最後のガスボンベを渡すと、すぐにその訓練兵を壁に登らせた。彼らはもう壁に登れるほどガスを残していないロゼッタを心配していたが、ロゼッタにはまだ任務が残っている。疲労からか、焦りからか。流れる汗を荒く拭って大分遠ざかってしまった本部を見た。
またあそこに戻るのはかなり危険だ。
ここまでは最大限にガスをふかせて走り回って巨人との戦闘を避けることはできたが、現地点から本部までの距離は結構ある。速度が保つとは思えない。巨人との戦闘は絶対に避けなければいけないだろう。補給班の任務ではないこと以前に、1人で戦って勝率などあるものか。
一か八かで行くしかない。
もう壁に上るための量さえ残っていないのだから、どちらにせよ行かなければならないのだ。周りを見ると、訓練兵がチラホラ見えて、全員補給班の絶望した兵士と同じ顔をしている。
ロゼッタ1人では全員分のガスを配ることが出来ないのが現状だ。補給班同様、諦めてる人は少なくないだろう。ジャンやエレン、ミカサの姿さえ見えないが、彼らはもう壁を登ったのだろうか。そう思いたい。しかし頭をよぎるのは最悪の結果ばかり。
「・・・考えてる余裕はないかぁ」
人が集まる場所に巨人はたかってくる。それはロゼッタが今いる場所も例外ではなくて、20mほど先に7m級の巨人が歩いているのが見えた。
幸い本部とは逆方向のため、今逃げれば余裕で間に合うだろう。
できるだけ最速で、でもガスが切れないように。周りを見て警戒しながらロゼッタはアンカーを飛ばす。
「・・・え、」
そのつもりだったのに、左のアンカーを巻き取った後発射した右のアンカーは、建物に刺さることなく道に落ちた。
「、しまっ」
ロゼッタの身体は当然重力に従って道に叩きつけられた。不幸中の幸いと言うやつだろうか、低い所を飛んでいてよかった。だがそれなりの速度が出ていたせいで叩きつけられた身体を起こそうとすると鈍い痛みが走る。
「骨折、してないかな」
主に痛みが走っている右腕を回すことができたので、骨折はしていないことが確認できた。しかしそれにホッとしたのもつかの間。ドスン、ドスン、巨人が歩く時の特有の振動。
やばい、早く逃げなければ。アンカーを発射しようと操作装置を握る。
「・・・・あ、」
路地から顔を出す巨人。決して大きくはないが、ロゼッタの何倍もある巨人。ここに来るまで巨人は何体も見た。だけど地面から、巨人を見上げるのは初めてで。
「・・・あ、・・あれ」
操作装置を握る手はカタカタと震えて力が入らない。このままじゃ危ない、頭では理解できてるのに体が硬直したように動かない。恐怖で歯をカチカチと鳴らす。もう巨人は目の前だ。逃げなければ、逃げなければ確実に死ぬ。
「・・・あぁもう、最悪だ、ほんと」
自分が置かれている状況は理解している。でももう、力が入らない。終わりだ。ジワリと目じりに涙が溜まった。巨人との距離はもう数メートル。あと1分もしないうちに、自分は口の中におさまっている事だろう。確かに恐怖は感じているはずなのに、思いの外冷静な自分がいた。
あぁ、ごめんね皆。私はここまでみたい。まだ補給任務、終えてないのに。ごめんなさい、ここで終わらなければ、助かる命もあったのかもしれない。
「・・・・皆・・・あ、」
巨人の手が近づいてくる度に腹の底から湧き出てくる感情。
「、い、嫌だ」
皮肉にも、こんな時に頭の中を支配するのはどれも幸せな記憶で。その中心にいるロゼッタはいつも笑っていた。いつも傍に、アニがいた。ミーナがいた。エレンがいた。クリスタがいた。
「・・・ジャンッ」
彼がロゼッタに最後に見せた表情だけが、ロゼッタの心を深く抉った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ジャン」
口を両手で覆って、声にならない声を出す。巨人はもう、目の前だ。
あなたになら、命以外の全てを捧げられる。
決して長くない付き合いだけど、それでもずっと傍に居られるって信じてた。
自分から死に急ぐ道を選んだと言うのに、なんて勝手なんだろう。
あなたには命は捧げられないと言ったけど、
私の命はまだ誰にも捧げられていないようだ。だって、
「くっ・・ふ、嫌だ、死にたくない」
こんなに、死ぬことが怖い。