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ローの鼻先に、藍色のリボンのかかった青いストライプの箱が突き付けられた。

「ん、チョコレート」

ローは箱を見下ろし、箱を突き付ける相手の顔を見て、また箱を見下ろした。
今日は2/14ーーーバレンタインデーだ。諸外国でそれぞれ違った慣習があるが、ここ日本では基本的に女性が男性にチョコレートを贈る日となっている。
「え……」
ローは目の前に差し出された箱を未だ手にすることができないまま、動揺の浮かぶ瞳で箱を見つめていた。
「なんだよ、いらねぇのか」
箱を差し出す赤毛の男ーーーユースタス・キッドは不機嫌に目をすがめ、舌打ち一つして箱を引っ込めようとした。
「待て、いる!」
ローは慌ててキッドの手を掴み、青い箱をひったくった。
「いるならとっとと受けとれよな」
また舌打ち一つして、床に散らばる雑誌の下から発掘したチャンネルでテレビをつけた。子供のように口を尖らせ、つまらなそうにザッピングする。
「まさかもらえるとは思わなかった」
ローが驚きに固まっていたのは、チョコレートは女性が贈るものという固定観念に捕らわれていたせいではない。昨今、同性愛にも理解がなされてきたし、ケーキやチョコレートといった甘いものが好きなスイーツ男子なるものもいるわけだし、何より二人は恋人であるのだから、キッドからローがチョコレートを貰うこともあり得ない話ではないのだ。
じゃあ、どうしてローが自分の目を疑うほど驚いたかと言えば、単純にキッドが甘い菓子を死ぬほど嫌っているからだ。食べるのはもちろん、お菓子の甘い匂いだけで具合が悪くなるという。肉じゃがの甘めの味付けは食うのに、菓子の甘さは徹底的に敵視していた。特にチョコレートが一番苦手らしく、ポテトチップスにチョコがかかった菓子をコンビニで見かけた時など、「狂ってる…」と青ざめた顔をしていた。
「悪かったな、似合わなくてーーー味もにおいも大嫌いだが作るのは好きなんだよ」
テレビを適当にザッピングし、バレンタイン特集だらけのニュースにうんざりし、国有放送の子供向けアニメに腰を落ち着けていたキッドは、アニメの中の女の子が古風な格好の幼児にチョコレートを渡しているのを見てため息をついた。どこもかしこもチョコレート一色だ。
「……は?え?作った?」
確かに箱を四方から見回しても成分表やブランド名らしきものはどこにも見当たらない。確かにキッドは料理は好きで、よく自分の家でもローの部屋でも作っている。
「そーだよ」
「……!」
キッドの投げ槍な肯定に、ローの背筋が震えた。喉元まで上がってきた感動を必死に飲み下し、歓喜の叫びにならないよう口を閉じる。食べるどころかにおいも大嫌いなのに、自分のために、吐き気を必死に我慢して、これを作ってくれたのだ。いつも皮肉や嫌味しか言わない口から、似合わない言葉があふれでそうで必死に歯をくいしばる。
「開けて、いいか?」
にやつきそうになる口元を抑え、ローがなんとかそう絞り出すと、「どーぞ」と気のない返事が返された。
「……」
不恰好な藍色のリボンをほどき、箱を開ける。濃い茶色のパラフィン紙を捲れば、粉糖にくるまる白いトリュフが一つ、ココアパウダーのかかったトリュフが二つ入っていた。特別美しくはないが、手作りの愛らしさがあった。
一つ、食べてみる。
パリッとしたチョコの中の、ラム酒の効いた柔らかなガナッシュが舌の上で溶ける。キッドのように甘いものが心底嫌いなわけではないが、ローも普段からそんなに菓子を食べる方ではない。菓子のうまいまずいの判断もできないが、ただ、これをキッドが自分のために作ったのだと再確認する。
「キッドーーー」

幸福な、気分だった。甘くてとろける、そんな気分だった。
単純に嬉しかった。
ほんとうに、それだけだった。
悪気とか、嫌みでは決してなかった。
幸せを分け合いたいというか、一緒に喜びを感じたいというか、ただそれだけだ。
ほんとうに、嬉しすぎて基本的なことをうっかり忘れていただけだったんだ。
チョコレートを一粒摘まんだ指先が、キッドの口元に寄せられたのは、嫌がらせとかでは全然ないのだ!
「ーーーほら、お前も一口……」

「あ゛?」

米神に青筋の浮いたキッドが、子どもくらいなら殺せそうな目でローを突き刺した。ただでさえ凶悪な目付きなのだ。本気のメンチはヤクザ以上のかんろくがあった。
表面には出ていなかったが、恐らく、長時間死ぬほど嫌いな甘いにおいの中で作業したため、鬼のようなストレスを溜めていたのだろう。ローの不用意な発言がピンの抜かれた手榴弾に衝撃を与えることとなった。

「……ナ、ナンデモナイデス」

キッドに所謂「あーん」をしようとしていた手を高速で引っ込め、においがしないよう蓋をしめ、自分の背後に隠した。
「……来月期待してるからな」
チョコを急いでしまい、視線を泳がせているローに、ふん、と鼻を鳴らし、教育テレビのアニメに視線を戻してキッドは言った。アニメの中では、しゃべるホタルがせっせとチョコを丸めていた。虫のくせに器用なやつだ、とキッドが胸中で呟く。
「任せろ」
ローは名誉挽回とばかりに、胸を張り力強く答えた。またキッドは小さく鼻を鳴らす。マスク三枚と、しばらく消えなかった部屋の甘いにおいは安くないぞ、とローに釘をさす。
「あ……」
不意にローが口ごもった。
「……ありがとな、うまかった」
数分ほどの沈黙のあと、ローがポツリと呟いた。普段言い慣れない素直な言葉だ。いつも互いに憎まれ口ばかりで、恋人らしいことなんてしない低血圧な仲だが、たまにはこういうのも悪くない。

「……明治さんに伝えとく」

数秒の沈黙のあと、キッドがぶっきらぼうにそう言った。
こちらを見てくれないのも、素直じゃないとこも、ただの照れ隠しだってすぐ分かる。照れると唇尖らせる癖、自分じゃ気づいてないんだろう。
「……なぁ、キスしていい?」
「歯磨いたらな」
一年に一度くらい、甘いキスをしよう。



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