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なんというタイミング。



 「枕詞シリーズの〆切りを延ばして頂けるのでなければ、このお話はお受けしません!」と私がそれはもう強固に主張し続けた結果、〆切りは延び、代わりに脚本のお仕事を受けることになった。
 監督にもお会いした。想像以上にお若くて気さくな方だったけれど、若い、という点では私の年齢を聞いた瞬間の監督の顔が忘れられない。
 ぽっかーん、と言うか、ペンギンが大空に羽ばたいた決定的瞬間を見てしまったような表情だったからだ。ちょっと笑ってしまった私は悪くないと思う。
 その後、お昼ご飯をご一緒して、よくよくお礼とこれからのことをご挨拶して別れた。

「終わった〜」

 もう6月の頭。それに今日は晴天なので、外は長袖だとなかなか暑い。シャツの袖をくるくるとまくって、せっかく外出したんだし買い物しよう、と歩き出しかけたその時。

「何が終わったんだ?」
「、うわぁああ」

 突然耳許で囁かれたので鳥肌がぶわっと立ち、思わず叫んで振り向きざまにバッグで相手を殴りかけた。すんでのところで、その声の主に思い当たる。

「や、なぎくん……。心臓が口から転がり落ちるかと思った……」
「青海の叫び声は始めて聞いたな」
「どうしてここに、……あ〜、その荷物は部活?」
「青学で練習試合だった。その帰宅途中で青海を見かけてな」

 人を思いっ切り驚かしたくせに、しれっとした顔をしている。
 それに、今日は暑いのだが、柳君の周りだけ風が取り巻いているかの如く涼しげでもある。

「青学……例の青春学園?」

 心臓を落ち着かせながら、青学という単語に反応する。真田君の好敵手かつ体の硬い……え〜っと、誰だっけ。動かない人。……て、て、手塚君?とやらがいる学校だ。
 う〜ん、一度見てみたい。そう考えていると、柳君が覗き込んできて我にかえる。

「……これから、空いているか?」
「え、ああ。空いてるけど」

 じゃあ、行こう。そう言って是、との返事も聞かず問答無用で連れ去られた。
 拉致場所はプラネタリウム。私は空を見るのが好きだが、星空もまたしかりである。浮かび上がる、こぼれ落ちんばかりの星々。街中に住んでいると忘れてしまいそうだけれど、空はこんなにも美しいのだ。柳君は、私が空が好きって覚えていたのだろうか。
 上映が終わると、柳君の歩みのままに公園に。木陰のベンチに促されて座る。 さっきは、こぼれ落ちるような満天の星空。今度は6月の滴るような深緑。ふわっと風が吹くと、さわさわと葉風も耳に涼しかった。

「買い物にいこうかな、って考えてたんだけれど、柳君についてきて正解だったな」
「それは良かった」

 美しく整えられた公園の景色を見ながら、私は若干興奮していた。

「プラネタリウムなんて、本当に久しぶりだったよ。いつ以来かな〜。私、空を見るの好きだから楽しかった。ありがとう!……そう言えば、中学生の時に偶然大っきな流れ星を見たことがあってね、」
「知ってる」
「え、ああ。空を見るの好き、って4月の自己紹介で言ったね」
「……そうだな」
「と言うか、なんかさっきからひとりで興奮気味にまくし立てちゃってるね。ごめん」
「青海が楽しそうで何よりだ」
「!」

 穏やかな、あたたかな微笑みがそこにあった。ここで突如『厄介な人に好かれたねぇ』と司書さんの言葉が蘇ってしまう。出版社との折衝ですっかり忘れていたのに。
 …………。
 興奮が一気にしぼむ。柳君を直視しかねて視線をさまよわせ、最後に自分の手に落ち着いた。今、絶対、顔が赤い。こんな勘違い、柳君にも迷惑がかかる。
 下を向くと、自然と鞄が目に入った。鞄が目に入れば、鞄の中に入っているものへ思考が及ぶ。出版社の人に頼んで手に入れて貰ったものだった。
 ……なんというタイミングだろう。
 司書さんが変なこと言うから、変に意識してしまうではないか。
 ぎゅーっと、心臓が痛くなってきたじゃないか。
 でも、せっかく「今日」会えたのだから、渡さない手はないのだ。
 鞄を開けようと手を伸ばす。

「っ……そう言えば、最初の質問の答えがまだだったな」
「え?」
「何が終わったんだ?」

 鞄に伸ばした手を遮るように、反対の手が掴まれた。そして、非常に都合の悪い質問も飛び出した。
 握られた手も物凄く気になるのだが、投げかけられた問いが全くの不意打ちで目が泳ぐ。

「……用事が」
「どんな?」
「……人に、会ってた。受け取る物があって」

 嘘は言っていない。
 言っていないことはあるが。

「……何を、受け取ったんだ?」

 何を考えたのか少し言葉に間があったが、それでも順当な問いに、握られた手をやんわり外し、今度こそ鞄を開けて、お目当てのものを取り出した。
 そこで、自分の手が震えているのを知覚して、驚く。
 なぜ、震えているんだろう?
 とにかく、震えを悟らせないように注意しながら差し出す。

「……えっと、柳君、お誕生日おめでとう」
「!」

 6月4日。今日であっているはず。
 約一週間前、登校すると、隣の机がプレゼントに埋もれていると言う驚きの光景に出くわした。唖然と扉の前で立ち尽くしたのも思い出だ。その時、2人の誕生日を知った。
 これは学校にいる間に2人の嗜好を色々考えて、帰宅後すぐに手配したものだった。

「開けても?」
「うん」

 受け取ってくれた柳君は、そっと包みを解いていく。

「……匂い袋?しかも、これは伽羅か?いや、……白檀……竜脳……ききわけきれないな」
「香道に関して調べた時に、京都のあるお店で作ってるものが愛好家の中でも垂涎の品、って聞きかじったのを思い出してね。コネとかを手繰り寄せてみたら何とか引っ掛かって」
「これを受け取ったのか?」
「あと、真田君へのプレゼントも。大阪でやってる浮世絵展の図録をね」
「そうか……」
「柳君が嬉しそうで何よりだよ」

 さっき、柳君に言われたようなことを柳君に言い返した。

「大切にする」
「うん」
「本当に、大切にするから」
「……うん」

 幸せそうに、でも、眉尻を下げてどこか哀しそうに、切なそうに微笑む柳君に、また心臓がぎゅーっと痛くなる。前よりも、ずっと。ずっと。
 そんな顔を見ていられなくて、ベンチの端をきゅっと掴んで、私は俯いた。


 結局、お互いに何となく話難い雰囲気になってしまって、そのまま言葉少なに一緒に家路についた。
 柳君はどうしてあんな表情をしたんだろう、そればっかりを考えながら。


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