「大丈夫です、俺の馬に乗せます」
「分かった。ロゼッタを頼んだ」
背中が痛くなってそろそろ立とうかと体勢を立て直そうとしたとき、岩の後ろ辺りから班長とジャンの声がした。そう思った次の瞬間、妙な浮遊感覚が襲ってきた。
「あれ・・・ジャン?」
「ちょっと狭いが・・・、我慢しろよ」
落ちるよりマシだからな。そう言いながら乗せられたのはジャンの馬。確かに、今のまま手綱を引けば私はあっと言う間に迷子だろう。そのまま私の後ろに乗ったジャンの暖かさが背中に伝わる。さっきの岩とは真逆で、とても、暖かい。
「落ちんなよ」
「大丈夫、落ちないよ」
ジャンはもう一度私を身体全体で固定するように体勢を立て直して、列に入るために手綱を引いた。そっと、邪魔にならない程度に寄りかかる。いつもの彼ならば、こんな時にきっと黙ってなんかいない。けれど私を気にしながらも何も言わないのは、壁外だからか、私に気を遣ってか。優しい彼のことだから、どっちもなんだろうけど。
本当は、ジャンと話したいことがたくさんある。いきなり現れた知性のある巨人のことだとか。聞きたいこともあるのに、喉が震えて声が出ない。ただ馬の揺れに身を任せることしか、今は出来ない。情けない姿をジャンに見せるのは、もう何度目だろう。
「巨人だー!」
後列から聞こえてきた声に、抜けかけていた力が再度入る。同じように反応したジャンが、後ろを振り向いた。遅れて振り向いたロゼッタが見た頃には、既に巨人が兵士の遺体が乗った荷馬車に追いつく寸前だった。
「このままだと追い付かれる!」
「戦うしかねぇのかよ・・・!」
「平地での立体機動には限界がある・・・。それにいろんな方位から巨人が来てるからキリがない!」
「じゃあどうすりゃいいってんだ!?」
「・・・それは、」
ジャンがハッとしたように息を吐いて、それに釣られて2人の視線の先をたどる。嘘でしょ、まさか。荷馬車に乗っている兵に近づくリヴァイ兵長が、何かを指示しているのが見えた。
「・・・、」
酷いことだと、思っているのに。なのに死体が放り出されるのをどこか冷静に見ていられるのは、それが正しいことだと理解しているからだ。なによりも先決なのは、命を散らしてしまった遺体を持ち帰ることよりも、それ以上の犠牲を出さないことだと、分かっているから。
「・・・あ」
一瞬見えた、夕日に照らされて輝く自分の髪と同じ色。荷馬車から放り投げられたそれはいつか見た色と全く変わっていなくて。それは、確かに朝まで生きていた彼女の証で。
「あ・・・あぁ、おね、くッうぅ、」
手で必死に抑え込んだ嗚咽は、すぐ後ろのジャンには聞こえたかもしれない。それでも何も言わずにいてくれるのは、不器用なジャンなりの優しさ。ただ傍に居てほしい、そんな私の我儘を分かっているかのように。それから壁の中に入るまで、ひたすら泣き叫んでしまいそうになるのをこらえた。
「ロゼッタ、歩けるか?」
「もう、大丈夫」
ジャンの手を借りて馬から降りる。ふと両脇に集っているカラミス区の住人を横目で見ると、予想通り鋭い視線を向けられていた。同時に投げかけられる罵声に、辛くとも反応しすることが出来ない。我慢しなければいけないのだ。例えそれが理不尽な言葉でも、調査兵団が何も実績を残せないままでいることは、事実だから。
「朝より数が減ってないか?」
「今回も酷いな・・・」
「何しに行ったんだか」
「俺らの税をドブに捨ててきたんだろ。顔を見りゃ分かる」
街の人たちが向けてくる視線は、当然ながら暖かいものではない。中には、自分の家族の安否を確認している人もいる。そういう人はたくさんいるのに、ふと聞こえてきた声がヤケにはっきりと聞こえてきて、肩が跳ねた。
「リヴァイ兵士長殿!」
自然にその声の方向に足を進めるロゼッタに、ジャンは何も言わなかった。その声がロゼッタの親のものだと、なんとなく分かったから。
「娘が世話になってます、ペトラとロゼッタの父です。ペトラに見つからねぇ内に話してぇことが・・・」
「お父さん」
蚊の鳴くような、か細い声だったと思う。だけど父は私の存在にすぐ気が付いて、嬉しそうにこちらに来た。気づいていないのだろうか、この集団の中に姉がいないことに。いや、見つけた時から泳いでいる不自然な視線は、恐らく姉や私を捜していたからだろう。だとしたら、もう、察しはついてるはず。
私自身が、私の父に、私の姉の死を伝えることになるなんて、考えたこともなかった。
「よかった、ロゼッタ、無事でよかった」
「お姉ちゃんは・・・。ペトラ・ラルは最期まで使命を全うし、壮絶な戦死を遂げました」
父にとって何よりも残酷な報告だろう。顔を、上げることが出来ない。兵長の顔も、見ることが出来ない。どうして、世界はこんなに残酷なんだろう。それでも受け止めなければ。犠牲を出しながらも、受け止めて立ち向かう人がいなければ崩れてしまう。そんな世界で、私たちは地獄を味わうのだ、これからも。