男は片手に徳利を揺らし、梅の香と清謐さと、春の日差しが漂う寺の境内を闊歩していた。

囀ずる小鳥、穏やかな暖かさ、人気のない独り占めの空間が男の機嫌と足取りを軽やかにしていた。

男は寺の本堂の正面に立ち、古く立派な堂を見上げると、正面の階段は無視し、本堂の右脇に入り込んだ。我が物顔で濡れ縁に上がり、どさりと胡座をかく。男の目前には、年を重ねた立派な梅の木が四方に枝を伸ばし、満開の白い花を自慢気に咲かせている。

正面に広がる春の絶景に、男は満足げに頷くと、徳利を取りだし一献煽った。

寺の境内で酒を食らうなど、見つかれば説教ものかもしれない。しかし、叱るべき寺の和尚は男の顔馴染みであるし、当の和尚も今ごろ春ののどけきに誘われ酒を煽っていることであろう。

誰の邪魔も入らない優雅な花見になると男は確信していた。

それが―――



「うまそうな酒だな」



突然の声に男は驚いて酒を酌む手を止めた。

「俺にも一献くれまいか」

からかうような軽やかな声に、男は目を皿のようにし辺りを見回す。確かに人はいなかったはずだ、と訝しみを込めて。

「こちらだ」

その声と共に男は声の主を認め、息を飲んだ。

声の元は目前の梅の木にあった。

白い花の散らばる中、燃え立つような色がぽつりと混ざっていた。

その赤は人の形をしていた。梅の花びらのように白い肌に白い着物を纏い、大振りな枝の一つに寝そべっている。

梅の男は、驚き声も出ない男をからかうように笑い、「俺にも一献」と手を伸ばす。
男は眉をひそめた。人をからかうのは大層面白いが、からかわれるのは大層気分が悪い。

このまま引き下がるのも癪に触るので、男は眉をひそめたまま徳利と盃を手に縁を降りた。梅の男が寝そべる枝の下に立つと、盃に並々と酒をつぎ、枝上の男に手を伸ばした。

「すまんな」

梅の男も手を伸ばし盃を受けとると、一息に煽る。

「ふん、なかなかだ」

紅を引いたような唇を一舐めし、梅の男は快活に笑った。そして盃を眼下の男に返し、梅の男は言った。



「礼だ」



盃を受け取った男は、訝しげに盃を覗き込む。そこには、白い花が1つ、乗せられていた。

「おいお前、花を勝手に―――」


男が顔を上げると、先ほどまでいたはずの赤い男は消えていた。

「―――」

ゆるい風が花びらと花びら、枝と枝を擽るように通り抜けていく。梅の男がいた枝に、鴬がつがいで羽を休めに降りてきた。
男は呆然と梅の木を見上げ、また手元の盃を見下ろした。

爽やかな梅の香が、男の胸を埋めていた。



梅の花 夢に語らく 雅たる 花とあれもふ 酒に浮かべこそ
(梅の花が夢に出てきて私に言うことには、'私は雅な花ですので酒に浮かべてくださいませ'、と―――)




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