遠くに見えた姿に、胸が高鳴った。あぁダメだ。今すぐにでも後戻りをしたい気分だが、それより先に向こうがロゼッタに気付いた。
「・・・ロゼッタか?」
大分暗くなってるから向こうからだと確認しづらかったのかもしれない。そういえば朝のこともまだ話してなかったな。
「うん」
ジャンはロゼッタだと確認すると水を汲んでいた手を止めて井戸に腰かけた。なんだか考え込んでいるようでそんなに機嫌がよくなさそうだ。タイミングを間違えてしまったかな・・・。
「・・・」
「・・・」
自分から話しかけたくせに中々喋りだせない。あぁもう。最初は何から話し始めればいいんだろうか。
「ロゼッタ」
「、なに?」
急にジャンから話し始めたものだから驚いて思わず俯いてた顔を勢いよく上げてしまった。
「お前、いくら風邪で弱ってたからって、好きでもない男に甘えたりすんなよ」
「・・・、」
「ま、俺だったから良かったものの」
ジャンがいつもの軽い調子で言うのと反対に、ロゼッタは血の気を引かせた。そんなロゼッタに気付いてるのか気づいてないのか、ジャンは口を止めようとしない。
「誰彼構わず好きだの言ってると、いつ何があっても文句言えねぇぞ、ロゼッタ」
「・・・あ、」
血の気が引いたと思ったのに、次は一瞬で頭まで登ってきた。昨日のことを、鮮明に思いだした。そうだ、私は確かに好きと伝えた。だけどそこで私は。
「ち、ちがッ、ジャン、」
恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしくて、全てを投げ出したくなってしまう。けれどどうしても誤解を解きたくて、震える唇を一生懸命に動かす。息に近い声が、口から漏れる。
「・・・それとも、それがお望みだった、とか」
ジャンの乾いた声に思わず目を見開いた。いつもの調子だけれど、軽蔑もしているような、そんな声。こんなこと思われてたなんて・・・。誰にでも甘える女だと思われた?誰にでも、媚を売るような女だと。
もうだめだ。震える身体に耐えきれなくなって膝から崩れ落ちた。こんなつもりじゃ無かったのに。
「・・・、おい、ロゼッタ、どうしたんだよ」
ロゼッタの様子に焦ったらしいジャンは井戸の縁から腰を上げて近づいた。ひたすら俯くロゼッタの肩を掴むと、ハッとしたように息を飲んだ。
「おい、泣いてんのか」
「・・・ッ」
目を見開いたままただただ涙を流すロゼッタはジッとジャンを見つめた。滲んだ視界に見えるジャンの顔はロゼッタと同じような、傷ついた顔をしていた。そんなジャンの顔を見たくなくて目をそらす。
「ッ、おい、言い過ぎたって。悪かったから、泣くなよ」
やってしまった、というジャンの顔。別にジャンが謝る必要ないのに。好きだと言われた直後に相手が寝てしまっては、本気じゃないと取るのが普通だ。なのに謝って、私の涙をただ拭ってくれるジャンの優しさにまた涙があふれてくる。こんな私にまだ優しくしてくれるのか。
このままずっと泣いてればジャンはずっといてくれるのかな、なんて下らないことさえ頭をチラ付く。一種の、現実逃避のような物だろうか。いいや、願望か。
そっと、ジャンの腕をつかむとロゼッタの震える肩を掴んでいたジャンの動きが止まった。
「ちが、のッ・・・あの、ね、わッ・・・私、」
言わなければ、伝わらない。自分の気持ちを伝えるために、一生懸命震える唇を動かして言葉を紡ぐ。分かりにくいはずであるその声に、ジャンはちゃんと耳を傾けてくれてる。この人のこういう所が好きなんだと、私はきちんと言えるじゃないか。
「ジャン、だからッ、ジャン以外の、人・・・に、そんなこと言わない」
自分が憧れていたような綺麗な言葉は出てこなかった。ただ、気持ちを伝えるだけで精一杯で。分かりにくい私の気持ちを黙って聞いているジャンの顔が驚きの色で染まっている。この顔は何度見たことだろうか。
「お前、じゃあ、昨日のは、」
「私が、好きなのは、ッ」
言い終わる前に、動きを停止していたジャンの腕が勢いよくロゼッタを引き寄せる。身体全体、暖かいものに包まれてる。あれ、これって、もしかして。
「、ジャン?」
「ずっと我慢してたんだぞ」
我慢?頭上から聞こえてくるジャンの声はなんだか掠れていた。触れているジャンの体は熱くて、ドクドクと心臓の振動が伝わる。彼にも、私の鼓動が伝わってるかもしれないと思うと、余計にドキドキする。
「エレンと町に出かけるって会話が聞こえてきて、もうだめかと思った」
「それって・・・」
涙はもう止まったけれど、頬に残った雫がジャンのシャツを濡らす。それにも構わずギュウギュウ抱きしめてくるジャンに抵抗する気は起きない。いつかこうなることをずっと、ずっと夢に見ていた。好きだと気付いたその日から、ずっと願っていた未来だった。
「取られると思った。もっと早く、お前を自分の物にしとけばよかったって、」
「・・・じゃ、じゃあ、」
「ロゼッタ、好きだ。そばに居てくれ」
声を出すよりも早く、先程よりも暖かい涙があふれてきた。
それでも一生懸命首を縦に振ってジャンを見上げると、ジャンは今までに見たことないような優しい笑顔を浮かべていた。
「ロゼッタ、すまねぇ。泣かせてばっかで」
暖かい手は何度も何度も私の涙を拭ってくれた。