見ているだけで涼しくなってくる気がした。朝出発したのでまだ昼前だが、天気に恵まれた初夏の日の下を歩き続けた香姫はじっとりと汗をかいている。

「さあ、遠慮せずに行って来い」
「え?」
「私はここらの涼しい場所にいよう。折角ここまで来たのだから、遠慮せずに色々とこの辺りを見て回ると良い。ここは大神(おおみわ)の懐。古来より良く治まっている地だ。危ない目に遭うという事もあるまい」

 さあ、行っておいで。と繋いでいた手を思金が離したが、その手を香姫が繋ぎなおした。そのまま、無言でずんずんと思金を引っ張っていく。思金は困惑するしかない。目の見えぬ己が、こうした全く未知の場に放り出された場合にどうしても足手まといになる事は重々承知している。だからこそ、思金は与えられた邸からあまり出ようとはしなかった。
 倭にあまねく張り巡らせた網は邸の中にいる思金に過不足無く情報をもたらし、そこから真のみを取り出して正しき姿に組み上げる事は、邸の中にいる事が決して不利に働く事はなかったからだ。

「香姫」

 香姫に引っ張られるがまま、山百合の中に分け入って行く。濃い百合の香りにむせ返りながら更に引っ張られ続け、思金は困惑を深めるしか出来ない。明敏犀利と鳴らした彼をここまで振り回せるのも、倭中で香姫だけだろう。
 ぱしゃ、ぱしゃ、と香姫の足が河の中に入る音が思金の耳に届く。香姫の履物はすにーかーとやらで多少濡れても大丈夫、と聞いていたので、問題ないのだろうと考えた時だった。ぴたり、と香姫が立ち止まった。そしてあろうことか、突然思金の着ている衣の裾をたくし上げ始めたのだ。

「こ、香姫!何をしているんだ!」
「シコンさん、ここ持って下さい。ほら!」
「香姫!?」
「ここです。ちゃんと持ってて下さいね」

 何がなにやら分からないまま、思金は言われるがままに衣を軽く持ち上げた。すると、目の前で膝を折った気配がしたと思いきや、更に履物を脱がせにかかったのだ。

「っ、履物を脱げば良いのか?自分でやるから、離れなさい」
「駄目です。しゃがんだら濡れちゃいますよ」
「香姫が濡れるだろう。良いから、止めなさい」
「と言い合っている間に脱がせられました」
「……お前は……」

 はああ、と思金は深いため息をついた。私も靴と靴下を脱ぐので待ってて下さいね、という香姫になおざりな返答をする。なんなんだ、と思わずぼやいてしまった。香姫はぽつねん、と立ち尽くす思金に小さく笑うと急いで靴と靴下を脱ぎ、思金の隣に綺麗に並べた。
 お待たせしました、と香姫は思金と再び手を繋いで軽く引っ張った。何やら疲れきったような表情をしている思金は、されるがままだ。

 ぱしゃり、と音がしたのと、冷たい、と感じたのは同時だった。

「暑いから、凄く気持ち良いですよね、シコンさん!」
「あ、ああ……」

 手を引かれ河の中へと歩を進める。ぱしゃり、ぱしゃり、と小さな音を立てて歩むだけの事なのに、思金は戸惑った。足はひんやりと冷たく気持ち良いが、繋がれた温かい手と楽しそうな声は心地良い。ただそれだけの事で、思金の心も軽くなっていくようだった。それは新鮮な驚きに満ち満ちた、不思議な感覚。
 そのまま下流へ少し歩いた後、川べりの岩に二人で腰を下ろす。勿論、足は水にひたしたままだ。ぱしゃぱしゃ、と香姫が足を軽くばたつかせると、蹴り上げられた水滴がキラキラと光って落ちていく。すると、舞い上がった水滴が山百合に落ちて美しく着飾り始めた。凛とした美しさが際立つ。

「……シコンさんみたい」
「……?なんのことだ?」
「笹百合です。真っ直ぐ凛としてて、どきどきする位綺麗で。そう、この狭井河の流れと笹百合がとってもシコンさんに似合ってるんです」
「!」
「すごく、綺麗です。ひとりで散策なんて、そんな勿体無い事出来ません。シコンさんと一緒に見ているのが一番!……こんな素敵な場所に連れてきてくれて、本当にありがとう。シコンさん」

 香姫が綺麗に笑んだ。そう、とても綺麗に笑んでいる事が思金には分かる。
 見たい――。焼け付くように思うのはこういう瞬間だった。世界を見たい。彼女を見たい。彼女が美しいと笑むものを、共に。
 並ぶものの無い叡智を求めて思金のもとを訪れるのは、皆見える者だった。そんな人々に対して、思金は嘲笑いたくなる時がある。その瞳は何を映しているのだ、お前の眼前に真実が転がっているではないか――、と。よって、見えぬ事を幸いと思っていた時期があった。
 だが、今は違う。一瞬で良いのだ。と思金は渇望する。その笑顔を焼き付けて、宝のように深くしまい込んでしまいたい。と頑是無い子供のように出来もしない事を空想するのだ。我ながら滑稽な事だと思うが、染み込んでしまった想いは取れそうも無い。
 そんな焦げるような想いを吐息ひとつで制して、思金はいまだに繋がれた手に少しだけ力を込めた。

「私も、お前と共に来ることが出来て良かった。こうして、香姫と共に見られて嬉しいぞ」

 そう言って思金は微笑んだ。零れるような笑顔は、香姫を狼狽させるのに十分な程に美しいものだった。
 満足するまで楽しんだ後、先のお返しとばかりに思金は軽々と香姫を抱き上げ、過たずに脱いだ靴の元にたどり着いた。そのまま、恥ずかしがり制止する香姫を黙殺して、甲斐甲斐しく靴下と靴を履かせた上でしっかりと手を繋いで帰途についたのだった。


*****
軽い解説

以下、あとがきめいたもの。

汐弐様のリクエストでした。
リクエスト内容を要約しますと、「鵺の夢主が書いている小説」ということで、ハードル高すぎて笑えん……と頭を抱えました(笑)。いえ、実際とても楽しく書かせて頂きました!
ただ、勿論のこと鵺の夢主はプロという設定です。そして管理人はただの趣味で文章を書き散らしている凡人です。「鵺の夢主が書いている小説」モドキとしてお楽しみ下さい。あくまでモドキです。それより何より、一年もお待たせしてしまいまして、本当に申し訳ございません。
何度謝罪しても、し足りない気が致します。汐弐様、長い間待って下さってありがとうございました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

大変でしたが、書く身としてはやたら楽しんでしまいました。時代小説かラノベのどちらかにしようかと考えていたのですが、結局ふたつとも書いちゃえ!と(笑)
趣味も兼ねて色々と調べてしまい、やたら細かかったりする所もあれば、適当過ぎる箇所もあります。どちらの話にも水戸の黄門様を出したのも趣味です(笑)

とにもかくにも、汐弐様、素敵なリクエストありがとうございます。また、重ね重ねお待たせして申し訳ありませんでした。

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