ソープオペラ



※「首なしキラー」設定

古びた金属の大きな南京錠がぶら下がる古びた金属の箱―――

ユースタス・キッドはその箱に耳を押し付け、息を殺した。
―――何も聴こえない。
耳を離し、キッドはその箱の南京錠に向けて手を翳した。ガチリガチリと軋む音の後、金属のへし折れる音が高らかになる。
拒むような蝶番の抵抗を軽々とはね除け、キッドは箱の中に両手をつき入れた。
ぞろりと持ち上がる金の糸―――水面から跳ね返る光を浴びて、きらきらと輝くその金糸を頭上にかかげキッドの淋しい真っ赤な唇が呟く。

「―――キラー」



「キラー?」
キラーは仲間に呼ばれ、空を見ていた視線を地上に戻した。
「キラーどうかしたか?」
共に買い出しに出た仲間の幾人かが不思議そうな顔でキラーを見ていた。
「―――いや、何でもない」
誰かに呼ばれた気がして―――
「あ、すまない、電々虫が……買い出し続けててくれ」
キラーは仲間に片手を上げ、静かな路地裏に入り、携帯用電々虫を取り出した。
「キッドか?」
キラーは迷うことなく、自団の船長の名を呼んだ。この携帯用電々虫に繋がる先の可能性は、彼の人の自室にしかない。
『……』
「キッド?」
応えない電波の先に、キラーは不審気に呼びかける。
『……も』
「?」

『誰も、いねぇんだ』



「キラー」
自室のベットに転がり、胸元に長い金髪の生首を抱えたキッドは、電々虫の受話器を手に天井を見上げ呟いた。
「誰もいねぇんだ」
『キッド?』
受話器の向こうから、不審そうな声がキッドを呼ぶ。
「今日はおれの誕生日だぜ、キラー―――なのに起きたら誰もいねぇんだ」
目を覚ませば、しんと静まる船内だけがキッドの目覚めを待っていた。波の音もする、鳥の声もする。港の向こうに耳を澄ませば人の声もした。だが、キッドの目覚めに目を向けるものは何一つなかった。
キッドは、生首の金髪に指を通し、寂しげに頬を押しつけた。キッドが抱える男の生首は、ただ眠っているだけのように静かに目を閉じている。息も、鼓動もない生首なのに、それからは少しも死のにおいがしない。
『すまない、思ったより早く起きたんだな』
「……」
『ああ、大丈夫、みんな忘れてない。今日の祝いのために皆で買い出ししてるんだ。今日は豪華で賑やかな祝いにする。もう少し待っててくれ』
「違う」
『キッド?』
受話器の向こうの声は、何度も彼の名を呼んでいる。
だけど、違う。違うのだ。キッドが欲しいのは、それではない。
「違う、キラー、違うだろ」
『キッド?キッド、どうしたんだ?』
開けられることのない瞼の金糸に唇を押し当て、キッドは違うと繰り返す。

「そうじゃなかっただろ?目覚めたらお前がいて、キスをして、『おめでとう』―――それで全部だったじゃねぇか」

『―――』
「それで全部だ。それが全部だったろう?」
キッドは生首と電々虫を抱え、自室を出て甲板に向かった。
静かだ。キラーの言うとおり、皆で買い出しに出ているようだ。
外は呆れるほどよい天気が広がっていた。キッドは眩しさに涙の滲む目を細め、甲板の手すりに首と電々虫を据えた。
「小娘くさいか?ガキくさいか?呆れたか?」
潮風に吹かれ金糸が揺れる。受話器に向けてか、首に向けてか、キッドは何に向けて話しているのだろうか。
「それでも、俺は欲しいものは笑われたって求め続けるぜ?派手な祝いでもねぇ、豪華な贈り物でもねぇ―――」
首の耳裏に指を入れ、首を掲げる。空と海が溶ける水平線に浮かぶ男の生首に、現実感が青く眩む。

「お前の言葉が欲しいんだ」

毒塗れの唇が、沈黙の唇を塞ぐ。苦味もない、恋の味もないキス。
―――サロメ、求めた首はお前に何を与えたか?

「『おめでとう』」

キッドは子供のようにくしゃりと笑った。受話器越しではない、鼓膜を直に揺らす声。
「ん」
体に回された腕と背に感じる男の熱が、男の行動を物語る。船からどれくらい離れていたのだろうか。きっと、全速力で走る仮面の男は、街中で大注目だったことだろう。
「おせぇよ」
「すまない」
「もう少しでお前の首、海に捨てちまうとこだったぜ」
「!」
「冗談だよ」
キッドは歯をみせて思い切り笑う。仲間にも、誰にも見せない、キラーしか知らない顔だ。
キッドは右腕に首を抱えたまま男の腕の中で身を返し、キラーの仮面を奪い取った。
「キッド!」
仮面の下から、暗い断面が顔を出す。男には、首がなかった。
キッドは仮面を甲板に放り、空いた左手で男の首の断面を引き寄せ、口づけた。
「……」
驚きに弛んでいたキラーの腕が、ゆるゆるとキッドの背を抱きよせる。

「キッド、おめでとう」


ほらな、サロメ、バカな女。首はお前にくれてやる。
恋の味などしない唇もお前にくれてやる、サロメ、そいつは血の味さ。

俺を抱きしめるこの腕も熱も俺のものだ。


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