36 なんだこの状況は。 日曜日の午後、我が家のインターホンが来客を告げた。誰かな、と確認すると、なんと柳君である。 やけに焦ってしまい、変な格好をしていなくて良かったと思いながら急いで身だしなみを整えて迎える。 すると、「時間があったら少し付き合ってくれないか?ああ、荷物と定期券も持って」と言われた。時間はあったので、言われるがままに財布やら携帯やら簡単な荷物と定期券を持って玄関に向かうと、すぐに外に連れ出された。 行き先を聞いても笑うだけで一向に答えてくれず、なんだなんだとついて行くと、電車に乗ってある立派な日本家屋――もはや屋敷と言っても過言ではないお宅へ。表札には「真田」と力強い字で書いてあった。何故、真田君の家。 ここまででも怒涛の展開なのに、そこからまた凄かった。 道場に連れて行かれ、そこに待っていたのは胴着に身を包んだ現代に蘇った武士、もとい真田君だったのだ。 「え、え、え?何?何をする気なの」 「試合を頼みたい」 は?試合? 「先日の青海の動きを見た。素人とはとても思えない動きだった。……是非、試合を申し込みたい」 「は?」 「嫌なことを思い出させるが、先日の一件での青海の傘さばきに弦一郎がいたく感心してな……」 「傘さばき……ですか……」 先日の一件。 結局、傘で応戦してしまったことは正当防衛とみなされ、当然しぼられたが大事にはならずにすんだ。 勿論、柳君、真田君、仁王君の弁護も大いに助けになったことは言うまでもない。 ちょっかいをかけてきたあの極彩色の人達については、「俺に任せてくれないか」という柳君の言葉に甘えてしまった……と言うか、笑ってない柳君の笑顔が怖くて、先生共々頷いたというか。 ……な、何をする気なんだ……。 「問題になる」と先生が制止しかけたのだが、「俺がそんな下策に出ると思いますか……?」と言った柳君の表情と雰囲気に「ですよね〜」と返す位しか出来なかったし、真田君も仁王君も目を逸らしていた。その後、綾と柳君が二人で話している現場をちらちら目撃してしまった。何というか……とても近づき難い雰囲気を纏わせながらである。 その更に三日後、今度は二人がとても爽やかな表情で会話をしていたので、何も見なかったことにしておいた。 とにかく、なんとか事なきを得た訳である。 「誉めてくれるのは有り難いんだけれど、私剣道は……」 「うむ。分かっている。俺も剣道と共に居合いを嗜んでいる。そうだな……他流試合とでも言えばいいか」 「待って、話が大きくなってる!私が剣術を学んでたのは、中学までで、高校生になってからはご無沙汰してるから……」 そう、私は剣術を学んでいた。ただし、中学生までなのだが。しかし、この経験が時代小説で生きたことは言うまでも無く、リアルだと評される殺陣の描写に繋がっているのだ。 私が必死に断ろうとしている中、真田君はどうしてもやりたいようだ。 いそいそと用意をしている。お願いだ、話を聞いてくれ! 「え、え、本当に困る……」 「試合、してやってはくれんか?」 そこに突然割って入ってきたのは、なんとも好々爺然としたお爺さんだ。えっと、もしかしなくても…… 「お祖父様!」 ……!やっぱりですか。真田弦右衛門様ですね……!いつぞやファンレターを下さったお祖父様ですね! 急いで道場の床に手をついて挨拶する。 「お邪魔しております。初めまして、真田君のクラスメイトの青海宙と申します」 「弦一郎から話は聞いておる。なかなかの遣い手らしいのぅ」 話大きくなってる!遣い手!? ぎゃああああ、とぶんぶんと首と手を振って必死に否定をする。 「ち、違います……!真田君、お願いだから話を大きくしないで……!」 「む。なかなかだと思うが」 「真田く〜ん!」 「試合、してやってはくれんか?弦一郎の奴が楽しみにしておったからのぅ……」 「う……」 こうなってしまうと弱い。 しかし、私の実力は本当に大したことはないのだ。あれは、向こうが油断していたから出来たことであって実力とは言えない。最後は半ば虚勢だったのだから。 「本当に、たいしたことないからね……!」 「受けてくれるか!」 「弦一郎、青海、見ていても構わないだろうか?」 「俺は構わん」 「……メッタメタにやられるので良ければ……」 なんでこんなことに……。 しっかり胴着と防具も用意してあった。道場だからなんだろうけれど……。 着替えて、軽く体を解してから戻る。そこに用意してあったのは竹刀だった。 助かった……。 「お願いします」と礼をしてから、青岸に構える。真田君も同じく正眼。こちらは基本中の基本である歩き方、風帆の位すら怪しくなっているのに。 結果としては、真田君の攻めは烈火の如し、だった。受けるだけでほとんど精一杯。壁際に追い詰められて、打たれて終わることがほとんどだ。 こんな試合とも言えない打ち合いで真田君は果たして良いのだろうか、と考える。しかも、私は持久力がないので息がとっくの昔にあがってしまっている。ひゅうひゅうとあがりっぱなしの息を、騙し騙しなんとか調えた。真田君の打ちを受け続けた手もびりびりして、感覚が覚束なくなっていた。 ゆっくりと一回まばたき。このままでは、真田君に悪い。それに、私だって悔しい。 直立ちの位。 真田君が容赦なく面を打ちにきたのを見つめる。それを十分に待ち、竹刀を右肩線上にひっかぶって真田君の打ちより一拍早く面をバシッと打った。後の先、である。 「あ」 初めて打ちが入り、思わず声がもれた。 「見事に入ったな」 「弦一郎もまだまだ修練が足りんのぅ」 「……はい」 「いや、偶然、だから……。それに、もう、限界でして」 強い集中によって、肩の上下を抑えられなくなっていた。ひゅうひゅう、という呼吸の音がかなり荒くなってしまっていて、喉が少し痛い位だ。 「ここまでにするか」 「お願い、します」 最後に一本だけ入れた、というなんとも不甲斐ない戦績だが、当たり前の結果だ。これは勝ち逃げとも違う。一本とったことが奇跡に等しい。 ありがとうございました、と礼をして、思わずその場にへたり込む。 「大丈夫か?」 柳君が近寄ってきたのを手で制す。凄く汗をかいているのだ。 流石にこの状態で柳君に側に来て貰うのは、色々と、その、差し障りが。 「なんとか……」 苦笑いで返していると、お祖父様がからからと笑う。 「いや、最後は見事じゃった。青海さん、だったか?」 「はい」 「尾張柳生か」 「流石、ですね……。ちょっと、した、ご縁で……学んでいました」 息が上がったままでなんとも不甲斐ない。 「また機会があったら、是非学んでご覧なさい。……汗が気持ち悪いじゃろ、風呂に入ってきなさい」 びっくりして、ぶんぶんと手を振る。 「いえ、そんな。汗さえ拭けたら十分です!」 「孫の我が儘に付き合わせたからの。遠慮はなしじゃ」 「……ありがとうございます」 それから、真田君の案内でお風呂に向かった。途中、真田君が誉めてくれたのだが、くすぐったさに苦笑いするしかなかった。 「尾張柳生とは珍しいのぅ」 青海を風呂場まで送っていた弦一郎が戻ってくると、お祖父様が楽しそうに口を開いた。弦一郎がそれに答える。 「はい。足さばきから違っていて、勉強になりました」 「まだまだ、という所じゃが。しかし、不思議と似ておった」 「ええ」 「?」 弦一郎とお祖父様の話についていけずに一人首をひねる。弦一郎と青海の足の進め方が違うというのは見ていてなんとなくだが分かった。青海は能の歩き方と似ている。 だが、剣術そのものの話となると、とたんに門外漢になってしまう。 「何が似ているんだ?」 「同じ流派だからな、似ていても不思議ではないが。足さばき、打ち込み、型。――『鵺鳥の』から始まるシリーズの主人公は尾張藩付家老の跡取り。そして尾張柳生流が生んだ天才、柳生連也斎に師事した尾張柳生の遣い手だろう?それが、青海の剣筋に似ているのだ。まあ、最初にも言ったが、流派が同じなら似ているのが当たり前だがな」 「何……?」 衝撃が走った。 |