夏の訪れ

 全く、何だってこんな事に。腕の中の封筒に視線を落として、宙は深いため息をついた。


 ここ最近の習慣で、放課後の教室で小一時間ほど友人とお喋りを楽しんだ後、帰宅しようと廊下を歩いていた。
 すると前方、まさに廊下のど真ん中で腕を組み、ひとりの男子生徒が仇か何かを待ち構えるように仁王立ちしていた。中学生とは思えぬ上背、精悍な体つき。そして、「あれって、校則違反じゃない?」と首を傾げる生徒も多い、しかし彼のトレードマークでもある黒い帽子が目に入る。真田君だった。
 誰かを待っているのかな、そう頭の片隅で考えながら、横を通り抜けた。

「おい」
「………」
「おい、……青海宙、だな?」
「えっ!」

 私?と吃驚して立ち止まる。振り向くと、眼光鋭く真田君に見下ろされていて、身体が震え上がった。えっ、私何かした?
 廊下は、一瞬で平安時代の五条大橋にタイムスリップしたように感じられた。弁慶が千本の刀を集めようとして、遂に最後の一振りという所で牛若丸と出会い、戦い、敗れた場所。因みに、五条大橋と比喩したけれど、五条大橋という具体的な場所は明治の作家の手によるもので、『義経記』でも場所は明記されていないのだ。
 更に言うなら、友人といつだったか弁慶と牛若丸の話になった時、「願掛けで千本の刀を集めるって、仏様の逸話に似たのあるよね。あれは100本の指だけど、アングリマーラの話。それから話を作ったのかなぁ」と言うと、ぽかんとされてしまったのを覚えている。「……宙って、やたら知識幅が広いよね」と呆れられてしまった。

 とまぁ、こんな事は今はどうでも宜しい。真田君に睥睨されている私は、決して牛若丸やブッダではない。弁慶に刀を奪われた、もしくはアングリマーラに指を切り落とされた、物語に登場すらしない名も無き人物だ。
 そして、私はわざとそうやって過ごしてきた。目立たぬように、集団に埋もれてしまうように注意を払ってきた。特に、……彼らからは。

「何で、私の名前……」

 だからこそ呆然と呟くと、真田君と私が立つ隣、締め切られていた教室内から、「真田のバカ!」と小さな声が聞こえてきた。

「なっ、馬鹿とは何だ!」

 しっかりその声を拾ったらしい真田君が噛み付くと同時に、ガラッと中から扉が開かれる。そこには、立海の有名人が揃い踏みしていた。
 男子テニス部レギュラー。
 関わりをひたすら避けていた人物達の更なる登場に、後ずさりしてしまった。……いや、ひとり足りない。肝心要の人物、柳蓮二君。その事に安堵しつつ、視線から逃れるように顔を背けた。

「あ〜、ごめんごめん。驚かせちゃったみたいだね。ちょっと俺達ここで、ミーティングしてたんだ」

 怒る真田君を無視して、にっこり笑いながら部長の幸村君が話しかけてきた。

「でも、蓮二は生徒会の仕事で欠席しちゃって」
「……はあ、」

 幸村君の持って回ったような言い方に話がなかなか見えず、困惑する。

「そこで、真田にミーティングの書類を届けるように言ったんだけど、真田が「何故、俺なのだ!」とかワガママ言ってさぁ、」
「なっ、幸村!俺はワガママなど」
「って、ワガママ言うんだよ。真田が。……ねぇ、真田?」
「…………うむ……」

 苦渋の決断を受け入れたような真田君。
 教室では「幸村君だけは敵に回したくないぜ」「真田副部長、ファイト!」「あの役、当たらんでよかったぜよ」「あれは、真田君の不手際の結果でしょう」「柳生、あんまり言ってやるなよ」などなど、宙に聞こえない声で囁きが交わされている。

「そこでね」
「お断りします」

 早っ!とまた教室内から声が聞こえたが、無視だ。

「俺、まだ何も言ってないんだけど」
「ここまで来れば分かります。届けて欲しいって話ですよね?嫌です。それこそ、「何故私なのだ!」ですよ」

 幸村君の笑みが深くなった。

「「嫌」なら、理由としては却下だ。出来ない、とかなら俺達も引き下がるけど、嫌っていう感情なら、「それこそ」ワガママだ」
「…………」

 揚げ足をとったつもりが、逆にとられてしまった。相手の方が一枚上手だった。

「ごめん、苛めるつもりは無かったんだけど。ただ、ちょっとまだ話足りない事が出来て、真田を待つのも時間が勿体なくてね」
「なら、」
「あれ、真田が持ってる封筒は話には全く関係ないんだ。でも、部活前に蓮二に目を通して欲しいんだよ。俺達、ミーティング終わったらこのまま部活行くから」

 論破する糸口を探す間もなく、ね、お願い。と言われてしまい、渋々真田君から封筒を受け取った。

「蓮二、生徒会室だから」
「……分かりました」

 生徒会室に向かうため踵を返す。やだな。足が重い。鉛を引きずるみたいだ。

「あ」

 幸村君の声に、ピタリと足が止まる。

「真田に対してだったけど、青海さんの最初の質問。何で名前を知ってるか。……前、部活中に青海さんを見て、話題にした部員がいたんだよ。で、記憶に残ってたんだ」
「……そうですか」

 じゃあ、よろしく!との言葉を受けて、私は鉛を引きずる作業を再開させた。

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