39

全てを、語ろう。



 中学2年の夏休み前だった。誰が言い出したかは定かではないが、「三強」と呼ばれ始め、その名に恥じぬように練習を重ねる日々。あの日も、いつも通り部活を終え、日が落ちても暑さが残るアスファルトの上を、靴から暑さが這い上がってくるような気分で歩いていた。
 切欠は、何となく、だろう。たいした理由はなかった気がする。
 その辺は忘れてしまったが、俺は空を見上げた。中空に月がかかり、金星が一際明るく輝いている空を。
 そこに星が流れた。
 一瞬のことだったが、強い光を放ちながら駆け抜けていく星をはっきりと見たのだった。



「流れ星?」
「ああ」

 翌日、朝練の時間に俺は精市にこの話をした。何か、とても素晴らしいものを見たと思っていたし、実際に美しい光景だったのだ。

「ふーん。でも、ごめん。見てないや」
「そうか」

 精市は至極残念そうに俺の話を聞いてくれたし、他のやつらも話は聞いてくれたのだが、感情を共有することは出来なかった。そのまま朝練が終了し、クラスを目指す。
 月と金星と流れ星。写真のような、絵画のような、御伽噺のような。
 たった一瞬の出来事だった。しかし、あの感動を誰かと共有できたら、もっと素晴らしいのではないだろうか。
 少しもどかしく、そしてどこか悲しさと寂しさが心に巣くったその時だった。

「昨日、流れ星を見たよ!」

 弾むその声に弾かれたようにふりかえる。教室の中、ひとりの少女が若干興奮気味に昨日見たという流れ星について語っていた。
 月と金星が空にかかっているだけでも綺麗なのに、と。ちょうどそこに流れ星が駆け抜けていく景色はさながら一枚の絵画のようだったし、御伽噺のようだった。そんな夢みたいな一瞬の景色を見ることが出来たから、昨日から幸せな気分なのだ、と。頬を紅潮させ、にっこりと笑む。
 彼女が見た流れ星は、俺が見た流れ星とは違うかもしれない。だが、俺は同じだと、俺らしくも無く、根拠も無いのに確信した。彼女は俺と同じものを見たのだと。
 それが、青海宙だった。



 秋になった。無事全国大会で二連覇を果たし、「常勝」立海大の名と共に、「三強」の名前も有名になっていた。更に練習に打ち込む日々となったが、それが幸福でもあった。より、高みへ。心身ともに、駆け上がれる場所まで。
 そんなテニス漬けの生活ではあったが、少し変化もあった。青海宙だ。彼女の名前はテストなどで既に知っていたが、あの夏の出来事以来、気になる存在になっていた。どんな人間なのだろうか、と。
 彼女は図書委員だったので、図書室で顔を合わせる機会も多い。
 だから、という訳では決してないのだが、生来読書好きの俺は図書室に日を空けずに通っていた。そんな俺が図書室で本を見繕っている中、ふと人の視線を感じ顔を上げた。すると、5mほど離れた場所から青海が真っ直ぐにこちらを見ていた。
 途端に跳ね上がった心臓。声をかけるべきか逡巡していると、彼女の真っ直ぐな視線は俺を素通りしていることに気付く。思わず後ろを振り向くと、目に飛び込んできたのは真っ青な高い秋の空と、鮮やかな紅葉。
 美しい光景だった。

「綺麗だな」

 ポツリ、と呟いた俺の言葉に、俺にようやく気付いたらしい彼女は目をしばたき、それからふわりと屈託のない、穏やかな笑みを浮かべてこう言った。

「本当に、綺麗だね」



 意識を失った青海を抱き上げ、マンションの中に入った。部屋はどこか雑然としており、リビングの机の上にはノートパソコンと紙の束、多くの本が散乱していた。
 ひとまず青海をソファに寝かせ、寝室を探して目についた扉を開ける。
 飛び込んできた景色。
 目を見張り、巡らせ、最後に伏せた。ぎゅっと、手を握りしめる。
 やはり、そうか……。確信に近い予測はしていた。
 今までの青海の言動が頭の中を駆け巡る。
 今思えば、数多くその片鱗はあったのだ。例えば、PCの前で脚本を執筆している彼女。帰り道、作家志望だろうと尋ねた俺に、そうだ、とは言わなかった。彼女が認めたのは、携帯のみだ。そして、気になったのが脚本。似ていたのだ。時代小説とライトノベルに。言葉の選び方、文章を区切る一定の癖のようなもの。それでも、まさかとは思ったのだが、先日の騒ぎで弦一郎が抱いた感想が切欠だった。時代劇が好きだと言った青海本人の言葉も切欠のひとつとなった。
 彼女の体調が崩れた時期と、小説の発売年月日。脱稿と発売日のズレを考慮しても、それはピタリ、と一致した。PCの前で愕然とした。それでも、偶然かもしれない。そう思い、青海には何も問わなかった。だが、この部屋――恐らく、資料部屋なのだろう、を見てしまえば、一目瞭然。
 そうして、「何故何も言わなかったのか」に思い至るのは容易かった。

 しかし、今は彼女をベッドに運ばなくてはいけない。今、ここで己が受けた衝撃は後回しにしてもなんら問題ないものだ。首を軽く振り、思考を散らせる。踵を返し、扉をパタンと閉めた。次に開けた扉が寝室で、青海をソファから抱き上げてベッドに寝かせた。エアコンをつける。

 抱き上げた時の感覚で、発熱していることが分かっていたので、あたりをつけた冷凍庫で氷枕を見つけ、洗面台でタオルを見つけ、処置を施す。制服は流石に脱がすことが出来ず、ネクタイだけ解いておいた。
 浅い息を繰り返す青海の横、ベッドに座り、顔色を見る。そう。今朝から余りにも顔色が酷く、どうしても気になって仕方が無かった。そんな俺を見透かした精市は「明日、何をすべきかは自分が一番分かってるよね?分かっているなら、行ってきなよ」と見逃してくれたのだった。何周でも走ろう。俺は着替えもそこそこに、部室を出た。靴箱で靴の有無を見てから、学校の敷地を後にする。そして、目当ての人物を探し当てた。
 見つけた、と声を掛けようとした途端に、目の前で崩折れた身体に心臓が握りつぶされるような感覚があった。
 間に合って良かった。ベッドで寝ている顔を見ながら心からそう思う。
 そして、耳に届いていないことを承知で俺は全てを語り始めた。

「中学2年からだ。ずっと、青海を見ていた。肝心の青海は気付かなかったようだがな。……気持ち悪い!と一刀両断にされそうだが、これが真実なんだ。携帯の番号とアドレスを調べるのが速い?当たり前だ、ずっと知っていたからな。基本的なデータは全て入手済みだよ。……言っておくが嘘はついていないぞ?身体測定の時、お前は「中1から?」と聞いた。「いつから?」と聞かなかったお前が悪い」

 若干、青海の眉間にシワが寄った気がする。もしかしなくとも、聞こえているのだろうか。ならば、好都合だ。俺は構わずに続ける。今、一番伝えたいことを。

「……青海、俺を信頼して欲しい。青海が何だって、俺には問題にならないんだ。その位で捨ててしまえるような、変わってしまうような思いじゃとっくにないんだよ」

 青海の呼吸が、途中から押し殺したものになっているのに気付いていた。
 頬に手を添える。ビクッと肩が揺れたのを見逃さない。フ、と息だけで笑う。
 機会に恵まれる度に、君を見てきた。そして、ある日気付いた。より、高みへ、そう望む俺達と似た空気を纏っていることに。真っ直ぐに注がれる視線の先。
 目指すものは違っていたとしても、一緒にいられるなら幸せだろう。
 もう、そう思ったら、駄目だった。
 ずっと、ずっと抱えてきた感情。自分でも驚きだ。データなんて役に立たない。ここまで臆病に、慎重になるなんて想像がつくものか。気付いて、と願っても気付かない、気付いてくれないの繰り返し。それでも、思いは膨らんでいく。思う側から、溢れて零れ落ちていく。いつか、この思いを君に注ぐことを願いながら。
 もう、逃さない。そうだ。同じクラスになった時から逃す気なんてどこにも。
 ゆっくりと、殊更ゆっくりと顔を近付けて、俺は告げた。

「好きだ、宙」



バチッと青海の目蓋が開いた。


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