「あ、起きた」 目が覚めると、人の胸の上に寝そべり、機嫌よく鼻歌をうたうカクが真っ先に目に飛び込んできた。 「……重い。なにやってんだ」 身を起こそうとするが、それより先にカクに胸を押され口づけられた。触れるだけのキス。柔らかな感触に目を閉じ、カクの金髪に指を絡ませるより先に唇は離れていった。行き場を失った両手が虚しい。 「おはよ」 軽やかな朝の挨拶を口にするカクの唇は、娼婦のように赤く濡れていた。 「……ああ」 先ほどまではそんな色ではなかったはず。自然で健康的な色だったはずだ。ということはーーー 「……」 自分の唇を手の甲で押しぬぐうと、青白い肌に掠れた赤色が伸びた。 「ひひっ」 カクを下から睨むと、イタズラに成功した子どものように得意気に笑い、金の薬莢のような細く短い筒を掲げた。 記憶を辿れば、見覚えがなくもないそれ。どうみても口紅。 「……仕事だ」 諜報のため、組織と関わりのある女を抱くことなんて、俺たちの仕事では日常茶飯事だ。俺はそれを必要なことと思っているし、罪悪だとも思っていない。カクだって、同じ仕事をしているのだ。そんなことはわかっているだろう。だが、なぜこんなにも俺の声は後ろめたそうなのか。 「分かっとる」 カクはまた破顔した。 カクが軽く手首を振ると、金のボトルが放物線を描いて部屋の隅のくず入れに吸い込まれた。くず入れは空っぽだったのだろう。あの小さなボトルは朝の静けさにひびを入れるほど音をたてた。 「それよりさっさとシャワーでも浴びてきたらどうじゃ?」 カクは俺の上から軽やかに飛び下り、ソファーに掛けたTシャツとパーカーに袖を通す。 俺ものろのろと身を起こすと、視界に入った自分の胴体を見てため息が出た。 「カク……」 非難を込めた目をカクに送ったが、カクはこちらを見ることなく、口笛を吹いて姿見の前で髪を弄っている。行き場を失った視線はまた自分の腹に戻った。 そこは、五歳児に与えた画用紙のような惨状だった。赤いクレヨンが描くぶさいくなキリン、オオカミ、ゾウ、それとブチ猫(これは恐らく豹のつもりだろう)。 「じゃあの」 玄関を見ると、カクが支給された携帯を尻のポケットにねじ込み、スニーカーに爪先を入れていた。 「どこへ行く?」 顔を上げ、にやりとカクが笑う。生意気そうにつり上がった唇は、先ほどのキスの名残をまだ残している。幼さの残る顔立ちに引かれた赤いルージュ。目をすがめて笑う様は、娼婦のような色気を纏っている。 俺は慌てて玄関に向かい、カクの細い二の腕を引き留めた。 カクの唇に親指を這わせ、口紅を拭う。色が少しだけ指の腹に移る。 「‘仕事’じゃ」 娼婦のリップで笑い、カクは部屋を出ていった。 (何の……?) 聞けなかった言葉が舌の上で絡まわる。 子どものような、大人のような、微妙な境目を彷徨く年頃は、女よりも魔物なのだ。 |