期待に応え続ける、日常

「イリスちゃーん」


後ろからかけられたこの声は間違いなくハンジさんの物だけど、いつもと違う声色と呼び方に嫌な予感しかしないな、と思いながら振り向けば、予想通り何かを企んでいる。そんな色を帯びたハンジさんがそこに居た。


「なんですか、ハンジさん。その呼び方」

「まぁまぁ、気にしないでよ」


気にされたくないなら普通に呼べばいいのに。ハンジさんって、変なところで分かりやすい人だ。けれど後ろにいるモブリットさんにハンジさんを止める様子は見られないから、そんなに危険視する必要もないと言うことだろう。正直、この間の私を使った実験は死を覚悟したけど。


「イリス、今度訓練兵の視察に行くんだって?」

「あぁー、はい。行きますよ。それがどうかしました?」


その質問に素直に答えれば、ハンジは手に持っていた書類を何枚かめくった。質問の内容から想像するに、訓練兵の書類か何かだろうか。私は持ってないけど、一部の幹部はそれを持つ権利があるのかもしれない。興味がないことは、ない。


「あの、それってもしかして・・・」

「多分、君の想像通りの物だよ。訓練兵の情報さ」


言いながらお目当ての書類を1枚引き抜いて、イリスに渡す。見てみるとただの名簿のようだから、機密事項ではないのだろう。


「104期・・・ですか」

「うん、この子を見てくれ」


ハンジさんが指を指したところを辿ってみると、”ミカサ・アッカーマン”という女性訓練兵の名前が記されてあるだけ。少し珍しい名前だけど、特に注目するような所じゃないはずなのに。この子がどうしたというのだ。


「この子は今暫定主席らしいんだ」


素直に驚いた。この訓練兵団では男女とも同じ訓練が課せられるために、女性であっても好成績を残せるという子は少なくない。だけど豊作らしいこの104期で、暫定であろうとも主席が女の子だなんて、思ってもみなかった。なるほど、これは興味が沸くはずだ。


「へぇ、すごいんですね。確かに体格のデータ的には、たくましそうですけど」

「だろ?それに驚くべき点はそこだけじゃない」


輝いていたハンジさんの目がスッと細められる。あれ、ハンジさんって巨人や壁外調査のこと以外でも真剣になれたのか。それにも驚きだ。


「この子は東洋人らしい。とはいっても、ハーフなんだけどね」

「・・・東洋人、」


聞きなれない言葉だけど、確かに知っている。東洋人は非常に珍しい人種で、つい最近までは高値で取引されてたとか。人間同士でもそんなことがあるなんて、と驚愕したのを覚えている。でも、個人的にその事は関係ないと思うのだけど。


「この子の強さの秘訣は東洋人であることに関係があると?」

「いやいや、私もそれとこれと関係があるとは思ってない。だけどどこか、リヴァイと共通する部分があるんじゃないかと思ってね」

「兵長と、ですか」

「うん。だからちょっとね、視察ついでにコンタクトを取ってほしいんだ」


なるほど、優秀な人材を引き入れるために多少アピールをしろと言うことなのだろう。でも主席程の実力者なら、恐らく憲兵団に志願するだろう。ハンジさんもそこはあまり期待はしていないはずだ。


「んー、分かりました。でもあんまり期待しないでくださいね」

「分かってるって。イリス、人見知りだし」

「からかってるんですか」

「いやいやとんでもない」

「分隊長、そろそろ時間ですよ」


黙ってやりとりを眺めていたモブリットさんがもう待ちきれない、というようにハンジさんに声を掛けた。「あぁそうだった」なんて言いながらも焦る様子のないハンジさんをジトリと見上げるけど、本人は気にすることなく片手を上げてこの場を後にした。嵐のような人だな、とぼんやりと2人が去った方向を見つめていると、また後ろから掛かる違う声。


「おいイリス、こんな所で突っ立って何してやがる」

「・・・、リヴァイ兵長」


何か御用で?と呆けて言ってみせれば、眉間のしわを増やして持っていた書類で頭を小突かれた。本当は明日に控えている視察のことで用があるんだと分かっているけど。


「本気で分からねぇならまた一から教えてやろうか?」

「いいえ、結構です。分かってます」


2時間もかかる視察説明なんて、もうこりごりだ。そういう意味で答えれば、兵長は無言で持っていた書類を手渡してきた。なるほど、私に渡すものだったから多少紙が曲がろうと気にしなかったのか。


「全部片づけとけ。でないと視察から帰ってきたときに痛い目を見るのはお前だ」

「・・・えぇー、」


そこまで多い量ではない。今から取り掛かれば余裕で夜までには終わる量。だけど、これからしたいことが他にあったのに。


「読み終えてない本があるのになぁ・・・」

「ほう?仕事より本を読むことが大切とは、随分と読書が好きなようだな?イリスよ」

「・・・否定は、しません」

「なら本をやろうか?ハンジの書いた巨人研究日誌なんてどうだ」

「遠慮します」


それを見るくらいなら永遠と書類を片づけている方が楽ですね、と苦笑いをこぼせば兵長は小さくため息をついた。兵長はもう自分の仕事は終えたのだろうか。本当に容量のいい人だな。



頑張っているつもりだけど、私は彼ほど強くなれる気がしない。一体何が違うんだろう?


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