Not Guilty



「部屋遊び行きたい」

そいつが言うには付き合って一月と三日経った晴れの日に、そいつは突然そう言った。
「はぁ?」
いつも通り大学が終わり、正門と比べ人気のほとんどねぇ南門から出てくるのを待ち構えていたそいつ−−−ユースタス・キッドが俺の横に並んで歩き始めてすぐのことだ。黒いランドセルを背負うキッドは、小生意気な赤目を真っ直ぐに俺に叩きつけて言う。
「だって、付き合ってんだから。部屋いきたい」
「……いや、付き合ってねぇ!」
俺は伸ばされた真っ白な手とキッドの言葉を同時に払いのけた。だがキッドは懲りずにすぐまた手を伸ばし、俺の手を両手でとらえぶんぶんと振り、年相応にガキくせぇおねだりを繰り返す。
「ねぇ、行きたい」
「あー、うるせぇ!ガキはガキ同士遊んでろよ!」
「……いま学校で『襲われるー!』って大声で叫ぶ遊び流行ってるんだけど、ちょっと今から一人で遊ぶね」
「うおおい!ちょっと待て!なに物騒な遊びしようとしてんだ!分かった、分かったから!」
俺は慌ててキッドの口を手のひらで覆った。俺の手のひらにすっぽりと収まりそうなほど小せぇガキの顔だ。そんなガキにいいように扱われている。
‘やった’なんて、いつもは生意気なばかりのつり目を嬉しそうに細め、手のひらの下で柔らかく頬が持ち上がる感触が伝わってきたって、キッドに一月と三日振り回されてきた俺には舌打ちしそうな感情以外は何も生まれなかった。一月と三日、ずっとこんなことの繰り返しだった。
「チッ!最近のガキは!」


■□■□■□

「うわー、お兄ちゃん家狭くて汚いね」

玄関を開けてすぐ、ドアの外から中を覗き込んでの第一声はそれだった。
「よし、帰れ」
築二十七年ボロアパートの一室にある俺の城は確かにキッドが言うとおり狭くて汚いが、他人に言われりゃ腹がたつ。
「おじゃまします」
キッドは俺の話など一つも聞くきがないらしく、ドアノブを持つ俺の腕の下をくぐり抜け、靴が散らばる玄関に丁寧に靴を揃え、中に入り込んだ。礼儀よけりゃ何してもいいと思うなよ。
俺も後を追い中に入ると、キッドは何が面白いのか、台所やトイレ、風呂場を覗き込みいちいち「へー」だの「ふーん」だの感心した声をしきりにあげていた。俺はノートと教科書が数冊入った薄いカバンを床に放り、ベッドに腰かけてうろちょろ忙しい赤毛の仔猿を呆れた目で追った。
「楽しいかよ」
「うん、すごく。ねぇ、お兄ちゃん、ジュースねぇの?」
キッドは冷蔵庫を勝手に開け、中を物色しているようだった。台所の方から我が家のボロ冷蔵庫の稼働音と、「ビールしかない」と不満げな声が聴こえた。
「図々しいやつだな……おら、大人しくしとけ。確か酒割るようのオレンジジュースあったはず……」
俺はため息と共に立ち上がり、キッドを退けて冷蔵庫の前にしゃがみこむ。あっちへ行け、と犬ころを追い払うように手を振ったが、キッドはその場に留まり、しゃがみこむ俺の肩に手をついて一緒に中を覗き込む。肩に乗せられた手は子どもらしく熱く、小さい。肩越しに中を覗くので、耳や頬に呼気の温もりが掠めていく。
「あった」
急に耳元でキッドが囁くので、俺は大袈裟なくらい心臓が跳ねた。肩越しから伸びてきたそこいらの女より白い腕。肘裏の青い静脈がすぐそこにあった。
「そこじゃないよ。ほら、その奥」
「あ、ああ」
缶ビールの後ろに寝かされていたオレンジジュースのペットボトルを慌てて取り出す。それをキッドに渡すと、嬉しそうに抱え、棚のグラスを2つ掴んでいそいそと部屋に戻っていった。ジュース一つではしゃぐガキをこんなに意識する自分を軽く嫌悪する。
部屋に戻ると、キッドがテーブルの台所側に座り二つのグラスにジュースを継ぎ分けていた。
「それ飲んだら帰れよ」
キッドとは反対の席に移動し、ベッドに腰かけてそう言うと、キッドの赤い唇がつんと尖った。
「もう?」
「十分見ただろ、部屋。家には遊び道具なんてないし、とっとと帰れ」
「お兄ちゃん、もっと恋人との時間大切にしろよ」
「女できたときそうする」
「はぁ……お兄ちゃん何がそんなに不満なんだよ?」
ズイッとグラスの一つが俺の前に押し出された。キッドは残ったグラスを両手で包み、テーブルを回り込んできた。ベッドに座る俺の左足のすぐ横に座り込む。不満そうな面をしているのにわざわざよってくるなんて本当にガキはわからねぇ。俺の視界には、キッドの小さな後頭部と鮮やかな赤毛と薄い肩しか見えない。
「女じゃねぇとこ。大人じゃねぇとこ」
視界の端の赤毛から真っ白なうなじを降りかけた視線を意地で止め、大袈裟に鼻を鳴らしきっぱりと言い切った。お前の正反対な生物が俺は好きなんだ、と。

「お兄ちゃん」

グラスを傾けていたキッドが肩越しにこちらを見上げた。
横から見るこいつの横顔は、いつもより大人びていた。キッドの、底が透けそうな赤い目にに憐憫が滲んでいる。

「……たぶんお兄ちゃんはそういう運命に生まれたんだよ」

ことり、とグラスを置いた音がした。上半身を捩り、キッドは俺の腿に手をついて、俺をしたから見上げる。物覚えのわりぃ生徒を諭す教師みてぇな目だった。生地越しに、温度を感じる。人が触れてくる感触が珍しくて、妙に緊張した。
「そういうって……」
キッドの右手がそろりと伸び、俺の頬を撫でた。

「女の人と縁のない運命」

「んな、っ」
言い返そうとした口は塞がれた。猫のように伸び上がったキッドが、生意気な目を開けて、俺の動揺を隠せない目を覗きこんで小生意気に笑った。それから本物の猫のように音もなく膝に跨がると、俺の胸に手をつき、親猫に擦り寄るように何度も唇を押し付けた。
「ふふ」
キッドは小さく笑い、顔を離した。

「多分おれが最後だよ」

そう言ったキッドは、なぜかすまなそうな顔をしていた。同情してんだろうか。俺の人生に。
赤く薄い唇の隙間から、濡れた舌が覗く。緩く伏せたまつ毛で、目尻に影ができている。舌先が、俺の唇をそろりと舐める。情けねぇくらい息が上がった。ああ、ほんと、救いようがねぇ。十以上も下の性別の同じガキに、鼻息荒くしてる。盛りのついたガキを膝に抱えて興奮した男の姿は、端から見たらひでぇ絵面だろう。ほんと、救えねぇ。俺の股間に尻押し付けてんのはわざとだろうかこのくそガキ。俺の人生こんなはずじゃなかった。女にモテないとはいえ、男、それもガキに走るには若すぎるだろ、まじで。ほんと、この尻わざとだったらあとで尻ひっぱたこうーーー


「おれが最後のチャンスだよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんかわいそすぎるから、おれが最初で最後になってあげる」


俺は多分、いま、世界でいちばん可哀想な告白を受けているんだろう。告白と言うにはあまりに上から目線な告白だが。
もう、舌先が触れあうまで数ミリだ。とりあえずキスして、やって、ぜってぇわざとだからケツひっぱたいて、後悔して、自己嫌悪して、頭抱えて項垂れて、そんで多分、「大丈夫?」なんて言って憐れんだ顔で俺の頭撫でてくるだろうこいつに、「もうたぶんお前しかいねぇから付き合ってください」って土下座しようと思う。


「キスだってそれ以上だってしてくれる恋人に文句ある?」





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