32

真実をひとつ



 ゴーっというPCの排熱音とキーボードを打つカタカタという音だけが司書室に響いていた。

 海原祭の例年の人手や待ち時間などを考慮すると、劇は30分弱。その台本の中に事件と推理と解決を盛り込まねばならない。片方はお約束的な怪盗事件に、もう片方はちょっとした日常の謎を解決して貰うことに勝手に決めたのだが、時間内に上手く纏められるかが問題だった。

 シナリオ書き承諾から、一稿目は既に書き上げて披露した。
 殆どのクラスメイトが「……十分じゃないですかね」と誉めるというよりは唖然、という形で承諾する傍らで、ミステリ好きのクラスメイトといつもの面々からいくつかの助言を貰って書き直している最中だ。勿論、柳生君のアドバイスもとても為になったのは言うまでもない。
 プラス、劇に出ると決定した人達から台詞回しや演出に関しても注文を聞いたので、そこも考慮せねばならない。
 そもそも、ミステリ自体書き慣れていない。確かに時代小説やラノベで伏線を張ることはいくらでもあるが、ミステリとは質や目的が異なってくる。しかも、今回は皆さんに気付いて貰う為の伏線だったので手間取った。

 あと台詞を直す箇所は、と思考に沈んでいると、ふわり、と香った匂いに思考がすくい上げられた。
 いや、絡め取られた、の方が正しいかもしれない。

「青海」

 その香りだけで、もう、誰か分かってしまう。「大切にする」その言葉通り、翌日から彼はその香りを纏わせて来たのだから。

「……柳君」
「ああ。進んでいるな」

 手をパソコンの横について、画面を覗き込んでくる。ここまで近付くと、より一層確かな香りに包まれてしまって、肺の中まで満ちてしまいそう。
 こんなに強い香りで、柳君は平気なんだろうか。

「それより、こんな時間まで残って、大丈夫か?」
「え?……あ!うそ、もうすぐ7時!?」

 画面の右下に表示されている時計を見てぎょっとする。電気もつけずに作業に没頭していたので、部屋は勿論のこと、見れば外が随分暗くなっていた。日が長いと言っても、もう日の入りに近い。

「全然気付かなかった……」
「集中していたからな。俺がノックしたのも気付かなかっただろう?」
「全く。……よく私が残ってるって分かったね」
「靴が残っていた」
「なるほど…」

 こうなると、必然的に一緒に帰る流れになる。最近、本当に良く柳君と2人になってしまうのだが、これいかに。
 それに、なんと言うか、それを嫌じゃないと感じる自分がいるのを自覚し始めた。2年生になったばかりの時は、絶対、嫌だった。断言できる。
 でも、今は嫌じゃない。むしろそれに幸せを感じている自分がいる気がするのだ。

「あまり根を詰めるな」
「これ位なら全く問題ないね」

 笑いながら答えると、柳君がこれ見よがしにため息をついた。てくてくとややゆっくりの歩調。私がそう簡単に言うことを聞かない、というのは柳君も先刻承知のはずだ。それでも一応という言葉なのだろう。

「ああ、空が綺麗だね。マジックアワーはもう過ぎたけど」

 真っ直ぐに伸びる道路の向こうには刻々と変化する宵の空が広がっていた。雲が穏やかに光に染まり、ぽつんとひとつ星が輝いている。宵の明星。

「そうだな」

 空を見上げる私につられて、柳君も仰向く。背が高い彼は、より空に近い。仰向くと彼の表情が見えなくなる。ふと、彼はどんな表情でどんな景色を目に映しているのだろう、と考えた。

「……声がかけ辛かった」
「え?」
「司書室でシナリオを練っている青海を見つけた時、すぐに声をかけられなかった」
「何で?」
「弦のようだ、と」
「…………」
「ピンとした緊張感があった。普段の青海とは違う、違うと言うよりは、青海の本質を見た、と感じたな」

 本質、なのか自分では良く分からない。だけど、文章を書いていると寝食を忘れる場合がある。切羽詰まった時もそうなのだが、集中もしくは、無心に近い心境なのかもしれない。

 突然、ピタリ、と柳君の歩みが止まった。立ち止まった柳君を振り返ると、2人の影が道路に長く伸びていた。彼はじっと私を見つめている。

「売れない作家、という噂があったな」

 柳君が話し始めた。しかも、作家の話題。体が震える。

「あ、うん……」
「たわいもない噂だ、とすぐに下火になったが、俺はそう思わなかった。青海は不規則だが寝不足で登校することがある。以前はPCを持ち込んだだろう?」
「…………」
「納得したんだ。そうなのだろうと。売れない、というよりは作家志望で、それを知られたくないから黙っているのだろう、と考えた」

 私は何一つ行動がとれなかった。呼吸から真実が漏れ出るとでもいうように、息も。

「今日の青海を見て、確信に変わったんだ。あれが、青海宙」
「…………」
「……携帯も、そう考えても良いだろうか?出版社との連絡用だ、と」
「携帯……?」

 ようやく口から出た言葉は、風がいとも容易くさらっていきそうな程に弱々しく響いた。

「司書室で本を探して貰った時に、携帯が鳴ったな」
「う、ん」
「司書室から出る際に、携帯を取る青海が目に入った。その携帯は普段お前が使用している携帯とは色も、機種も違うように見えた」
「…………」
「それに、日曜日に青海に出会った場所。あの近くには」

 出版社がある。
 ここまで来て、柳君相手に誤魔化すことは困難だった。

「……うん。出版社との連絡用だよ」

 ひとつ、真実を渡す。
 もう、ここまできたら最後まで、私が「鵺」なのだ、と正体を明かせば良いじゃないか。そう思う一方で、その考えを打ち消す程に恐怖を感じる。親しくなれば、親しくなるほど。
 それは、壊れることへの恐怖。

 このひとつの真実から、柳君ならばすぐにもうひとつを、彼曰く「鵺」の正体へとたどり着くのだろうという予感がする。
 でも、もう少しだけ猶予が欲しい。柳君なら大丈夫だと信じたい一方で、もし、がどうしてもつきまとう。今ここで全てを話して、もし、が当てはまってしまったら。

「いつか、青海が言っていたな。隠したがっているものを無理やり暴いても、と」
「……うん」
「確かにそうだ。だが、勘違いしないで欲しい。俺は、」
「……分かってる。このことに関して柳君は決して、嫌がらせとか、まして私に不利益になることはしないって」
「ああ。誓ってしない。誰にも、弦一郎にも言わない。ただ、そうだな……」
「?」

 私を弦のようだ、と言った柳君が琴のようにピンとした雰囲気で私を見つめる。

「知りたいと思ったんだ。青海宙というひとを」

 真っ直ぐに、愚直なほど真っ直ぐに響いた柳君の言葉。
 瞬間、射られた、と悟った。
 感じたのでも、分かったのでもなく、悟った。彼は私を射たのだと。鵺を射たのではない。彼はまだそれを知らない。
 変わる、と感じた。私の中で柳君の立ち位置が。そして、私はそれを掴みかけている。柳君が私のどこに立つのか。

「……帰ろう」
「……うん」

 それから、柳君は「大丈夫」と思い出したように口に出して、また私の頭を撫でた。何が大丈夫なのか良く分からなかったけれど、なぜか酷く安心した気持ちで私は彼と並んで家路についていた。
 そして、柳君がこの時小さく「似ている」とつぶやいたことに私は気付かなかった。



鵺の正体までもう少し。


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