誕生日は夏休み



「終わったぞ」

肩をつつかれる感覚に気づくと、ベラミーの意識は急激に浮上した。
「ふぁ…?」
顔を上げると、ベラミーの視界に入る席には誰も座っていなかった。確か真ん中より後ろの席にいたはずだが、見事に誰もいない。もちろん教授もだ。
「講義、終わったぞ」
また肩をつつかれる。
ベラミーが後ろを振り向くと、右斜め後ろの席に、キャップを被った鼻が四角い学生が一人だけいた。

「講義中、ずっと寝てたな。テスト前だというのに」
「……」

くるりと丸い目が、ぱちりと瞬く。目がでかいから、瞬き一つがやけに目がつくな、とベラミーは思った。ベラミーの知らない顔だった。
そもそもこの講義は、一年の時に取り終えれなかった共通学科の穴を埋めるためにとった短期講座だ。仲間はもうすでに夏休みを謳歌しており、回りに知った顔などいないのだが、それでも数日通えば見慣れた顔ばかりになるはずだ。しかも、こんな特徴的な鼻の男を見忘れるはずがないと思うのだが。
「わしはカク。建築デザイン科の一年じゃ」
「……お前、そのしゃべり方素なわけ?」
一年ということはストレートなら十代だ。やけにじじ臭いしゃべり方に、ベラミーは思わず首を傾げて尋ねた。
「素じゃ。酔っ払って講義受けるほど落ちぶれとらんぞ」
カクと名乗る青年は、呆れたように目を細め、リュックに電子辞書と筆箱をしまった。
「たく、テスト前に寝るわ寝惚けたことは言うはいい身分じゃな」
「……ぬわっ!ノート!」
ベラミーはカクの嫌みに、はっとホワイトボードを振り返った。真っ白なホワイトボードがベラミーの祈りを弾き返した。何も残ってはいなかった。
ベラミーは、そろそろとカクを振り返った。

「……」
「……なんじゃその目は」
「あの、ノートとか」
「やじゃ」

全て言いきる前に、カクはにべもなく切り捨てた。半目の冷ややかな目は机のケシカスでも見るようにベラミーを爪弾く。
「女子に『きゃー、かわいー!』と持て囃され、一時間五百円でレンタルされるわしの超絶かわいくすーぱー分かりやすいノートをなんで筋肉ゴリラに貸さねばならんのじゃ」
「き、きんにくごりら……」
何やら後輩にとんでもなく舐められてるような気がするが、こう思いきり爽やかオープンに舐めきられると逆に感心してしまう、とベラミーは妙な感動を覚えた。
「つーか、そんなすごいノートなのか?ちらっとでいいから見せろよ」
「……ちらっとか?」
ちょっとだけじゃぞ、と、自分でもお気に入りなのだろう、ベラミーが見たがると意外にもあっさりカクはリュックのチャックを開けた。
リュックから見えた表紙には、淡い黄色の表紙にデフォルメされた手描きのキリンが様々なポーズで散りばめられている。ノートの右下には、キリン柄の塗られた「カク」という字も見えた。その「カク」という字も、手描きの寝そべったキリンが片手でだるそうに支えている。
「じゃじゃん、これがわしの」
「あ、もういいです」
今度はベラミーがカクの言葉を遮った。
「もうなんか分かったんでいいっす、あざっした」
そう言うと、カクは子供のように唇を尖らせ、「もう二度と見せん」とぶつぶつ言いながらキリンだらけのノートをまたリュックに戻した。

「ん、そーいやお前さん今日誕生日じゃろ」

ノートを突っ込んでいたカクは、思い出したようにリュックの底からスーパーの袋を取り出した。
「?なんで知ってんだ?」
「学生証」
不審気に眉をひそめたベラミーに、カクはベラミーの席を指差した。
「ああ」
そこには、出席確認のため机に出させられていた学生証が置きっぱなしになっていた。
「これをやろう」
ほれ、とベラミーの手にスーパーカップのバニラと、木のスプーンが押し付けられた。
「誕生日じゃからと、講義終わりにもらったんじゃ」
「俺に?」
「あほ、わしにじゃ。わしも今日誕生日なんじゃ」
カクはまたケシカスを見るような冷ややかな目をし、袋からもう一つカップを取り出した。
「待て待て」
カクが自分用に取り出したのは、スーパーカップよりサイズは一回り小さいが、高級感は三倍以上のハーゲンダッツだった。
「いや、もらっといてなんだけど、ちょっと待て。お前すげぇな、スーパーカップ渡した相手の目の前でダッツ様取り出すの?うん、いやもらっといてあれだけど、うん、なんていうかお前すげぇな」
ベラミーは表面の溶けかけたバニラに安っぽい木のスプーンを刺しながら、ハーゲンダッツの銘の入ったプラスチックスプーンの袋を破り、ハーゲンダッツを掬うカクに尊敬の眼差しを送る。
小講義室の外ではセミがやたらに鳴いていた。空調の切られた室内は、徐々に熱を持っていく。

「お前さんスーパーカップ似合うのぉ」
「なんだそれ」
「褒めとるんじゃ」
「どーも。意外とお前の方が似合うかもしれねぇしトレードしてみるか?」
「いやいや、お前さんには勝てんよ。わしなんかダッツで充分じゃ」
「いや、そっちのがグレード高いよな?」

溶けてトロリと光り出したカップの縁のところばかりを掬って食べていたので、ベラミーのカップは真ん中だけ残り、小さな島のようになっていた。対してカクのカップは、真ん中ばかりを食べ進めているので、中央に大きな穴ができていた。

「わしの母ちゃんはな」

窓の外に出た巨大な入道雲を見ながら、カクはぽつりと言った。
「わしが腹におる間、ずっとバニラバー食べてたそうじゃ」
だからわしは色が白くて、こんな鼻に生まれたらしいーーーと、そう言われ、ベラミーは「なるほど」と頷いた。
なるほど、その鼻はそういうわけだったか。ところでダッツ様のカップの縁の溶けかけているところが気になってしょうがないです。食べていいですか?と、ふんふん頷きながら思った。
「ときにお前さんの母ちゃんはお前さんが腹におる間何食べてたんじゃ?肩ロース?」
「それどういう意味だ」
「色黒だからなすびの味噌汁かもしれんの」
「……ああ、そーかもな」
ベラミーは後輩への礼儀指導を諦めて、窓の外に目をやって、水気の多いバニラ味を喉に通す。この一年、絶対末っ子だな、とベラミーは予想する。ベラミーには年の離れた妹と弟がいる。いちばん末の弟が、ちょうどカクのような性格だ。天衣無縫、天真爛漫な王子さま。本音を隠すことはなく、思ったことは全て言葉にする。真っ直ぐすぎて毒にすら感じる言葉の数々。でもわかっている。悪い子じゃないと。そうしてもう一つわかっている。三つ子の魂百まで。もう矯正は無理だということも。

「そーか。なすびか。そーか」

カクはプラスチックのスプーンを舐めて、眩しい青空に目を細めた。
ベラミーも木のスプーンを咥える。プラスチックと違って独特の味だ。正直まずい。
「ベラミー、明日はカブトムシを採り行こう」
「カブトムシなんてこの辺いるのか?それよりザリガニ釣り行こうぜ」
「じゃあカブトムシ採ってザリガニ釣りじゃ。スルメを買っていこう」
外は真夏日だ。いま外に出れば汗が吹き出すことだろう。

「はっぴーばーすでーとぅーみー」
カクが咥えたプラスチックスプーンをぴこぴこと動かして、窓の外の青空に呟いた。
「……はっぴーばーすでーとぅーみー」
ベラミーは咥えた木のスプーンを抜き、バニラアイスに突き刺した。バニラ味の消えた木のスプーンは本当にまずい。ところで、スプーンを刺したアイスが思いの外浅かった気がするが気のせいだろうか。


「んだよ、お前もスーパーカップがよくお似合いじゃねぇか」






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