34 本質とはこういうことだろうか。 「青海、お前の体調はもう大丈夫なんだな?」 「はい。お陰様で今は大丈夫です」 「フン、そうか。それとその口調だが、直せ」 「……普段通りの口調に?」 「そうだ」 私の体調を尋ねた跡部君は満足そうに頷き、そのまま口調まで普段通りに、と注文してきた。私の所業を思うと、破格の待遇な気がする。嫌われても可笑しくないのに。 でも、これが彼の器の大きさなのだろう。本当にプライドが高いからこその器の大きさ。 あれだけの応援は即ち、あれだけの期待を背負うこと。あのパフォーマンスは、その期待に十二分に応えられるからこその行動。 まぁ、綾の言ったように今回は負けてしまったが、真田君との試合は手に汗握る接戦だった。今回は真田君が勝ったけれど、次回は全く分からない。 「神鳥と知り合いだったんだな」 「中学一年生の時に同じクラスになってからの友達で」 「友達ね……。神鳥をあそこまで動かすやつはそういねぇよ」 「?………!!」 跡部君の、面白いものを見つけたという表情と言葉に疑問を覚え、思考を巡らし、最後に視線を巡らせた。 閃いたそれに自分の迂闊さを思い知る。綾がわざわざ付いてきて、それこそあんなパフォーマンスをした理由。忍足君の言葉。 「綾、ごめん……!」 「気にしないで。好きでやってることだから」 「気がついたようだな。……移動するぞ」 「その必要はない」 跡部君の言葉に頷きかけた途端、後ろから声がかけられた。 「柳君!」 「忍足、試合だ」 「あれ、もうそない時間?あかんな、この子が面白くてついつい」 ニコッと笑って忍足君が「応援してくれへん?」と言うので、流石に立海生だからそれは……と断ろうとすると、柳君が言葉を被せる。 「忍足の相手は赤也だ。うちの後輩を頼むぞ」 切原君なら、いよいよ忍足君の応援は出来ない。切原君の応援をしないと。 「ごめん忍足君。流石に切原君を押しのけて忍足君の応援は出来ないや」 「そりゃ、仕方あらへんな」 でも試合は見られるかな、と思ったけれど、続く柳君の言葉にそれも無理となる。 「俺も試合でな。青海、応援してくれるだろう?」 「え?ああ、勿論」 「柳、お前の相手は日吉だな?うちの後輩を頼むぞ。精々足元を掬われねぇよう気をつけな」 「言われるまでもない」 行こうか、との言葉に頷いて、忍足君にぺこりと頭を下げると彼は笑顔で手を振ってくれたので、私も笑いながら振り返した。忍足君は気さくな人のようだ。 青海、と更に呼ばれたので急いで柳君の横に並んでついて行く。 「ありがとう」 私が突然お礼を言ったので、怪訝な顔をする柳君。 「跡部君が来るから試合に誘ってくれたんだよね」 「気付かれたか。そうだ。青海がやけに気にしていたからな」 「うん、本当にありがとう。跡部君は器が広いね。怒られた上に嫌われるのを覚悟してたんだけれど。忍足君って人も気さくだったし」 「跡部は横柄さと寛大さを併せ持っているからな。忍足は緩衝材の役目を果たしている。良く人を見ているし良く気付く」 「なるほど……」 2人とも随分と得難い人のようだ。やはり強豪ともなると人物も出来た人達が揃うのだろうか。 その後は、柳君の相手である日吉君が例の古武術をテニスに取り入れている人だという説明を聞いていた。 微笑う、怒る、からかう、照れる。 泣き顔は見たことがない。 意地悪な表情、不遜な表情。 ――真剣な表情。 柳君と仲良くなって僅か数ヶ月。それでも沢山の表情を見てきた。沢山の柳君に触れてきた。同じように、沢山の私を見せてきた。 図書室から一緒に帰った日、真実をひとつ渡した日。柳君はパソコンに向かっている私を弦のようだ、と評した。私の本質を見たと。 ならば、今私が見ている柳君が柳蓮二の本質なのだろうか。 「クロスの確率、87%」 淡々と、しかし圧倒的な実力でポイントを奪っていく。計算され尽くしたテニス。冷厳に相手を追い詰める。詰め将棋のような、一種の美しさまで伴う、妙なる手順。 柳蓮二が描き出す世界。 ちりちりと首筋が焼かれる。 フェンスをぎゅっと握った。 こんな柳君、知らない。 「フン、圧倒的か」 「えげつない戦い方だと思うんだけど」 「えげつない?お前の所の部長に言ってやるんだな」 綾と跡部は、宙の後ろで試合を見ていた。 足元を掬われないように、と言ったは言ったが、柳が勝つだろうと跡部は考えていたし、実際そのような試合運びだ。気に食わないが。 跡部は目の前でフェンスを強く握りしめている宙に目をやる。殆どの女子は格好良い!と叫びながら応援しているが、彼女は頬が紅潮するどころか、白くなっていた。それほど真剣に、真摯に柳を見つめている。 あの日、立海に練習試合と合同合宿の打ち合わせをしに行った日、目の前で吐いて倒れた彼女に、柳は彼女以上に真っ青な顔色をして駆け寄った。 そして、俺が、この俺様が思わず頷いてしまう程の迫力で片付けを命じたのだ。 しかし、その後に青海を抱き上げた柳の表情を見た瞬間の衝撃はそれ以上だった。 跡部は思い出して、ふ、とひとつ笑みを落とした。 「神鳥」 「何?」 「お前が誰かをあそこまでして守るとは思わなかったぜ」 「親友だからね。だいたい、アンタ達が無駄に人気ありすぎなの。今でこそこれだけ格好つけてるけど、昔、私にお気に入りのテディベアとられて大泣きしてたのは誰よ」 「……うるせぇ」 綾は憮然としている跡部を横目で見る。昔から吃驚する程綺麗な顔付きだったが、今では無駄でしかない綺麗さだ。そんな跡部の恥ずかしいあんなコトやそんなコトを知っているのは、私以外にはそういない。と綾は思っている。そしてそれは事実だった。 「氷帝はまだマシ」 「……柳、いや、立海か?」 「そう。いくら跡部に砂糖に群がる蟻のように女子がたかっていても、氷帝は良くも悪くも育ちの良い子が揃ってるもの」 「『神鳥綾』の親友、に手を出すバカはそういねぇ、か」 「そういうこと」 「立海では、手を出すバカがいたか」 「柳も人気あるから」 ため息をひとつ落として、柳を見つめる親友を見つめる。業腹だが、柳は宙と並ぶだろう。それも、近い内にだ。 まあ、柳の一途さは良く分かっている。彼が誰をずっと見ていたか知っている。だって、露骨だったし。早妃も知っているからこそ、あれだけ食ってかかっているのだ。 親友が近い内に柳にとられる、と分かっているから。 「……脈あり、じゃねぇか」 「思いっ切りね。ここ数ヶ月柳も頑張ってるし。最初は脈なしって言うより、眼中外だったけれど」 「邪魔はしねぇのかよ」 「柳なら大丈夫でしょ」 見事にマッチポイントが決まる。冷静過ぎる程冷静な立海の参謀、そう勝手に思っていた柳蓮二は実際には全く違っていた。彼がめったに目を開かない理由も。 試合が終わり、互いに礼をして一番に柳は宙へと向く。 「青海」 ここに鏡があったら、と綾は思った。ここに大きな鏡があったら、柳の今の表情を柳に見せてやるのに、と。 |