Tea time (ドフヴェルドフ)




「趣味をーーー」


ヴェルゴは、銀のトレイから砂糖壺を手に取り、テーブルに置くと、その引き結んだ唇をやっと開いた。
「趣味を持てと言われたんだ」
「趣味?」
「……つい先日のことだ。ある朝目覚めたら、その日何も予定がないことに気がついた」
「まぁそういう日もあるだろうさ」
「書類は溜まってはなかったし、街にも騒ぎはなかった。人と会う予定もなかったし、誰かに『チェスをしようと』と呼び止められることもなかった」
ーーーつまりすることがなかったんだ。
「ふん、そういうこもあるさ」
「だから俺は部屋にいたんだ」
「そういうもんだろう」
「部屋にいて、イスに座って、外を見ていた。……他にすることがなかったからな」
「……」
「しばらくそうしていたら、急に部屋のドアが開いたんだ。年若い、金髪の、ふっくらとしたメイドが入ってきた」
「ノックもなしにか?」
「あぁ、俺は普段仕事でいつもいないから、てっきり今日もいないと思ったんだろう。日課の掃除に来たという」
「しつけがなってねぇな」
「いやいいんだ。メイドが掃除に入る昼日中に部屋にいることが珍しいんだ。半年に一度あるかないかのその日のために毎日ノックをさせるのは悪い。それにもうその時に何度も謝罪は聞いたからな」
「お前がいいなら構わねぇさ」
「そのメイドは掃除したいと言うので、俺は気にせずしてくれと言った。そしたらメイドは戸惑いながらも、掃除を始めた。俺はすることがなかったので、また窓の外を眺めていた。するとメイドは掃除しながら、何度もこちらを盗み見て、とうとう恐る恐る話しかけてきた」
「ふむ」
「することはないのか、と」
「フッフッフッ!なかなか物怖じしないメイドだな」
「なので『外を見ている』と答えると、メイドは呆れた顔をして、『趣味を持て』と、言ったんだ」
ヴェルゴはそう言うと、また唇を引き結び、白いケトルの持ち手に、革手袋をつけたままの指を通した。
窓の外を、鳥が数羽、鳴き声をあげながら通りすぎた。日差しはずいぶん高いところにある。暑さを感じるほどではないが、くっきりと地面に影ができるほど強い日差しだ。北向きのこの部屋に、日差しが直接入り込むことはないが、庭に落ちて死んだ日差しが、この部屋に薄明かるい陰影をつけていた。


「ふーん……それで‘これ’というわけか?」


そう言って男は、テーブルの上を両手を広げて示した。
唇を吊り上げて笑うドフラミンゴは、大きな体躯を押し込むようにして、白い猫足のイスに収まっていた。広げた腕も、その広い背も、薄桃色の羽に包まれており、後ろからみれば背もたれから体がこぼれ落ちそうだ。
男が示すテーブルには、ソーサーに乗ったカップが二つ、金と黒の装飾が美しいポットが一つ、切り子ガラスの砂糖坪が一つ、黄色い砂の入った砂時計が一つ、それからいまヴェルゴが持つ、湯の入ったケトルが一つ置いてあった。一つ一つは普通のサイズなのに、ドフラミンゴの前に並べば、ただのおもちゃのようだった。
「急に趣味を持てと言われても、何も思いつかなかったので、そのメイドに聞いたんだ」
「趣味はなんだ、と?」
「そのとおりだ」
ヴェルゴは、ドフラミンゴの笑いを含んだ問いに、生真面目に頷いた。そうして、ティーポットの金のつまみを指先で摘み、湯を注いだ。
ドフラミンゴの長い指がテーブルに伸び、黄色の砂時計をひっくり返した。砂が流れ落ちていく。「ありがとうドフィ」とドフラミンゴが生真面目な声で言う。
「彼女に入れかたを習ったんだ」
ほんの少し触れ合っただけで高い音を出す陶器の蓋を慎重におろし、ヴェルゴは少し得意気に言った。カップもポットも温めた。湯は茶葉が回るように勢いよく注ぐ。でも一滴も溢さなかったーーー完璧だ、とヴェルゴは小さく頷いた。
「ふーん」
そんなヴェルゴを見て、ドフラミンゴの口角はぎゅっと下がってしまった。若くて、金髪で、ふっくらしたメイドは誰だ、とドフラミンゴは頭の中に急いで照会をかける。サンドラはふっくらというか太りすぎだし、ティーナは結婚して故郷に帰った。エリカはこの間恋仲の執事を刺して休んでるし。

「ーーー紅茶を入れられれば、君といる口実が一つ増える」

ドフラミンゴはぴたりと思考を止めた。ヴェルゴは、そんなドフラミンゴの様子に気づかず、順調に落ちていく黄色い砂を見ながら、満足そうに笑っている。
「……フッフッフッ」
そんな笑い声に、ヴェルゴは砂時計から目線を上げた。長い足を組み、華奢な背もたれに寄りかかり、ドフラミンゴはうつ向いて笑っていた。
「まぁ、俺の茶を入れさせてやってもいいが、それは今日の味しだいだな」
「……ふむ、それは気を引き締めなくては」
ヴェルゴは大真面目に頷く。
そんなヴェルゴに、またドフラミンゴは笑いを溢し、テーブルの上の砂糖壺に手を伸ばした。藍色の切り子ガラスの砂糖壺には、白と茶の二色の角砂糖がきっちり詰められている。ドフラミンゴの長い指が、砂糖壺の蓋を取り、茶色の角砂糖をつまみ上げた。
「こら、ドフィ。そういうことはするもんじゃない」
ヴェルゴが眉をひそめ、子供をたしなめるように言う。
「いいじゃねぇか。自分だけつまみ食いなんてずるいぞヴェルゴ」
「……?」

「頬についてるぜ」

「……しまった」
ドフラミンゴがにやにやと笑いながら自分の頬を指すと、ヴェルゴの空気がぎくりと固まった。色の濃いサングラスの奥で、目が泳いでいる。
「じょーだんだ!」
ドフラミンゴはブラウンシュガーを摘まんだ指をヴェルゴの口に押し付けた。ヴェルゴは、口の中に押し込まれた甘い塊を舌で転がし、もう一度「しまった」と呟く。
ドフラミンゴは、砂糖壺から白い角砂糖を摘まむと、今度は自分の口に放り込んだ。舌で転がせば、すぐにほろりと溶け崩れる。
「甘いな……」
ドフラミンゴは指を一舐めした。
「すぐ口直しを入れるよ」
砂時計の砂は、もう残り僅かだった。
ドフラミンゴもテーブルの上の砂時計を見た。砂が落ちきるのを待ち構えているヴェルゴとは裏腹に、ドフラミンゴの表情は僅かに曇った。
二人の温度の違う視線を浴びて、砂は落ち続ける。時間というものは、そういうものだ。誰のどんな意図や、願いや、思いがあっても、砂が戻ることはない。

「時間だ」

ヴェルゴが、砂時計の頭を指先でノックすると、ガラスについて残っていた砂粒まで落ちきった。
ポットの取っ手に指が通され、持ち上がる。腹の白いカップが二つ、それを待っている。そしてーーー


「フッフッフッフッフッ!こりゃあいい!」


ドフラミンゴは大きな口を開け、膝を叩いて笑った。
「フッフッフッフッフッ!!」
おかしくて仕方がないと全身で表すドフラミンゴに対し、ヴェルゴはテーブルを見下ろして悲痛な雰囲気を醸している。
「……しまった」
それもそのはずで、ヴェルゴが茶を注いだはずのカップは未だ、白い腹を晒している。先程と違うのは、湯気がたっている、ということくらいだ。
「茶葉を入れ忘れていた」
いつもはぴんと伸びたヴェルゴの背筋が心なしか曲がったようだ。先程までの笑みは消え、沈鬱な色になっている。
ドフラミンゴはヴェルゴの手から、湯しか入っていないポットを取り上げた。


「仕方がねぇ、もう一度だな!」


そう言うと、ドフラミンゴはカップとポットの中身を、窓から外にひっくり返した。
日差しを浴びて、溢れた水が宝石のように光って芝生を濡らした。それを追うように、一瞬前とはうって代わったご機嫌な笑い声が、まどろい空気の昼下がりの庭に降り注いだ。





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