薄い嘘



「お前のことは忘れない」

赤く充血した目で、震える声で、男は言う。感情の高ぶりのまま熱くなった腕でおれを抱きしめ、男は言う。
おれは体が思うように動かないので、仕方なく男のするようにさせておいた。
髪に指を差し入れられ、抱かれた頭はしっかと胸に押しつけられている。男の熱い鼓動が聴こえた。どこか遠い世界のことのようである。
「お前のために船を用意した。お前の好きな海を航海しておいで」
ぽろぽろと零れ落ちる男の涙は、じっとりとおれの頬を濡らしていく。こんなに熱い涙を流していては、明日は目蓋が腫れているだろう。
おれは男に連れられ、船の船室に入った。大きさはそこそこある。派手な装飾もシンボルもない船は、海賊船ではなくどこかの商船だろう。面白味はないが、清潔そうに整っている。合理的な美しさも嫌いではない。
おれは船室のベッドに横たえられ、男に手を握られた。黙って男の顔を見上げる。

「おれはお前を忘れない」

男は繰り返す。激情を押し殺し震える声。

うそつき。

俺は男の顔に飽き、天井のシミを数えだす。イチ、ニ、サン。

「さよなら三号」

14個目を数えるうちに振り切るように男が去ってい ったようだ。男が船を出ると、ギィと軋みをあげ船が動き出した。
船は進みながら徐々に重くなっていく。船底から少しずつ、船は氷の海に混じりだす。痛いほど冷たい海がこの部屋を埋めるまであとどれくらいだろうか。
船室の窓から、男が見えた。男は悲痛な顔でこちらを見送っている。
うそつきでひどい男だった。

でも大丈夫。おれはお前を好いているから、お前の言葉を嘘にはさせない。

立ち尽くす男の両肩の、青白い顔の一号二号と目が合った。鳶色の優しい目の娼婦と年端もいかない金の巻毛の少女。
彼女たちに場所を譲ってもらわなくては。

おれはお前を忘れない。

うそつき。でも大丈夫。お前の言葉を嘘にはさせない。

おれはお前に忘れさせない。




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