よくわかる解体新書



「よぉ、キッドーーーいま帰りか?乗れよ、送ってやる」

黒塗りの胴の長い車のスモークガラスが押し下げられ、陰気な顔の男がそう声をかけた。
「……」
男の名はトラファルガー・ロー。たったいま仕事の報告を終えて出てきた、表向きは新興のIT企業、裏では黒い噂の絶えないこのくそでかいビルの最上階で采配を振るっている男だ。スーツ姿の生真面目な顔した男たちがせわしなく行き交うビルの正面玄関には不似合いな、ジーパンにTシャツ姿の俺も、その裏向きの顔に用のある人間だ。
「なんだよ、とって食やしないぞ」
濃いくまが影を落とす整った顔を歪ませ、ローは陰湿に笑った。
「その言葉に信憑性はゼロだ。二度も信頼してやるほど俺はお人好しじゃねぇ」
「なんだよ、後半はお前ものってたじゃねぇか」
俺はローを無視し、ポケットに手を突っ込んで歩き出す。仕事以上にこいつと関わるのはごめんだった。
「……地下鉄、人身事故で運転見合わせだとよ」
「……」
その言葉に、俺は閉じかけていた車のパワーウィンドウを無理矢理手で押し止めた。ミシミシビシッと窓が軋む。
「窓壊されたくなかったら乗せろ」
「素直じゃねぇなぁ」



この男に対する世間一般の評価を総称するとーーー「いけ好かない」の一言に尽きる。
この男は優秀だ。知略策略謀略に長け、この若さで裏社会の一角を担っている。それに、こんなこと言うのは癪だが、この男はスタイルも顔も女受けがいい。女にモテ、特定の恋人は作らず、常に違う女を連れている。地位もあり、金にも女にも困らないこの男へのやっかみだと、こいつを知らない奴等は言うだろう。だがそれは物事の本質ではない。
この男が‘いけ好かない’のはどうしようもない真実なのだ。




(あらゆる面からみて、あらゆる可能性を模索し、あらゆる結論を導きだしてみたが、どうやら俺はこの社会においては地位も名誉も金もあり、顔も運動神経も頭もいい所謂‘勝ち組だ’)

(驕り昂ってるわけじゃねぇぜ?決して自分を過大に見積もらず、あらゆる欠点をあげつらい最悪の可能性を考えてみても俺は‘成功者’だ)

(はぁ?傲慢だ?バカを言うな。俺は根拠のない自信なぞ持たねぇ。言っただろう?俺は自分を過大評価しちゃいねぇ。自分本意な批評なんかしない。俺は常に冷静に理性的に自分を第三者の立場で評価しているさ。……まぁ、俺がいくら自分に最低の評価をくだしても、お前以下になることは決してないがな。ハハハッ!)



何度か共に仕事したとき、悪態をつく敵を踏みにじり、高慢に笑う男を思い出す。本当にいけ好かない。
何がって、男の言うことに何一つ間違いがないところだ。口先だけの男ではないとこだ。
普通のやつらなら目を反らしがちな自分の欠点を余すことなくあげつらい、すべてを加味し、自分を「強者」と評するのだ。狭量な奴はこの男の言葉を理解できないだろう。弱い奴ほど自分を外の立場に置き、評価することができない。それを完璧にやり尽くし、その上で発言を行う男の思考に理解が及ばず、「戯言」と切り捨てる。だからそれとは逆に、頭も良く、冷徹な人間ほどこいつを評価してたりするのだ。そんなとこもいけ好かない。


「なぁ、俺いい男だぜ?」

スモークガラス越しに不鮮明な景色をぼんやりと眺めていると、そんな俺を眺めながらローは頬杖をついて言って。
「……」
ローのいけ好かない発言に冷たい視線をくれてやる。
「俺は顔もいい、頭もいい。スタイルも悪くねぇ。やることなすことスマートだし、優しさもある。健気に相手に尽くすし、感謝の心も忘れねぇ。平和を愛する心もあり、記念日にはサプライズだって用意する遊び心もある。センスも悪くないからプレゼントも店選びも間違いない」
良く回る舌が、常人なら恥ずかしくてとても言えないような自己讃歌を歌い続ける。男の辞書に謙遜とか恥じらいといった単語がないのでは、と思うくらいだ。しかし残念ながら男の辞書には欠けた単語など一つもない。男は単に‘事実’を言っているだけなので、恥じることなど一つもないのだ。
窓の向こうを見慣れたバイク便が走っている。よくこいつの会社に配達しているとこだ。
「仕事は好きだが、仕事人間でもない。平日はきっちり働き、休日はゆっくり過ごす。家族や恋人との時間を大切にする。もちろん浮気なんてしないぜ。不潔でがさつなところもないし、きっちりしすぎで潔癖ということもない。ああ、そうだ!それに何より、平凡でつまらない毎日とは無縁だぜ?まるでアクション映画ようなスリリングを味わえる!危険なにおいのする男って興奮しないか?」
コンコンコン、っとスモークガラスが高い音をたてる。バイク便の男が、車に並走しながら窓をノックしている。すぅっとガラスが音もなく下がり、都会の生ぬるい空気が吹き込んでくる。バイク便の男の右手の中で黒光りするものが車中に押し込まれた。


「俺にしとけよキッドーーー」


バイク便の男の銃がローに照準を合わせるより速く、懐から引き抜いたリボルバーでメットの中央に風穴を開けた。
背後でアスファルトの削れる音と、女の甲高い叫び声が聴こえたが、開いていた窓はすぐにスルスルと締め切られ、街の喧騒から切り離される。
俺は弾一発分だけ軽くなったリボルバーを懐にしまう。

「嗅ぎ慣れた臭いであきあきしてるよ」

俺は窓の縁に肘をつき、バックミラーで後方を覗く。もう後をついてくる影はないようだ。さっきのバイクは俺が乗る前からついてきていた。「家まで送る」なんて言ってタダ働きさせやがって。人身事故起こしたバカに蹴りいれてやりたい。
「お前からにおうのは煙硝と血のにおいばっかだ」
そう言うと、「嗅ぎ慣れた臭いって安心しない?」なんて言ってへらへらと笑い、ローはポケットから水色のパッケージの板ガムを取り出した。四角い筒にペンギンが並んだデザインのガムだ。こいつのお気に入り。コンビニに青とか緑の板ガムしかないと露骨に拗ねるんだ。
「俺にもちょうだい」
そう言って、男の前に手のひらを差し出すと、その手を引かれ引き寄せられた。
「っん」
不安定な格好で唇を合わせ、舌先を柔らかな甘味のあるミント味の舌で擽られた。昔、タダ働きさせられた腹いせに、こいつのガムの中身を、青色の板ガムのやつにすり替えたことがある。紙の包み紙をすべて付け替えるのはアホらしく面倒臭かったが、食ったこいつはわりと本気で涙目になっていたのを思い出す。辛いガムは苦手なんだ。


「っ、は……」
唇を離すと、口の中には薄れたミント味のガムが残されていた。男はまた新しいガムを口に放り込み、郊外に向かってビルが減りだした景色を何やら楽しげに眺めだした。

(新しいの寄越せよ……)

こいつは頭も良くて、顔もそこそこ良くて、根拠のない自信なぞ持ったりせず、合理的で理性的な人間だ。自分に対し驚くほど客観的になれ、普通の人間なら見たくもない自分の汚ない部分もすすんで覗きこみ、自分自身を切り刻むように分析する。そういうところは素直にすげぇと思うし、尊敬もしているが、それはこいつを好きかどうかとはまた別の話だ。こいつの完璧な部分には興味ない。

俺も、ローとは反対の景色を眺め、おだやかなミント味の生ぬるいガムを噛みしめた。
今度は俺が黒い板ガムを口移しで食わせてやる。





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