夏は、いのちの燃え上がる季節だ。 今しかない、今が全てだと言わんばかりにそこかしこで命が燃える。 この男には一番似合わぬ季節だ。 「何を言う」 男は、池の縁周りの石に上体を乗せた姿でニヤリと笑った。池に張り出したヤマモミジの一種の青い影の下、ぱしゃりと涼しげに水音が揺れた。 「俺ほど夏の似合う者もいない」 夏は命の季節だ。 この死体のような男が何を言うのか、と縁側に胡座をかき、団扇を忙しなく揺らす男は思った。 事実、池から半身だけを上げた男はどう見ても夏には不似合いであった。 死体のように冷たい肌は、滴る水でさらに冷たく凍えている。真っ黒に艶めく髪は、光も受け付けず烏の濡れ羽色をしている。キンと光る金のまなこは、日の色とは言えずやはり夜の気配を漂わせていた。 「お前に夏が似合うだと?バカを言え―――仮に似合うとしたら、死者の帰りくる盆くらいだ」 縁の男は大口を開けて笑う。似合うと言えば、こちらの派手な大男の方が何倍も似合いそうである。 「ふん」 縁の男に笑われ、気を悪くしたように眉根を寄せた男は、石から身を離し、くるりと背を向け池に潜った。太陽が殺傷能力を持ち、屋根瓦は熱く焼かれ、植物も茹だるこの季節、ヤマモミジの影が落ちる池だけが涼を縁に運んだ。 縁の男は、跳ねた水音と共に流れてきた涼風に目を細めた。色のついた眼鏡の奥では、艶かしく捩れ、水底に消えた男の濡れた背中を幾度も瞬かす。 また密やかな水音と共に男が水面に現れた。池の真ん中にある苔むした石に両手をつき、葉から漏れた陽光に惜しげもなく濡れた半身を啄ます。 縁の男は、欲まじりの視線で男を眺め回すが、腰から下はしっかりと日の透けぬ水の中に溶けている。 男は、右手で濡れた髪をかきあげ、そのまま手を上に伸ばした。手の先には、ヤマモミジの一枝が垂(しだ)れている。 男は目一杯手を伸ばし枝の先を掴んだ。 途端、溶け落ちるようにヤマモミジの木が形を崩した。 「―――」 縁の男は目を見張り、その様を網膜に焼き付けた。 細かい粒子がざらざらと枝の先から雪崩れ、青々しく照っていた葉はかさかさと老いた肌となる。太い幹も次第に傾き、一部は風に消え、また一部は水底に消えていった。 男はその様を見上げ、役目を終えた右手を肩の前に上向きに広げ、降ってくる砂を右手に、体に、享受する。 体を滑る砂で濡れた体を乾かしながら男は高らかに笑った。遮るものが消え、男の背後には、夏を、命を燃え上がらせる巨大な天体が聳え出ていた。 男は、最後に右手に残った砂を目前に掲げると、風の吹くままに拐わせる。 影を作っていた遮りが消え、今や男の裸体は白日の元にあった。 男は、笑う。高らかに笑う。全ての命を枯らし尽くし笑う。 笑いながら男は後ろに傾き、小石を投げ入れた程度の軽い音だけを残し水中に消えた。 「フッフッフ」 縁の男も、男とヤマモミジの木の消えた池を眺め笑う。 ―――ああ、確かに似合いの季節であった。 夏は、いのちの燃え上がる季節だ。いや、いのちを燃やし尽くす季節だ。 ―――確かに、お前に似合いの季節だ。 |