「朝じゃぞ、起きろ」 そんな言葉とともに、ルッチの腹にずしりと圧がかかる。 端正な眉が不快に歪む。 「遅刻する気か」 追い討ちをかけるように、軽快な音をたて開け放たれたカーテンは、朝に弱い男に朝の光を目一杯浴びせかけた。 「・・・・・・重い・・・・・・死ね・・・・・・」 低く掠れた声で物騒なことを言う男は、眩しさに眉間にしわを寄せて腹の上の座り込む男を睨んだ。男には睨んだつもりはなかったかもしれないが、男の整った顔は微かな表情を際立たせた。 「せっかく起こしてやったのに何を言うか。今日はおまえさん1限からじゃったろう?」 カクは馬乗りになっていたルッチの腹から降り、部屋に香ばしい香りをたちこめさせる要因のもとに向かった。腹から降りる際、男の包まる毛布をしっかりとはがしてから。 「・・・・・・俺が寝てる間に何かしたか?」 しぶしぶベッドから起きたルッチは、コーヒーを注ぐ男の背を見ながらふいに思ったことを口に出した。 特に根拠はない。ただ、男はときどき呆れるほど動物的勘が働くことがあった。その勘を信じることは正しいことと経験から理解しているルッチは、思ったことを素直に口に出した。 「・・・・・・」 ブラックコーヒーがくるくると回る白いカップを手にし、男がくるりと振り返る。 半分伏せられた賢者のまぶたの下から、星を閉じ込めた少年の瞳が覗いていた。 「見ての通り、朝食を作った」 「ふん」 テーブルの上には、焼けたクロワッサンとパプリカとレタスのサラダが並んでいる。その横に男の手にしたコーヒーカップが添えられた。 ルッチの動物的勘が男の虚飾を嗅ぎ取ったが、無害と判断し小さく鼻を鳴らした。 男が用意したという朝食が並ぶテーブル上を見ると、一人前の朝食が並ぶ向かいに、飲みかけのカフェオレが入ったカップが置いてあった。 「似合わないな」 笑顔もなくそう言い放つ男に、カクは残りのカフェオレを飲み下し、余計なお世話と言わんばかりに背を向けた。 「おまえさんに合わせてやったんじゃろ」 洗ったカップを棚に戻すと、まだベッドの上で不機嫌な顔をしてい男の手に、先ほどテーブルに置いたばかりのコーヒーを押し付けた。放っておけば、そのまま1・2時間はそうしているかもしれない。酸化したコーヒーほど興ざめなものはない。 カップを受け取る瞬間、男の赤く塗られた小指の爪が目に飛び込んだ。 小指だけ、毒々しいほど真っ赤に塗られた爪が写真のようにフィルムに焼きつく。糖の足りない脳みそが、赤い爪に撹拌される。 「・・・・・・明日は」 スニーカーに踵を押し込む男の背を見ながらコーヒーに口をつけた。 「明日はみそ汁にしろ」 「ん?」 男がドアノブに手をかけ、ちらりとこちらに目を向けた。 「二人分」 「・・・・・・ん」 金属のドアは、存外静かな音で閉じた。 オートロックが働く音は好きじゃないと、今ごろになって、男は気がついた。 もう一度コーヒーに口をつける。こいつの命は短いのだ。 一人になった男は、まだ自分の小指の赤い爪に気がつかない。 |