三文キネマ



※これの続き 一月某日



「それでは今日はここまで」

教壇に立っていた教授が教室を出ると、それまでシンとしていた教室に一気に音が戻ってきた。
皆それまでの真剣な顔が嘘のように馬鹿笑いし、頭の悪そうな会話を交わし、教室を出ていく。
トラファルガー・ローはそれを横目に、殊更ゆっくりと教科書をしまう。昼食まで一時間以上あるこの時間帯は、晴天の割りに涼しい風が吹く。風を通すため少し開けられた窓から秋のにおいがした。

「誕生日おめでとう」

足早な学生達が早々にいなくなった教室は色が抜け、遠くの青空から忘れられたようにセピア色だ。この教室に次の講義はないので、出ていく生徒と入れ代わりに入ってくる者はいない。
ローは教科書を入れた黒いクリヤホルダーを机に置き、講義中だけ掛ける眼鏡を胸ポケットにしまいながら立ち上がる。
「………あぁ、俺か」
「忘れてたのかよ」
「通りで深夜にやたらメールが来ると思った」
「見てねぇのか」
「眠くてケータイ叩きつけた。そう言えば朝見当たらなかったな。壊れてねぇといいが」
「ケータイと目覚まし何個壊せば気済むんだよ……」
ローは難しそうに眉根を寄せ、机に腰かけた。ローが目を向けた先には、早々にストールを巻きだした寒がりな男が教室のドアに凭れていた。

「おめでとう」

ユースタス・キッドはローの冬の湖面のような瞳を確かめ、もう一度そう言った。
「ーーーだが、おめでたいのは今年の今日でも来年の今日でもなく、お前が生まれた年の今日であって、今年の今日は何もめでたくねぇ、けどな」
キッドはそのツンと高い鼻を得意気に反らした。どうだ、と言わんばかりのガキのような顔だ。一月の出来事をまだ引きずっているようだ。顔の割に女々しいとこがある。
「……お前、いつからそんな性格のネジ曲がったようなこと言うようになったんだ。悪いのは頭だけにしとけよ」
ローは気だるげな瞳にじんわりと憐れみを滲ませる。可哀想な捨て犬を見るような目だ。
「んな、!その言葉そっくりそのままお前に返す!」
「あ?」
「お前が俺の誕生日に言っただろうが!」
「……どうりでウィットに富んですばらしい理論だと思った」
ローは手のひらを返したように感心した顔で頷きだす。本当にどうしようもなく性格のネジ曲がった男だ。
「おい!さっきと言ってること違うじゃねぇか!」
がるる、とキッドが噛みついた。頭の作りも精神年齢も幼いのだろう、キッドは子どものように表情の豊かな男だ。怒るときも、笑うときも、悲しむときも全力なのだ。表情乏しく、感情がいくつか欠落したような自分のためにこいつはいるんだろうか、とローは胸中に思う。
「俺なんでお前といるのか不思議になってきた……」
キッドが頭痛でも抑えるように米神を押さえながら言った。それは意図せずローの胸中と重なり、ローはわずかに目を見張った。

「“なんで”?」

ローがキッドの言葉を繰り返す。口端がゆるゆると吊り上がっているのを感じた。
キッドは嫌な予感から思わず半歩下がった。
「……は?」
「だから、“なんで”だよ?」
「?」
「なんで、俺といんの?」
「な、」
しばし、キッドはローの問いの意味が分かっていなかったようだが、ようやくローが何を言わんとしているかわかったようだ。急にわたわたと慌てだした。
「は、な、なに、言っ、」
「なぁ、“なんで”?」
「っ、し、知らねぇよ、そんなん……!」
キッドの目は面白いくらいあちこちを泳ぎ回る。助けを求めるように辺りを見ているがそんなものは見当たらず、キッドは観念したように一度唇を噛みしめ、ゆっくりと開いた。
「お前と同じ理由、だ……!」
それだけ言うと、キッドは首元のストールを引き上げ鼻先まで顔を埋めた。
「……」
「……」
教室の沈黙の中、キッドがストールから覗かせた目が少し不安に揺れた。“俺がお前と一緒にいるのは、お前が俺と一緒にいるのと同じ理由だ”とは、強面のくせに繊細なところのあるこの男にしてはなかなか大胆な切り返しだ。
「そうか……」
ローがやっと口を開く。

「……まさか、お前が俺の体目当てだったとは……」

ローはひしりと自分の体を抱きしめ、キッドを非難がましい目で睨んだ。
「んなわけねぇだろ!っつーかお前は俺の体目当てだっのかよ!」
さっきまでの秋空のような青い空気が一気に吹き飛ぶ。
「ジョーダンだよ」
ニヤリと意地悪くローが笑い、ジーンズのポケットから煙草を出してくわえた。
「……校舎内禁煙だぞ。見つかったらゼミの教授に呼び出されるぜ」
不貞腐れた表情のキッドが見咎め、じろりと睨む。くわえるだけだ、と取り出しかけたライターをポケットに押し込む。

「“同じ”ーーー同じねぇ」
クツクツとローが笑う。キッドと一緒にいるようになって、ローは格段に笑うようになった。同時に、性格の悪さも格段に増した、とローと付き合いの長い者たちが言っているのを本人は知らないだろう。
「な、なんだよ」
ろくでもないことを言われそうな雰囲気に、キッドはすかさず身構える。頭は良くなくても、何度も経験すれば猿でも学習するものだ。まぁもちろん、身構えてみたり気を張ったりしてみても、ろくでもないことを言われて打ちのめされる結果になることは必須なのだが。

「ーーーじゃあ、今年のクリスマスにお前の薬指に指輪を贈る俺に間違いはないわけだな」

キッドが大きく目を見張る。ローは火のつかない煙草をぴこぴこと動かし、固まるキッドを尻目に、余裕の表情で首を傾げて笑う。
キッドの左手の指には、彼が趣味で作ったシルバーのリングが親指以外の全てにはまっている。キッドは薬指のリングを抜き、口元をにやつかせるローにそれを投げつけた。ふにゃふにゃと弛みそうになる唇をきゅっと引き締めている様を、ローはなんとも愛しく思う。
「バカ!お前なんて何もないとこで転けて死ね!」
キッドは小学生のような照れ隠しで憎まれ口を叩くと、ドスドスと足音煩く廊下に出た。教室のドアの陰に隠れる直前見えた横顔は確かに真っ赤だった。下のフロアやいくつか向こうの教室は講義があっていたはずなので、彼の足音はとてもいい迷惑だったろう。
「おい、待てよ。飯行こうぜ、昼飯」
教室のすぐ隣の階段を煩い足音が降っている。ローは椅子に掛けていたジャケットを羽織りながらそれを追いかける。
「ケーキも食おうぜ!」
階段の手摺から下を覗くと、二階下の階段で派手な赤毛がちらりと見えた。なかなかに早い逃げ足だ。
「お前のおごりで!」
キッドのバイトの給料日までまだ何日もあるのも思い出し、ローは階下に向けてそう付け足した。

お前なんか階段から転がり落ちちまえ!

随分下から聴こえてきた返事に、ローはくしゃりと笑った。男の知り合いが見れば腰を抜かすほど素直な笑みだった。
ローは身軽に手摺を飛び越え、階下に飛び降りた。こうすれば転がり落ちることはないだろう。あといくつかそれを繰り返せば、にやける顔を誤魔化すために無理やりしかめ面した赤い顔の男にすぐ追い付くはすだ。



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