chocolate war(ロキドベラ)



学術書が詰まった本棚が四方を囲む研究室は、外の日差しと暖房の温風のおかげで、睡魔があちこちを飛来していた。
キッドは、研究室の真ん中のソファーでクッションに埋まっているし、ベラミーは開いただけの『ニュートン』に突っ伏している。

「ハッピーバレンタイン!!!」

蝶番を吹き飛ばす勢いで開いた研究室の扉に、ベラミーは椅子から落ちかけた。
「お、おわっ!……え、は、なんだよ?!」
「おい、喜べ非リア充の童貞ども。チョコレートの差し入れだ」
ベラミーが見た先には、研究室の黒板の前で偉そうに胸を張り、近所のスーパーの袋を掲げる、ベラミーとキッドより三つ上の大学院生、トラファルガー・ローがいた。
浅黒い肌に皺のよった白衣を着た、目の下に濃い隈のあるいかにも理系くさい顔の男は、薄い唇を不敵によがませ、涎跡の残るベラミーと、まだ寝ぼけて抱き枕にしがみついたままのキッドを見下ろした。
「ほら、ありがたく地べたに額擦り付けて食いな」
ぽい、とローがベラミーに袋の中身を放った。
「お、ダッツ」
受けとるとヒヤリとするそれは、コンビニやスーパーで別格扱いを受け、扉付きの冷凍庫に並んでいる高級アイスのチョコレート味だ。
「ほら、キッド、起きろ!お前にもあるぞ」
「髭うぜぇ……死ね……お!レディ○ボーデン!!」
「おま、死ねって……」
「先輩あざーっす」
ローがキッドに渡したのは、ベラミーのアイスの五倍以上のサイズの、レディ○ボーデンのファミリーサイズだ。
「おい!サイズの違いおかしいだろ!前から思ってたけどキッドだけ甘やかしすぎだろ!」
ダッツの蓋を開けようとしていたベラミーは、キッドのアイスのサイズを見て、思わず机を叩いた。
「あ?文句あんならダッツ様返せよ」
自分用のゴデ○バのアイスを取り出したローは、にべもなく言う。
「自分はゴデ○バかよ……っつーか何で急に差し入れ?」
しかもダッツ、とベラミーは訝しげにローの死んだ魚のような目を探った。よく考えたら、変人の多い学部と言われるこの理工学部の中でさらに「変人」と呼ばれるこの男が、裏もなく高級アイスを差し入れるわけがない。
ベラミーの疑問に、レディ○ボーデンにスプーンを突き刺し、今まさに口に入れようとしていたキッドとピタリと固まり、ローの答えを待っている。
「んだよ、そう警戒するなよ。裏なんてねぇよ」
「……」
「……」
「うん、ちっとも信頼してねぇ目だな」
「ホワイトデーにとんでもねぇもの頼むんじゃねぇだろうな」
「たいしたことじゃねぇ。ちょっと面白い薬できたから一本注射させてくれたら……」
「キッドそのアイス食うなよ!!!」
ベラミーは、アイスを目の前に、苦悩の表情を浮かべるキッドに叫ぶ。
「おいおい、冗談だよ。打った瞬間モルモットが痙攣しだすような薬さすがに人間には打てねぇよ。まぁ、来月の十四日は裸に白衣だけ着て俺の研究の手伝いしてくれりゃあいいから」
「誰がするか!っておいー!キッドてめぇ何迷いなく食ってんだよ!!バカか!?」
「うるせー!レディ○ボーデン目の前にして我慢できるわけねぇだろ!裸の一つや二つなんだってんだ!」
「男前だなお前!バカだけど!」
「お前も食えこら!」
「ば、てめ、やめろ!一人で裸白衣してこ、…んぐ!」
「よし、二人とも食ったな」
一人呑気にゴデ○バを食べていたローは、キッドがベラミーの顎を掴み、無理やり口にダッツを突っ込むのを確認し、スプーンをくわえたまま偉そうに頷いた。
「まぁ裸白衣はさておき、ドンキホーテ教授に頼まれた仕事を手伝ってもらおうと思ってな」
「うげー!げー!……あ?仕事?」
飲み込んだアイスを吐き出そうとえづいていたベラミーはあからさまにほっとする。
「ああーーーほら、うちの大学、卒論提出期日ちょっと遅いだろ?」
「他の大学よく知らねぇけど、そうらしいってのは聞いたな」
キッドがレディ○ボーデンを抱えて頷く。
「いま四年共は提出前の追い込みってとこだ。図書室や研究室に鬼の形相したやつらをよく見るだろ」
「いるな」
「リア充たちのイベントと、提出前の追い込まれた学生が出会うとな、毎年嫌な化学反応起こすんだよ」
「化学反応?」
「去年は農学部の四年が牛全部放牧しようとしたし、一昨年は経済学部の四年が爆破予告してたな」
「……」
「つまり提出期限を伸ばそうと何かしら事件起こそうとすんだよ」
「く、くだらねぇ……」
「他人事じゃねぇぞ。うちの学部だって、毎年薬品に火つけてこの市内一帯焦土にしようとするど低能共が一人はいるぞ」
「もしかして……」
「そうだ。もしかしてだ。お前らに、この俺の砦である理工学部に攻め入るバカどもの駆逐を手伝ってもらう」
ビシリ、とローの金色のスプーンがキッドとベラミーのやる気ない顔を指す。
「今頃他の研究室でも、バカたちの相手する準備してるはずだ」
「でもよ、手伝うってなにすりゃいいんだよ」
キッドが目をすがめ、チョコレートのついた唇をべろりと舐める。
「捕まえろーーー人間に試したいとっておきの薬がいくつもあんだよ」
ローは悪魔のような笑みを浮かべる。性根の腐った男だ。ベラミーもキッドも、早く地獄に落ちてくんねぇかなこいつ、と心底思った。
「ん?」
ローがぴくりと反応した。
「早速来たぞ」
ローの言葉に、二人は扉を薄く開け、廊下の向こうに耳を澄ませた。


「ーーーおい、サボこっちだ!教育学部からの通路はすでに塞がれてる!プランBだ!回り込むぞ!」
「ーーーおう!」
「狙うはホグバック助教授の高性能サイボーグだ!大学全部の印刷機破壊して提出期限を延期させるんだ!」
「行くぞエース!完成前のデータがクラッシュした四年の恐ろしさ思い知らせてやる!」


廊下の向こうで聴こえる熱い雄叫びに、二人は無言のままローを振り返った。
「あの声は農学部のポートガスとサボってやつか。卒論中の学生のパソコンと印刷機には必ず不具合が起きるもんだ。バックアップを三重四重にしておかない自分が悪いな」
「……」
「……」


ーーーぬわぁぁぁぁぁぁ!?


廊下の向こうで驚きまじりの叫び声が上がった。


「な、なんだこりゃ?!なんで廊下にパスタが?!」
「うわぁぁぁぁ!サボが謎の白い液体にまみれてる!!」
「エースてめぇ写真撮ってんじゃねぇよ!どうみてもカルボナーラソースだろが!なんで直にパスタが置かれてんだよ!しかも廊下いっぱいに!」
「サボ!ここは無理だ!標的をかえよう!ドンキホーテ教授とシーザー教授が研究してるの謎の毒ガス‘スマイル’を狙おう!」
「ば、バカ!そこ、あの頭イカれた‘トラファルガー’のとこだろ!捕まったら何されるかわかんねぇぞ!」
「……くっ、仕方ない。かわいい菌たちを手にかけるのは忍びないが、うちの学部のバイオ研究室で未曾有のバイオハザード起こしてやる!」
「遺伝子研究室に巨大食中植物がいるって話も聞いたぞ」
「とにかく行くぞ!」


ぱたぱたぱたと足音が遠ざかっていくのを聞き届け、二人はそっと扉を閉じた。そして二人は同時にこう思った。
そんなことしてる暇あるなら卒論かけよ。
「ちっ、腰抜け共め……」
ローは音のなくなった外の様子にあからさまに落胆し、舌打ちした。
「仕事するまでもなかったな」
キッドはソファーに寝転び、レディ○ボーデンを抱え、少し溶けたアイスを口に入れる。ベラミーは、やれやれと言った様子でダッツの蓋をめくり、調度よい柔らかさのアイスをスプーンで掬う。
「あーあ、つまらねぇ。農学部の見学にでも行くかな。ボニー屋が昨日から大がかりな四年対策してるらしいし」
ローはふらりと立ち上がり、ゴデ○バの空き箱をゴミ箱に捨て、だらだらと研究室を出ていった。
「捕まえても犯罪は犯すんじゃねぇぞ」
ベラミーが研究室のテレビをつけながら興味薄そうに言う。自分が関わらないから、どうでもいい。
「ほっとけーーーお前ら、来月の十四日は俺の研究室で待ってるからな」
パタン、と軽い音をたて研究室の扉が閉まった。ずる、ぺた、ずる、ぺた、とスリッパの音が遠ざかっていく。



「……」
「………ベラミー、お前の白衣、薬品で股間のとこ穴空いてなかったか?買い替えねぇとな」
「…………げー!げー!げー!」




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