頭上の追跡者

「予想外の遠出になったの」
「ここどこ?って感じなんだけど。家の方向は分かるけどさ」
「レース鳩のお前さんが家の方角を見失ったら、レース鳩廃業ナリ。駅名から考えると千葉県じゃな……」

 ハァ、とため息をつく。こんなに遠くまで来るとは予想外だった。まあ、そう考えつつ尾行を続ける自分もたいがいスキモノじゃな、と電車の警笛を聞きながら笑う。
 ガタン、とゆっくり動き出した屋根の上。徐々に上がっていくスピードと共に、景色が後ろへ後ろへと飛ぶように流れていく。電車の上に止まっている為に、仁王が鳩としていつも飛んでいるスピードよりも速い速度で景色は背後へと流れていく。しかし、ハヤブサにとっては、普通の速度だろう。レース鳩としてかなり優秀なハヤブサは、本気を出せば平均して時速80kmに近い速度で飛ぶ事が可能だ。上手く風に乗れば、時速140kmは出せると言う。電車の上に乗っているのは、ひとえに仁王がその速度で飛ぶ事が出来ないからだ。
 強くなっていく向かい風に羽毛を乱しながら、飛ばされないように脚を踏ん張った。隣では、ハヤブサも同じ格好をしている。
 それにしても、一体どこまで行くつもりなのか、と随分と変わってきた景色を見つめながら考える。もう、二時間はこうして感電しないように気を付けながら、電車の上に乗っていた。

「アイツも、宙ちゃんをどこまで連れて行くつもりだよ」
「さあな。……じゃが、参謀もむやみやたらに出かけるタイプじゃないからな。青海を連れて行く事からして、何かあるのは間違いないぜよ」

 ふーん。とハヤブサは不機嫌そうに呟くが、最高速度に達した電車の独特な風圧に羽毛が乱れに乱れたその姿は、少々滑稽だ。ぴょこん!と頭の羽が逆立ち、鳩なのに鶏スタイルというか、微妙なモヒカン状態になっている。だが、そんなハヤブサに忍び笑いをする仁王も、全く同じ状態になっていると本人は知る由もなかった。



 一時はかなり酷かったカラスの被害も、最近は随分と落ち着いていた。実の所、とある人物がカラスと一戦交えた直後から被害は激減していた。カラスの集団がよろよろと何処かへ飛んでいくのを見た、と目撃談も寄せられていて、その「とある人物」に痛いほど心当たりがある仁王は、一切の容赦をしなかったらしい、と遠い目をしたのも少し前の話だ。だが、その人物に限って言えば、足場の悪さはあるが、やろうと思えば思いっきり噛み付いて、それこそ息の根を止めてしまう事も可能だった訳で、そう考えると手加減も一応したのだろうか。考えても詮無い事だったが。
 それでも、ハヤブサと2羽でカラスの調査に飛び回っていると、眼下から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「……仁王!」

 キョロキョロと周りを見回すと、再び押し殺した声が聞こえる。辺りをゆっくり旋回すると、ビルの影に隠れるように幸村と真田、更には赤也がいて手招きをしていた。
 なんじゃアレ。と思いつつ、ハヤブサに声をかけて、自分たちへと伸ばされた幸村の腕に止まる。

「なんじゃ、皆して。……っちゅーか、よう俺だって分かったの」
「愛かな」
「……幸村……」
「……………」
「真田も2人でそんなに嫌そうな顔するなよ。この辺を二羽で連れ立って飛んでる白鳩なんて、お前くらいだからね」
「仁王先輩、相変わらずその姿だと可愛いっスよね!」
「つついてやろうか」

 勘弁!と笑う赤也だったが、クルッ!(よし、俺が!)とハヤブサが鳴いて、赤也に襲いかかるように羽を広げると、その場で後ずさった。相変わらず調子に乗って自分で自分の首を絞める奴じゃ、と嘆息する。

「で、用件はなんぜよ?」
「アレだよ」
「あっ!宙ちゃん!……と、」

 幸村が指差した先を見たハヤブサが、嬉しそうにひとりの名を呼んだと同時に、もうひとりを目にして、露骨に嫌そうな声を出した(勿論、仁王以外には鳩の鳴き声にしか聞こえない)。そこには、ここにいる全員が良く見知った2人がいた。柳蓮二と青海宙である。カラスの被害が減った、その理由の当事者達だ。休日である為に私服姿で連れ立って歩く2人は、デートという雰囲気だった。
 否。

「恋人繋ぎしとるな。……柳でもするんじゃな」

 雑踏に隠れていた2人の全身が現れたと同時に、しっかりと繋がれた手も目に飛び込んできた。脱力するしか無い。
 何というか、柳も変わった、と仁王は考えずにはいられない。青海宙は、柳蓮二が公言していた「好みのタイプ」とはかけ離れていた。だが、同じ体質を持つもの同士、蓮二が宙に年貢を納めた理由も仁王は痛いほど分かっていたので、何も言わないし、言えなかった。
 それにしても、気恥ずかしそうな青海とは対照的に、やたら満足げな柳。やはり苦笑じみた笑いがこみ上げるのも確かだ。

「尾行とは、あまり感心せんのう」
「もっと言ってやってくれ。いくら俺が言ってもきかんのだ」
「なんだよ、何だかんだと言いながら一緒にコソコソついてきたのは真田だろ。同罪だ」
「む……」

 押し黙った真田を呆れた面持ちで見る。相変わらず幸村には弱いらしい。
 すると、ハヤブサがポッ!(行っちゃうよ!) と鳴いて知らせてきたのに慌てて、どんどん歩いていく前方の2人に気付かれないように、全員でまたコソコソ移動を始めた。真田も納得しない表情のままなのだが、やはり隠れながらついてくる。同罪だ。

「で、呼ばれた理由はもう見当がつくが……」
「俺達、赤也のシューズ選びについてきたんだけど、偶然アレを見つけちゃってさ」
「……バトンタッチってことじゃろ?」
「だって、気になるじゃないッスか!柳先輩がどういうデートするのか!」

 活き活きした眼。
 まぁ、あんな柳を見てしまうと気持ちはよう分かる。凄く気になる。

「じゃが、ハヤブサに聞いてみんと……」

 今日の予定が完全に狂うのだ。どうするぜよ?と尋ねるために振り返った仁王は思わず呆気にとられた。

「あの野郎、宙ちゃんをどこに連れて行くつもりだ。監視してやる……!」

 聞くまでもなく、やる気満々だった。
 蓮二と宙がくっ付くまでの一件にハヤブサも絡んでいるのだが、かの一件以来、ハヤブサの中で蓮二の評価は残念ながらかなり低いままだ。

「仁王。その鳩、ハヤブサだったか?やる気になっていないか?並々ならぬ気合いが感じられる」
「……ああ」

 という顛末で、仁王とハヤブサは尾行の任務(ただの出歯亀である)を引き継いだのだった。



 千葉県の某市で、2人は電車を降りた。2羽が電車の上で見ている目の前で、すかさず蓮二が宙の手を取り、指を絡める。恥ずかしそうに見上げる宙を、蓮二が幸せそうに見つめているのが良く見えてしまった。
 隣で悪態をつくハヤブサの気持ちも分かるし、見ているこっちが恥ずかしくなる。と仁王はむずむずと居心地の悪いものを感じて、思わず視線をずらしてしまった。
 そんな頭上の追跡者を知らぬ蓮二は、淀みない足取りで見知らぬ土地を進んでいく。

「蓮二君、もしかしてここって」
「気付いたか。もう直に着くぞ」

 蓮二の思惑に気付いたのか、宙がびっくりしたような、それでもどこか嬉しそうな表情で見つめる。笑んだ蓮二にそのまま案内された公園。そこに、ひとりの年嵩の女性と一匹の柴犬が待っていた。

「……ケーブル!!」

 その姿を認めた途端、わっ!と宙が駆け出した。柴犬も、尻尾を振り回しながら全力疾走で駆け寄っていく。そのまま、勢い良く飛びついてきた柴犬――ケーブルを、宙はよろめきながらもしっかりと受け止め、構わずしゃがみ込んで撫で回し、ぎゅっと抱き締めた。

「ケーブル!久しぶりだね!元気にしてた?」

 キュンキュンと鳴きながら、高速で尻尾を振り続け、ぐりぐりと身体を宙に擦り付けているケーブル。宙も嬉しそうにそんなケーブルを構い倒している。
 それを、少し離れた場所から見守るのは、ケーブルの飼い主である宙のおばさんと蓮二、そして適当な木に止まった仁王とハヤブサだ。
 目の前の微笑ましい光景。幸せそうな宙に仁王もハヤブサも思わず笑む。流石は参謀、なかなか小憎らしい事をする、と仁王が蓮二に視線を移した。だが、一瞬で残念な面持ちになる。

「……柳が静かにイライラしてるナリ」
「自分でここまで連れてきておいて、訳が分からない奴だな。アイツ、宙ちゃんをあの犬に会わせるためにここまで来たんでしょ?」
「それはそうなんじゃが、複雑な男心とでも言えるかの。計らずも柳は犬型だしな」

 呆れ顔のハヤブサに苦笑いする。
 当の蓮二は、ケーブルの飼い主である宙のおばさんに、一目見るなり「あらいやだ!宙ちゃんったらやるわね!」と言われた挙げ句、宙との事を満面の笑みで根掘り葉掘り尋ねられていた。その勢いに若干気圧されながらも、チラチラとケーブルと宙に視線をやるのを忘れていない。
 視線の先では、相も変わらず宙がケーブルをぎゅっと抱き締めながら、撫で続けている。
 宙が喜ぶのは良いし、承知の上で全てこの柳蓮二がお膳立てした今回のデートだが、やはりどうしても気に入らない。と苦虫を噛み潰していると、ケーブルがキューンと鳴き、ジッと宙を見つめて、くうん、と更に鳴きながら、すりすりと宙にすり寄って行く。
 宙はくすぐったそうにしながら、そんなケーブルに「どうしたの?」と優しく微笑んだ。

「………!」

 蓮二の目が見開かれる。おばさんが蓮二の開眼にびくっとしたのを仁王は見逃さなかった。そうそう、アレを最初に見た時は自分もぎょっとしたもんじゃ、と少し懐かしく思った。
 ハヤブサはハヤブサで思わず「あ」と声を上げる。
 つかつかと蓮二が歩み寄り、ベリッと宙とケーブルを引き離した。そして、そのままケーブルを抱き上げると、呆気にとられている宙とおばさんの前を通り過ぎ、少し離れた所で2人に背を向けて、抱き上げているケーブルと睨み合いを始めてしまった。

「心狭っ!」
「柴犬が怯えてるぜよ」

 角度が違う2羽には、ケーブルがガクガク震えながら、尻尾をくるりと丸めているのが見えた。蓮二はそんなケーブルに構わず、犬語で話している。

「何度も言うけど、心が狭過ぎるだろ」
「参謀も必死じゃき。そんな事は出来ないと知っちょるが、言わずにはおれんのじゃろ。……それだけ青海に本気って事か」

 あーあ、と仁王は溜め息まじりに笑う。少し羨ましい。
 しばらく後、蓮二に「良い子だな」と頭を撫でられて解放されたケーブルは、それまでより少し、否、かなり遠慮がちに宙に甘え始めた。宙はそんなケーブルと蓮二を見比べながら、困惑の態でケーブルを撫でるしかない。
 それから数時間、それでも宙はひたすらケーブルを可愛がった。そして、何度も別れを惜しみつつ再会の約束をしながら、おばさんとケーブルは自宅へと帰っていった。

「……」
「はぁ」
「わ、蓮二君!?」

 いつまでも、おばさんとケーブルがいなくなった先を寂しそうに見つめている宙を蓮二が引っ張って、体勢を崩した宙を後ろから抱き締める形で芝生に座り込む。
 膝の間に宙を座らせ、自身の膝は立て、宙のお腹で腕をしっかり絡め、宙の肩に顎を乗せて抱え込む。

「っ!れ、蓮二君、」
「………」

 突然、しっかと抱きしめられ真っ赤になって頷く宙を見て、あの野郎!と飛び出しかけたハヤブサを、仁王が押し止める。

「…………」
「れん、じ君」
「何だ?」

 わざわざ耳許に唇を寄せて返事をする蓮二に、宙は身を震わせる。
 羞恥か、それ以外か、とにかくじわじわと宙の瞳に溜まっていく涙を、蓮二は飽きもせずに見つめていた。先程のケーブルの言葉がずっと尾を引いていて、加虐的な精神状態になっている。一方でそんな己を冷静に分析する自分もいた。

「あの、」
「こ」
「ありがとう、ございます」
「!」

 こういう時いつも宙はとても恥ずかしがるので、離して欲しい、と言われると弾き出していた蓮二は、断る、と言いかけた。しかし、真っ赤になっている宙の口から震える声で小さく囁かれたのは、全くもって予想外の台詞。

「一緒にケーブルに会いに行こうって約束を、覚えていてくれて、ありがとうございます」
「……いや、」

 動揺する自分を悟られぬように、努めていつも通りの声を出した。出来たかどうかは甚だ心許なかったが。顔に紅葉を散らしたままで目を伏せながら、それでも嬉しそうに笑う宙から、蓮二は目が離せなくなってしまった。宙に回した腕に、知らず知らずの内に力がこもっていた。

「それも、こんなにすぐに叶えてくれたから」

 凄く、嬉しいです。と言って宙は回されている腕にそっと自分の腕を重ねる。そして、蓮二の手の上からきゅっと指を絡めた。
 その瞬間、蓮二は途方に暮れた。己を襲う息苦しさを、一体どう表現したら良いのだろうか。何と返事をしたら良いのか皆目見当がつかず、なんとかの一つ覚えのように腕と指に込める力を増やす事しか出来なかった。

「……宙」

 ようやっと搾り出した声は恥ずかしい程にかすれていたが、宙はそっと伺うように顔を蓮二に向ける。その朱に染まる頬に手を添えて固定すると、小さく宙が震えたのが分かった。分かったが、いかんともし難い。
 ゆっくりと顔を近付ける。蓮二を映していた瞳が、慌てたように姿を隠してしまった。代わりに、縁取る睫毛が震えている。既に幾度も重ねた行為なのに、いまだに初々しく恥ずかしがる姿が、蓮二にはとても愛おしく感じる。大事にしたい、今までこの身の内のどこに存在していたのだろうか、と訝しむ程に、優しい優しい感情が蓮二の指先を動かす。だが反面、ひどく獰猛な感情がその裏で息を潜めているのも感じていた。
 触れるだけの優しい感触で、唇を重ねる。
 ぴくり、と身を竦ませる宙に己でも驚くほど丁寧に、腕に捕らえた獲物を喰らいたがる凶暴さを鎮めて、代わりとでもいうように幾度も、幾度も羽毛が触れるようなキスを繰り返す。抱きしめるその身体の柔らかさや、きゅっと縋るように力が込められた指。四百四病の外、とは良く言ったものだ。どうしようもない、と白旗を揚げる。

「宙」
「?」

 名を呼ばれ、蓮二の眼前で宙の睫毛がふるり、と震えながら開いた。己だけが映り込んだ瞳は少し潤んでいて、思わず苦笑してしまう。愛おしさもそうだが、やたらに良くない部分を煽ってくる恋人だ。改めて、自分の独占欲の強さに呆れかえる。

「ずっと、宙の傍にいるからな」
「……うん。ずっと蓮二君の傍にいられたら、幸せです」

 宙の言葉と表情に満足げな吐息を漏らして、蓮二は先程より深く唇を重ねた。



 最寄り駅まで風に乗りながら、滑るように空を飛ぶ。
 胸やけがする……。と若干げっそりしているハヤブサに、自分が悪いわけでは無い筈なのだが、仁王は何故か申し訳ない気分だった。いまだに宙と2人、公園にいるであろう蓮二を思う。仁王には、柳が何を考えているかある程度分かるからだ。
 青海には分からないだろう。犬になれる、鳩になれる、いや、なってしまえるというこの体質は、普通「異常」と取られる。それなのに、青海は此方が困惑するほどそれをあっさりと受け入れた。更に、青海にかかればこの体質は「羨ましい」らしい。同じ視線に立ちたい、などと言ってくれる人物はそうそういない。
 全てを理解した上で、それでも好きだと言って一緒にいてくれるひとを求めるのが、どれだけ困難か。動物型をとった柳の傍にいても、青海は変わらずに幸せ、と言って笑うのだろう。

『宙お姉ちゃん、一緒に暮そう?ずっと、一緒にいたい!』

 ケーブルのあの言葉に、柳が我慢できなかったのも、納得しようと思えば出来るのだ。すぐさま、宙と一緒にいるのは俺だ、と脅しにかかった参謀はやっぱり心が狭い、とは思うのだが。
 だけれど。やはり、そう思える相手を見つけた柳が羨ましい、と仁王はため息をついた。精々、幸村達に暴露してやろうと決意する。きっと、聞かされた真田などは昏倒しかねん程に動揺するじゃろうな、とそれも楽しみにしながら。



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 和羽様のリクエストでした!
リクエスト内容を要約しますと・犬キミ番外。参謀とのデートをレギュラーに見つかり、尾行される。尾行するのは仁王のみ(その場合は鳩ver.)でも可。
 でした。素敵なリクエスト、ありがとう御座います!相変わらず長いよ……1話が……。
 レギュラー陣を全員出せなくて申し訳ありません。しかも、レギュラー陣に仲良く尾行させられなかったです。私の力ではあの人数を一度に動かせられなかった上、どうしたって柳さんに見つかるオチしか思いつかず、見つからずに尾行できる仁王とハヤブサコンビにしてしまいました。本当に申し訳ありません……。
 因みに、殆ど同じ内容でリクエストして下さった方がいらっしゃいましたので、その方も楽しんで頂ければと思います。

 視点がころころ変わっていて、大変読みにくい文章になってしまったのではないかと心配です。しかも、なかなか最後が書けずに、直前まで書いた状態で一週間以上書いては消しての繰り返しでした。柳さんが犯罪に走りそうで、怖かったです(笑)

 とにもかくにも、和羽様が少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
 和羽様、フリリク企画に参加して頂いて、本当にありがとうございました!




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