三文オペラ



白い煙が灰色の空に混じって音もなく散る。どんよりと重い雲は、煙を吐く度に厚くなっていく気がした。
講義を抜け出し、校内の喫煙スペースで煙草を燻らせていたローは、冷たい校舎の壁に背を預け、雲がみちりと詰まった空を見上げてくだらないことを思った。
「で、なんだって?」
「だから、今日、俺、誕生日だって」
イライラした声音で、一音一音を噛み砕くように再度繰り返した。
講義に30分以上も遅れて教室を目指し、人気のない構内を歩いていたキッドは、喫煙スペースでぼんやりするローを見つけ足を止めると、先ほどの言葉をローに伝えた。
「ふーん」
教科書とノート、筆箱の入ったそこそこの重さのトートバッグを、女に騒がれるその澄まし顔に叩きつける計画がキッドの頭をよぎった。

「‘ふーん’じゃねぇよ。恋人が誕生日だ、っつってんだぞ。他に言うことあるだろうが」
「‘オメデトー’とか?」
「そう、それ」

ハッ―――煙りと共に鼻で笑い、ローは気だるげにキッドを見る。

「何で今日がめでたいんだよ」
「あ?俺が生まれた日だぞ。俺が生まれなきゃお前とも出会わないし、付き合ってもないんだぜ?俺が生まれてめでたいだろうが」
「ハッ……まぁ仮に、仮にだ、無いに等しいにしても仮に、奇跡的にも俺がお前と出会えたことに感謝していたとして」
「……おい」
「確かにお前が生まれた日はめでたい。だがめでたいのは二十数年前の今日であって、今年の今日でも来年の今日でもねぇ」
―――そうだろ?、とローが肩を竦めてみせる。キッドは、無駄にいい頭を活用し、屁理屈を捏ねる男に怒りすら覚えない。
「ああそう、じゃあ今年のお前の誕生日もめでたくはないわけだな」
「いや、それはめでたいだろう」
「っんでだよ!」
「俺とお前との差?」
ローは煙草の先でキッドを指と己を交互に指し、首を傾げた。ローの目はひどく真剣な分、余計にたちが悪い。
―――聞くな!知るかよ!、とキッドがすかさず吠える。こうやって、キッドが噛みついてくる様は、子犬がお気に入りのボールを取り上げる主人に吠えかかっている様に似ている。凄まれても怖さはなく、むしろもっと怒れとわざとボールに手を伸ばしたくなる。子犬の威嚇も、柔らかい牙が手の甲に食い込むことも、主人にとっては可愛らしく喜ばしい。
「わかったわかった、後でケーキでも買っとくから。そうむくれるな」
恨めしげに睨み だしたキッドに、ローは‘降参’ともろ手を上げた。いつまでもボールを取り上げていては可哀想だ。それに返さなくてはまた取り上げられない。
「―――べ、つに」
しかし、キッドは返されたボールにそっぽを向いた。視線を二人の間にある灰皿に固定し、ローを見ない。見ないまま、唇を悔しげに歪め、ぼつりぼつりと拗ねた声を出す。
「べつに俺だって二十歳越えてから誕生日をめでたてぇとは、思ってねぇよ」
ふと拗ねて軋ませる牙が、削れて丸くなる音が聴こえた。


「ただ、誕生日、だし、ちょっとは、お前に甘えても、いい、かな、と思っ―――」


ただけで―――と続く語尾は、しゅわしゅわと地面にすぼんでいった。
「……」
「あー……ユースタスくん」
「……」
「ユースタス・キッドくん?」
「……」
「……ほら、あれだ、あれほど拾い食いはするなと言ったろ」
「してねぇ……くそ、殺せ、いっそ殺せ……」
地面にしゃがみこんだキッドは、腕の中に顔を埋めたまま「殺せよ……」と力ない声で繰り返す。失言に気づいたキッドは耳まで赤くしていた。
「ユースタスくん、耳、赤いですよ」
「―――!うっ、うっせ」
慌てて耳を両手で抑え、膝の隙間からローを睨み上げたキッドは、わずかに目を見張った。
「んでお前まで顔赤いんだよ……」
「え」
薬指と小指の間に煙草を挟み、口元を横から完全に覆うローの変わった煙草の吸い方。その手の平で覆えなかったローの頬はほんのり赤い。
「……まじかよくそ、死にてぇ」
少女のように両手の平で顔を覆い、指の隙間から苦々しい声を溢す。
「……えーと、まぁ……そういうことなら、特にめでたくはないが、誕生日にかこつけて、お前を甘やかしても……その、……イイデスヨ」
「……」
キッドは耳を抑えていた手の平に顔を伏せ、また赤みを増した顔を静かに隠した。
本当に、今が講義中でよかった。外に人気がなくてよかった。1人は壁に背を預け立ち、両手のひらで顔を覆い、指の隙間から瞳を覗かせている。もう1人は、壁の男に向かい合い、背を丸め地面にしゃがみこんでいる。こちらも両手のひらで顔を覆い、指の隙間から向かいの男を見上げている。大の男がこんな姿を見られては、本当に恥死してしまうかもしれない。
「……いい、遠慮するキモチワリー。それよりいっそ殺されたい」
「遠慮すんなよ、クソ、キモいとか言うな。今日は優しく抱いてやるからなちくしょう俺だっていっそ死にてぇ」
「それならいっそ記憶トぶくらいひどくしてくれよ」
キッドの声はすでに生を諦めたように弱々しい。いつもなら命を取り上げそうな冬の冷たい風さえ、今は二人の命を繋ぐように、二人の熱い頬と耳を冷やしている。
「……いやだ、俺をこんな辱しめた罰だ、死にたくなるくらい優しく抱いてやる」
「もう死にたい気分だ、これ以上なんか甘いこと言いやがったら多分死ぬ。もう喋んな、頼むから―――」
「……」
もうこれ以上の小恥ずかしい感情は御免だと、キッドは深く深く掌と膝に埋もれてしまう。ローはその様子を指の隙間から見下ろし、その意地の悪い薄い唇を開いた。今日に最も必要な言葉を伝えるために。
「キッド……」
性格も口も意地も悪い、素直になれない男に似合いのタイミングで。

‘誕生日おめでとう’

「―――!!!」

(……あ、死んだ)


Happy Birthday!Kid!


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