羊が狙うハイエナのノド



初めてそいつ―――ユースタス・キッドと出会ったのは、夕方前の中途半端なダルい時間の公園だった。
街でナンパした女が彼氏持ちで、しかもその男に因縁つけられケンカをふっかけられ、ボクサーをかじっているらしいそいつに散々に負け、ズタボロでなんとか近所の公園までたどり着いたが、肉体的というより精神的な問題でそこから動く気がせず、人気のない公園のベンチでぐったりと転がっている―――というなんとも情けない状態のときだったのでよく覚えている。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

真っ赤な髪に真っ白な額、真っ赤な瞳に真っ白な首、真っ赤な唇に真っ白な膝小僧の色素が少ないガキだった。
そいつは転がる俺をしげしげと眺め回すと、背負ったランドセルを地面に下ろし、踵を返した。しばらくして戻ってきたそいつは、湿らせた青いハンカチを握りしめていた。
「痛い?」
時々そう尋ねながら、拳で殴られて青かったり赤かったりする俺の顔を覗きこみ、擦り傷や鼻血をきれいに拭き取ってくれた。
「……っせぇよ、あっち行きやがれ」
邪険にそう言ってみても、そいつは気にする様子もなく、力の入らない俺を甲斐甲斐しく世話した。
「このケガどうしたの?彼女とケンカした?」
「……大の男をここまでできる女とは付き合わねぇよ」
「そうだね、お兄ちゃんモテなさそうだしね」
「そこじゃねぇだろ。っつかそれどういう意味だ」
赤いまつ毛に縁取られた猫目が‘そういう意味だ’と嘲笑うように光っていた。全身から生意気そうな雰囲気を出してはいたが、雰囲気通り生意気な口をきくガキだった。

「あ、帰んなきゃ」

17時を知らせる公園の鐘を聴くと、そいつはハッと顔を上げた。
「じゃあね」
顔に濡れたハンカチを押しつけて、パタパタと靴を鳴らし公園の裏通りに抜けて行った。膝裏の真白さと、血や砂で汚れたハンカチの角に入った熊の刺繍がなぜか脳裏に焼きついた。これが5日前のハナシだ。




「お兄ちゃん、おれが付き合ってあげようか?」




会える確信があったわけではないが、ちょうどハンカチが洗い上がり、ちょうど暇を持て余していたので、散歩がてらふらりとあの公園に向かった。そいつと会った次の次の日のことだ。
公園に入ると、ちょうど公園の裏手に抜けようとしていたガキの真っ赤な後頭部と真っ白な膝裏が目に飛び込んだ。
「おい!お前、えーと……そこのガキ!」
そのとき生まれて初めて名前がないと不便なことを実感し、妙に感動したのだった。
「あぁ、こないだのお兄ちゃん」
足を止め、振り返ったそいつがこちらに近づいてくる。俺もそいつの方にダラダラと歩いて行くと、あと6歩の距離でそいつは足をとめ、猫目を見開いて俺を見た。
「あ?」
「……お兄ちゃ、あぶな」
そいつが全部言い切る前に、目の前に星が散るような衝撃が後頭部を襲った。
「!!!!」
‘痛み’より衝撃に驚いてしゃがみこむと、「テーンテンテン……」なんて衝撃の割りに間抜けな音をたてて、白い球体が地面に転がった。
「グォォォ……!!!!」
硬球だ。
それを理解すると待ってましたとばかりに痛覚が襲いくる。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
こないだ聞いたようなセリフを再び掛けられた。返すために持ってきた青いハンカチも再び濡らされて、再び転がることになったベンチの上で後頭部に押しつけられた。
「お兄ちゃん、俺が付き合ってあげようか?」
前と違うことと言えば、今回はそいつに膝枕されていることくらいだ。断りを入れるが、俺はイヤだと言ったのだが、そいつが無理やり俺を膝に寝かしつけたのだ。強要したわけでもないし、そんな趣味もない。
「は?」
その時言われたのが冒頭のセリフだった。生まれて初めての膝枕が同性のガキだということに虚しさを抱きつつも、少年の太ももの滑らかさと柔らかさに背徳的な感動を少し、ほんの少しだけ感じていた俺は肩を揺らし驚いた。
「だって、お兄ちゃんすげぇかわいそうなんだもん」
下から見上げたそいつは、眉根を切なく寄せて、目尻を憐れみに下げていた。体重も身長も年齢も一回り以上違う子どもに、心の底から同情されていた。
胸元に置かれた右手の人差し指が悪戯に肌をなぞり、左手は俺の前髪をすくように撫でていた。
「………………そ、そんな趣味はねぇ!」
長い沈黙の後、我に返った俺は慌ててそう叫んだ。一瞬流されそうになった俺は青ざめて飛び起きた。いま頭の下には、俺の股間にあるもんと同じものがついているのだ。
俺はズキズキ痛む頭を叱咤し、逃げるように家に帰った。これが、3日前のハナシになる―――




それから今日までの3日間どうしていたかと言うと、もうそいつともこれっきりかと思いきや、3日間毎日その公園で出くわしていた。毎日違うケガを抱えて。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「お兄ちゃん、おれが付き合ってあげようか?」
その度にそいつは憐れみに満ちた目で俺の傷にハンカチを当てながらそう言った。


「お兄ちゃん、大丈夫?」
―――今日はどうしたの?と、大学の講義が終わり、ズルズルと重い足を引きずって真っ直ぐに家を目指していた帰り道、またもや偶然公園の前で出くわしたそいつにベンチに引っ張られながら尋ねられた。
「……」
鏡を見てはいないが、多分口をへの字に曲げる俺の頬には、見事な紅葉が出来ているはずだ。
「あ、わかった。友達の女のケンカに巻き込まれたんだろ」
また濡らしたハンカチが頬に当てられた。今日は白いハンカチだ。
「……俺が女を泣かせたとか、俺の女のケンカに巻き込まれたとか考えねぇのかよ」
なんの間違いもなく正解を出され、俺は不機嫌に鼻を鳴らした。
やたらモテる友人を取り合って、大学の女二人が掴み合いのケンカを始めたのだ。ただ見ているわけにもいかず、仲裁に入ればこの様だ。
「お兄ちゃんモテないからそれはねぇかな、って」
「うっせぇ」
ベンチに座る俺の膝の間に立ち、顎を掴み頬の腫れ具合を見ていたそいつは憐憫のため息をついた。
「ねぇ、お兄ちゃん、やっぱおれが付き合ってやるよ」
世の中に、こんな上から目線で同情に満ちた生意気な告白は他にそうないだろう。
「結構だ」
どんなにモテなくとも、男に(それもガキに)走るにはまだ若いはずだと、自分に言い聞かせる。
「だってお兄ちゃん顔も頭も悪いし、運も間も悪いし、このまま年齢イコール彼女いない歴でいいの?」
頬を捉え、正面からそいつが憐れみの目で覗きこむ。
「イコールじゃねぇし」
「え、嘘つくなよ」
「嘘じゃねぇ!………………しょ、小学校の頃いた」
「……そっか」
憐れみの目がさらに深まるのを間近にし、俺は一人項垂れた。

「お兄ちゃん、やっぱりおれにしとけば?」

ベシャリと濡れたハンカチがベンチに落ちる音がした。咄嗟に目でそれを追おうとした俺の頬に、ハンカチの変わりに真っ白な手が添えられた。
「!」
冷たさからうってかわった手のひらの熱さに驚く間もなく、乾いた唇に熱を押しつけられた。
グイと右手で首裏を引き寄せられ、さらに強く唇の熱が伝わる。
まだ小さな熱源が柔く唇を食む。上唇が軽く吸われ、悪戯に甘噛みする。
「……っ」
間近にある赤い睫毛の際を夢のできごとのように、現実味なく見る。
止まった思考のまま、いま何が起きているか理解する前に、甘噛みに応えるように下唇を唇で食むと、鼻を抜けるような小さな笑いを感じた。
「テレビの中の淫乱は触らせてくんねぇし、写真の中の巨乳はキスしてくんねぇぜ?」
唇ぎりぎりにリップ音を鳴らし、焦点が合うくらいまで顔を離したそいつは、俺の鼻先で慈悲深く憐れみながら思考の止まったままの俺を笑う。
なぁ―――囁くようにキッドが問う。

「キスしてくれる恋人に不満ある?」

言葉も思考も唇の熱に溶かされた俺の、酔って蕩けた視界にはそいつの赤すぎる唇は毒でしかなかった。

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