変わらぬ愛 廊下で腕を組んで立っていたおじいさんを見て、怖くてふるえてしまった。そうしたら、蓮二君がぎゅっと手を強く握ってくれて、安心する。「こんにちは」と挨拶をした貞治君と私に、にこり、とも笑わないで、ずぶ濡れになって走り回っていた事を怒る。その間もずっと蓮二君はぎゅっと手を握り続けてくれた。そして、やっぱりにこりともしないで、私達を沢山のタオルでぐるぐる巻きにしたのだ。 ぽかんとしている間に、今度は犬をタオルでふき、湯気が立っている湯のみを3つと温めた牛乳を持ってきてくれる。 「いただきます」と恐る恐る言うと、「ああ」と返事をしてくれた。「とても熱いから、気を付けろ」とボソッと注意をしてくれたので、「はい」と言ってからふうふうと息を吹きかけてから飲む。 「……これは」 「焦がした梅干しですか?」 それはお茶ではなくて、真っ黒になるまで焦がした梅干しが入ったお湯だった。蓮二君と貞治君に向かって、おじいさんは頷く。 「……身体が温まる。特に、女は身体を冷やしちゃいかん」 「……」 何で女は身体を冷やしちゃいけないのか分からなかったけれど(帰宅後、お母さんに聞いた)、おじいさんの優しい言葉に、今度はぽかんと口まで開けて見つめてしまった。怖いおじいさんだと思ってたけれど、違っていたのだ。私達の隣では、子犬が温めた牛乳を飲んでいる。 「犬は儂が飼おう。……番犬になるだろうしな」 「ありがとうございます!……あの」 「何だ」 私を見つめるおじいさんに、私もじっと顔を見ながら、お願いをひとつ口にした。 「たまに、遊びに来ても良いですか?」 吃驚した顔をしたおじいさんだったけれど、またすぐにムスッとして、こう言ってくれたのだ。 「儂は口うるさいからな。それでも良ければ、好きにするがいいさ」 「……はい!」 そのまま、雨が止むまでおじいさんの家で過ごして、帰ろうとした時だった。おじいさんが私達を呼ぶ。 「あんな雨の中、ようも子犬の飼い主を探し続けたな。……優しいお前さん達に、これをやろう」 大きなしわくちゃの手で差し出されたのは、それぞれ違う色の可愛い房が付いた四つの鈴だった。 「黄色は犬の首輪にでもつける。後は……、そうだな、眼鏡のお前さんには緑色をやろう」 「ありがとうございます」 おじいさんに頭を撫でられた貞治君は、ちょっぴり照れくさそうにしていた。 「それと、こちらの青色はお前さんで、桃色はお前さんだ」 「「……えっ」」 「お前は、もっと食べないといかんな。女みたいに細っこい身体付きをしておるからな」 「えっ」 「お前は、儂に食い下がって必死に言葉を尽くした。女ながらになかなか見所があるぞ」 「えっ」 呆然とおじいさんと鈴をを見つめる。 「プッ」 その横で、もう限界!とばかりに、貞治君が爆笑しはじめた。いつか見た光景と同じだ。 「あっはっはっは!……っ、だめだ……、ふっ、笑いがとま、らないっ……!あはは!」 「なんだ、どうした?」 「……あの、おじいさん」 「?」 「俺、男です。で、隣で固まっているのが、女の子です」 「何……?」 「柳蓮二と言います。彼女が青海宙で、……あそこで笑い転げている薄情者が、乾貞治です」 呆然と佇むおじいさん。いつも以上に口をへの字に曲げてしまった。 「……すまんかった」 「……あの、実は私も最初、蓮二君を女の子だと思ったんです。で、蓮二君は私を男の子って勘違いしたんです。だから、同じです」 「なんと」 「貞治君はその時も、笑ってましたけど……」 「……なんと」 ふ、とおじいさんは口元を緩めた。初めて見る笑顔だった。 「ならば、鈴は……」 「いえ、せっかく頂いたので俺は桃色で良いです。……博士、あまり笑っていると、鈴を取り上げて貰うぞ」 「もう笑いません」 ふ、と更に笑んだおじいさんは、私と蓮二君の頭を撫でてくれた。大きな手で撫でられながら、蓮二君、そして貞治君と笑いあった。 そして、3人で帰路についた。チリン、チリン、と鈴が鳴る。 「あのね、蓮二君、貞治君」 「何?」 「どうした?」 「ありがとうございました!」 キョトンとした後、2人はにっこり笑ってくれた。 「気にしなくていいさ」 「ああ、気にしなくて良いよ。特に、教授にはね」 「?」 「助手は教授につくものなんだろう?特に、蓮二は、」 「……貞治」 「え、何?」 「何でもない!」 蓮二君の一言で、結局その場はお流れになってしまった。 それからは、3人でおじいさんの家に遊びに行くと、やっぱりムスッとしながらも「良く来たな」と頭を撫でてくれるようになった。子犬は太郎という名前がつけられて、立派に番犬として働いているようだった。 ……更に数年後、蓮二君は突然いなくなる。 最初は呆然としていた貞治君だったけれど、泣く事しか出来ない私を連れて、ある日おじいさんの所に行った。 わんわん泣く私を、おじいさんは大きな手でいつも以上にくしゃくしゃに撫でてから、貞治君と2人でずっと何かを話し込んでいた。そのまま泣き疲れて眠りへと誘われる私の耳に、微かな声が届く。 「好いた女の子を泣かせるとは、儂の見込み違いだったか」 「中学、……中学受験までに蓮二を探します。それで、蓮二と同じ所に絶対に宙を入学させます」 でも、意味を掴む前に私の瞼は完全に降りてしまったのだった。 チリン、と鈴が鳴る。 昔の、昔のお話。あの後、何とか立ち直った私は貞治君と同じ中学に通うつもりだった。でも、貞治君が強く立海をすすめてきて、両親も貞治君に説得されたようで、何故か私は立海を受験し、合格して入学を果たした。 そこで、柳君を見た時の衝撃。そして、貞治君が私にあれほど立海をすすめた理由。 懐かしい、と話しかける気分には到底なれなかった。また、きっと置いて行かれる。テニスを続けているらしい柳君はとても強くなり、そして凄い人気で、それが余計に拍車をかける。だから、必死になって避け続けてきたのだ。 でも。 気付いている。柳君は、私が立海の生徒だなんて、とっくの昔に気付いている。でも、知らないふりをしているんだと思う。なら、やっぱり会いたくないのだろう。会わない方が良いと柳君も思っているのだろう。だから、このままで良い。お互いに知らないフリを続ければ、良いのだ。 ごめんね、貞治君。 これが最後、ともう一度柳君の顔を覗き込み、じっと見つめる。大好きだった。貞治君も大好きだけれど、種類が違う事に気付いたのはいつだったか。私の初恋だ。ふ、と笑みがこぼれた。置いて行かれたけれど。 (ありがとう) 目を伏せて、その場を立ち去ろうとした瞬間だった。 「……っ、寝て、いた……」 「!!!」 心臓が躍り上がった。柳君の視線が私を捉える。震えそうになる足を叱咤し、机の上を指差す。 「あ、幸村君に頼まれて、書類を持って来ました。今日の、ミーティングの書類だそうで、部活前までに、目を通して欲しいそうです」 「……そうか。すまないが、持ってきてくれるか。寝起きで少々ぼうっとしていてな」 「は、い」 封筒を手にする。筆箱を持ち上げた事で、また鈴がチリンと鳴った。そっと、封筒を手渡す。柳君の視線から逃れるように、俯いたまま。見つめられたままなので、立ち去る事も出来ない。目の前で封筒を手早く開封し、中に入っていた白い紙にさっと目を通している。 「ふ、」 何故か柳君が笑った。 「今朝、突然、柳生から委員会の書類を提出された」 「?」 「……やられたな。この柳蓮二を嵌めるとは」 「あの、そろそろ」 「誕生日プレゼントだそうだ」 「は?」 クツクツ、と意味不明な事を言いながら笑う柳君に、思わず怪訝な声を出して、顔を上げてしまった。視線が絡む。 「誕生日プレゼントだそうだ」 もう一度、全く同じことを言って、柳君が手に持つ白い紙を此方に見せてきた。そこには。 『HAPPY BIRTHDAY RENJI!! プレゼントを届ける。 今日の柳のメニューは、誕生日という事で特別仕様だ。 四年越しの想いを伝える事。 健闘を祈る! レギュラー一同』 唖然と、その紙を見つめる。 「……貞治曰く」 「!」 「助手は教授につくものなんだそうだ」 後ずさりしようとした私の手を、柳君は素早く掴んだ。久しぶりに繋がったその手は、吃驚するほど大きな手になっていた。涙が零れそうだった。 「宙、臆病だった俺を許して欲しい。そして、願わくば――俺の傍に」 ずっと、好きだった。 その言葉を聞いて泣き始めてしまった私の手は、蓮二君と繋がったままだった。 ****** お誕生日おめでとう柳さん!!!! という事で、柳誕2012でした。因みに、現在6月4日の23時前です。間に合わないと思いましたが、間に合いそうです。 今回のタイトルは「慕う気持ちは華のように心にとどまる」といった位の意味です。 各話のタイトルは、6月4日の誕生花の花言葉から。 夏の訪れ:空木 美しい姿:ダマスクローズ 温かい心:薔薇(ピンク) 変わらぬ愛:イロマツヨイグサ 今回初めて乾君を出しましたが、キャラが掴めていない事請負です。 もうちょっと勉強してから、出直してきます……。彼は、必要と感じたら道化役もこなしてしまうイメージがあって、こうなってしまいましたが……。 とにもかくにも、柳さんお誕生日おめでとうございます! そして、毎回恒例の、短い上に残念なおまけをば。 *** 襖を隔てた隣の部屋からは、懇々と蓮二君にお説教を垂れるおじいさんの声が聞こえていた。 私はと言うと、縁側で貞治君と2人でお茶を頂きつつ、足元にじゃれる太郎と遊んでいた。因みに、蓮二君を見た太郎は、歯を剥き出しにして唸った上に吠え掛かり、蓮二君を大層落ち込ませていた。おじいさんが、「太郎にも、事ある毎に蓮二の成した事を語って聞かせていたからな。好きな女をどれだけ泣かせたかと」としれっと語った。「なんか蓮二、凄い極悪人じゃないか?」と貞治君が耳打ちした言葉に、私も頷く。おじいさんの言葉だけ聞くと、蓮二君は女性の敵に聞こえる。 「でも、良かったよ」 「?」 「宙はずっと引きずっていたし、試合で会った時、蓮二の想いも変わってないって分かったから、気になってたんだ」 「……うん」 「大事な2人だから、本当に良かった」 「ありがとう、貞治君。私も、貞治君のこと凄く大事だよ」 「ああ、うん……ありがとう。でも、それは、蓮二の前では言わないでくれ」 汗ばむ陽気の中、貞治君と私の笑い声、そしておじいさんの説教の声と、蓮二君の返事をする弱りきった声が響いていた。 おそまつ様でした! |